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#3 雨下の迷い者たち

 まだ蛍光灯のついた教室は、雨の街にぽっかりと浮かぶ。雨がこのままふりつもって、ここら一帯が海になったとしても、あの教室だけは浮かんで残っているのだろうな、と、よくわからないことを考える。ぼけーっと考え事をしながら歩いていると、いつのまにか、大通りに出ていた。車もたくさん通る大きくて広いこの道路は、ここらではあまり見かけないくらい大きな駅につながっており、この通りは「夕日通り」と呼ばれている。夕日通りには、ファストフード店やら本屋やら、大きなショッピングモールまで、中学生の遊べる場所がずらりと並んでいるのだ。実際、ショッピングモールは、「第二の夕日中」なんて呼ばれている。
 少し先に、横断歩道が見える。あれを渡ったらもう家だ。さあ今日もあの漫画の続き読むぞーとテンションが上がってきたところで、思わず立ち止まる。立ち止まって、信号を確認した。今、赤だよな。なんで、あの子、横断歩道わたってるんだ⁉
 後ろを振り返ると、大型のトラックが迫ってきていた。トラックの運転手にあの子は見えているのか、いないのか。そんなことはどうでもいい。僕は少し先の横断歩道に向けて走り出した。
 その時だった。目の前の情景が、夕日通りからどこかの競技場へとうつる。僕は今、ランナーとして、あずき色のコースを走っている、そんな確信がした。いつもより速いスピードが出る。この僕の速さなら、あの子を助けることができる————こんな不思議な経験は、今が初めてではない。ときどき、そんなことが起こる。いったこともしたこともないような情景が浮かんで、プロみたいな力を使うことができるとき。そしてそういう時は、決まって雨が降っていた。
 僕はその子に追いつくと、思いっきり背中を押し、二人で歩道へ倒れ込んだ。
 危機一髪だ。そのあとすぐに、トラックの音が聞こえた。ごごごご、という地響きのような音。誰かが、「ちゃんとみろ!」と叫んだのが聞こえた。
「だ、大丈夫?」
助けた女の子はすぐ立ち上がって、僕の目の前に手を差し出す。ケガしてないんだ、よかった、と笑いかけようとした瞬間だった。
「あ、血!」
その子は僕の手を見て叫んだ。

「雨森ユウキくんだっけ、助けてくれてありがとう」
近くにあった屋根のあるバス停に、二人でこしかける。その子がうちの制服を着ていて、しかも夕日中で知らない人はいないといわれているくらい美人な、晴山スイさんだってわかったのは、助けた後、僕が顔を見上げた時だった。
 スイは、カバンからピンク色のポーチを取り出して、擦り傷をした僕の手を消毒、手当してくれている。やっぱ女の子は持っているものが違うなーと思う。つばつけたら治る! で生きてきた人とは世界が違う。
「いや別に大丈夫」
そう言って笑いかけると、スイもこっちを見て笑ってくれた。真っ白な肌に、真っ黒でつややかで長い髪。つり上がった大きな瞳は、少しだけ猫のようだ。城が傾くほどの美人、なんていう言葉があるけれど、それはスイみたいな人のことを言うのだろうな、と思う。まあ僕は、城なんて持ってないけど。
「はい、これで終わり。まだ痛いと思うけど。ほんとごめんね、私のせいで」
そう言ってスイが立ち上がったので、僕も立ち上がる。いつのまにか、雨はやみ、重たい雲は雨の忘れ物のように浮かんでいた。
 二人でバス停から出て、歩き出す。家の方向は一緒のようだ。
「それは全然気にしてない、勝手にやったことだし。それより、なんで、赤信号で渡ってたんだよ? 心ここにあらずって感じだったけど」
うーん、と声を出して考えてから、スイは困ったように笑った。
「私ね、合唱部の部長で、来月コンサートをひかえてるんよ。でも、合唱全然まとまらなくて、ぐだぐだやし、それに伴奏やってくれとった子が、引っ越しちゃうから、今伴奏者もおらんくなって、ほんとどうしよーって考え事してまっとったの。合唱部の部歌だけでも、生演奏がいいんやけど」
雨の日はみんな考え事をする。そうだったんだ、と声に出していいのかよくわからないから、別の言葉を口に出す。
「でもピアノの伴奏できる子多いだろ?」
「まあ、おることにはおるんやけど、みんな自分たちの部活で忙しいんやって。そりゃそーやおね……」
そう言ってスイは少しうつむく。でもすぐに、こちらを振り返った。
「あれ、そういえば、ユウくんってピアノうまいんやったよね? うわさで聞いたことあるんやけど」
え。その言葉に僕はとても驚いた。ピアノなんて、お母さんの影響で小さいころ少しやっていた程度だ。うまいなんて、そんなこと誰が……
 でも、すぐに思い出す。その雨の日、僕はなぜかピアノが上手に弾けた。今のランナーみたいに、いつもの僕では考えられないような力が使えた。だから、伴奏者の代役を音楽の時間にやったことがある。それがそんなうわさになっていたとは。
「そ、そんな。僕あれはたまたまで」
慌てて否定をする。でも、スイは引き下がらない。
「部活は忙しい?」
「ううん、僕は帰宅部だし」
そう言いながら、スイの横顔を見つめる。重たい雲のすき間から落ちてくる光が、スイのすらっとした鼻筋を照らしていた。
「じゃあ、忙しかったりする?」
スイの笑顔はきれいだ。雨上がりの、太陽の光みたいにきれい。
「ううん、そんなことない」
「伴奏、頼んでもいい?」
そのスイの姿に、僕は参ってしまった。うそだろ、僕……。自分の心をひっぱりだして、しかりつけてやりたい気分になりながら、それでもやっぱり、脳みそは僕ではなく、僕の心を優先したらしい。僕はスイに笑いかけてこういった。
「わかった。いいよ」
ついに、雲のすき間から、空色が顔をのぞかせた。
「ほんと⁉ ねえ、合唱部の部歌である『虹を描く』って曲の伴奏、ユウくんにお願いしてもいい?」
「わかった、がんばってみる」
うきうきした手つきで手さげかばんから楽譜をとりだし、僕の前に差し出した。
「ありがとう、ユウくんには助けられてばっかりだ」
雨の日は(もう雨降ってないけど)、いつもなら言えないようなセリフが、 僕の口からなぜかあふれ出す。まるで僕が、なんでもできるヒーローのように。
 僕の目の前で、黒いつぶつぶが点滅していた。

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