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コラム「あなたは目玉焼きになにをかけますか?」

今回私は祈りという物について考えてみることにしました。
日本では祈りの有名な儀式では初詣などがあります、祈る場所に関しても数千年前から存在している有名な場所が存在していますし宗教に関しても様々な物が数多く存在していることから「祈りは無意味な物では無い」と考えることができます。
ただし祈ってみたけれども願い、願望は叶わなかったと言う人も大勢存在していることから「祈れば必ず望み通りになるわけではない」というのが現実でもあります。
なにより祈ればなんでも願いが叶うなら誰でも祈りで物事をなんとかしてしまう世の中になっていたでしょうし、国の決まりで「国民は毎日必ず祈ること」とかなっていても不思議ではありません。
では祈りとは何なのか?
私の考えとしては願いを叶えるための、奇跡を起こしたりするための補助のような役割だと考えています。
学生の場合だと勉強をしなくても祈っていれば良い成績を取れるかといえばそんなことはありえません、勉強しないと良い成績を取れる可能性はゼロです。
そこで勉強することで可能性が出てくるわけですが、勉強したとしても必ず良い成績を取れるわけでは無い。
そこで祈りの出番というわけです。
祈ることで可能性を大きくする、そういう役割をするのが祈りだと考えています。
だからこそ、努力してもダメ、これ以上どうしょうもないという状況の人達が祈るという行為をやるのだと思います。
祈りは重要である、でも絶対では無い、そういう物だと考えます。
想いの力というのは凄く強い物です、時には奇跡を起こします。
でも奇跡というのは勝手に起こることもありますがそれは余程運が良い場合だけです。
奇跡とは基本的に起きるのでは無く起こすものだと思います、だからこそ行動する必要があるのです。
そこのところを勘違いすること無く日々を頑張って生きていきたいですね。
ではまた

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