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記事一覧

詩『挿絵』

異様に白く煌めく朝の冷蔵庫と 無駄に塩辛い明太子パスタ、 脇のあたりが濡れたままの苺柄の寝間着と 首の凝りを解す扇風機。 充電切れ間近の電子辞書で調べる単語 電波の悪さを推測で補填したラジオ、 庭から湧き出し壁に黒線を描く蟻の列 賞味期限切れの二本の辣油。 この景色は誰が読んでいる書籍の挿絵に過ぎない、 軽やかで柔らかな色彩に包まれて私達は毎日を指切りで誤魔化す。 誰も使わない電話帳の付箋と 駄菓子屋で買った氷菓のハズレ棒、 南風が擽る乾いた苺柄の寝間着と 黒猫のキーホル

詩『seventeen』

独り法師の素数を肩に背負って 色紙の切れ端をぶら下げて 華が咲いたら枯れる運命を割り切りながら掌を月に翳した。 貴方の早歩きに走らされて節々が痛む体躯に鞭打って 猫の寝床の前を踵が地面と擦れる音さえ殺して通り過ぎて。 誰そ彼刻の虚空の色彩は空気遠近法で滑らかに溶けていた 貴方はミルフィーユの層みたいだとミント風味の吐息で囁いた。 鮮血流れる唇を重ね合わせて 柔らかな細胞を交換して 華が咲いたら枯れる運命を割り切りながら掌を月に翳した。 貴方の早歩きに走らされて節々が痛む体

詩『shoegazer』

誰も興味なんて湧かない根も葉もない噂話みたいに 見慣れて忘れ去られた靴底に糊付けされた影のように 無視されながら甘い夏を雲霞を掴むように追いかけている。 靴擦れて赤く腫れた踵を薬で塗り潰しても 熱量過多で焦がした鍋底をたわしで磨いて洗い流したとしても 俯く瞬間に瞳に映る幽霊は永遠に私達に付き纏い続ける。 種明かしのない奇術の舞台に茶化されているみたいだな 愚痴を垂れる腑抜けた心根に貴方が撒いた水で 根腐れしそうだよ 誰の所為でも過誤でもないけど。 記憶に残らない些細な

詩『生活』

白湯みたいな朝陽が染み込む寝室 互いの心臓を重ねて眠る毎日、 苺柄の寝間着を纏う きみが小豆の枕を常夜燈に向かって高く投げる。 寒空が微苦い珈琲にざらめを注ぐ 香ばしく匂うメープル、 毎日の意味を忘れぬように指先を絡める儀式を済まして口づけ。 天気予報曰く本日快晴なり。 如雨露を洗う朝に ただいまが重なる。 蜜柑みたいな夕陽が溶かす煙突 互いの履歴を探り合う毎日、 惣菜を飾る値引きシール きみは緑黄色野菜の健康ジュースを籠に入れる。 湯煙の中 恥じらい泡だらけにな

詩『副作用』

希望の錠剤を過剰摂取して興奮状態に突入したら、 感覚器官を縛る箍を引き裂いて晩餐饗宴の始まりだ。 燕尾服には発泡酒の残り香 靴下の中指の穴から油混じりの砂、 充電中の携帯端末に降り積もる着信拒否の記録。 関係ない で中途半端に刃を振り翳した糸電話の生命線、 未曾有の災厄や天変地異を待つ腐敗した密室。 絶望の錠剤を過剰摂取して鎮静状態に陥ったら、 精神機関に宿る夢に酔い痴れて入眠幻覚のお祭りだ。 流し台には麦酒の残り香 暴れる親知らずが妨害する言葉、 蓄積済みの文庫本を

詩『鼻濁音』

溜息で曇る公衆電話の玻璃に薬指で似顔絵を描く、 受話器越しに響く鼻濁音がくるりと鼓膜を叩く。 風邪気味なんだね 無機質に唇を震わす台詞、 銅製硬貨で購入する五十六秒間の執行猶予。 闇の緞帳で覆われた公園の中で 異様に白く光る私的会話の部屋。 革靴で躙る公衆電話の砂礫に爪先で渦巻を描く、 受話器越しに響く鼻濁音がかちりと感情を敲く。 本当は泣いてたでしょ 無機質に喉を震わす台詞、 銅製硬貨が底をつき五十六秒間の静寂が幕を開ける。

詩『embrace』

凋む風船に息を吹き込んで膨らますように 海藻に金魚が産み落とした卵を見守るように、 深夜の即席麺に静かに熱湯を注ぐように 寝癖に気付かない人を見て黙って微笑むように。 極彩色の蠟燭を誕生日ケーキに並べるように 月面探査記が撮影した写真を壁にピンで貼るように、 役目を終えた鍵盤楽器の蓋を静かに閉じるように 残し物だらけ弁当箱を黙って片付けるように。 私達は互いに抱擁する 邂逅のときも惜別のときも。 太陽に温められた洗濯物を小さく畳むように 軒先に芽吹いた氷柱の体細胞分裂を

詩『紙一重』

故障した照度感知器のせいで取り残された光の隙間、 深煎り珈琲の表面に牛乳の泡沫が白雲のように浮かぶ。 円盤の海を泳ぐ蓄音機の針が増幅する録音スタジオの雑音、 翠玉色のマスカットの果皮を齧るとき溢れるあまい潮。 目障りな光線に癒やされる日と、 平穏の毎日に苛立つこと。 蓋を閉め忘れた清涼飲料水で滲んだ鞄の中身と予定表、 未開封の避妊器具が横たわる抽斗に相合い傘の落書き。 球鎖の輪廻に絡まる別邸用の鍵が再生する幼少期の騒音、 煉瓦色のアーモンドの果皮を齧るとき拡がるにがい空。

詩『先行配信』

新曲の先行配信を世界で最初に再生した人類になれたら 大衆の前衛に立って誇らしく死ねるような気がした。 新曲の先行配信を世界で最初に聞き終えた人間になれたら 銀河系の対蹠点にも手が届くような気がした。 ただ垢抜けたいだけなのに 直ちに蛻の殻となりたいだけなのに、 目眩く遊星の殻は単位時間ごとに破れ 数多の破片が鳩尾に突き刺さる。 新曲の先行配信を世界で最初に再生した人類になれたら 両肩を腫らした重荷が霧同然となる気がした。 新曲の先行配信を世界で最初に聞き終えた人間になれず

詩『生きる』

甘く酸っぱく色付いた葡萄の実が零れて紫の雨を注ぐように 無意識に蒔かれた種子は みどり色の産声を庭に根付かせる。 朝陽に浮かぶ飛蚊症の影が真白な世界を不完全にするように 言葉や記号の並ぶ紙束は 時間の蟲に喰われ焼け野原となる。 雨垂れの夜に稲光に遅れて鼓膜を刺激する雷鳴のように 無気力に泡立つ後悔は 祭りの帰路で眼から吹き溢れる。 夕陽に映える防災無線の夢が真黒な世界に帰宅を促すように 感情や記憶の混ざる脳髄は 制御装置に操られ機能停止となる。 暴れ狂う地面が自転車の銀色

詩『goodness』

胎盤から剥がれ落ちた魂の容器 銀河の星粒が降り注ぐ格子、 自我の部屋には非常口がない 他者の言葉に溺れる外ない。 無限級数の回廊を昇り 発散されては復た振り出しに、 喉に溜めた血混じりの唾 毀れた刃物で指し示す脳髄。 喧嘩する子がいたら止めましょう。 嘘をついたら正直に言いましょう。 聖人君子の絶対条件は善良なる模範生たること、 外れ者は問答無用で放棄しましょう。 痴情を垂れ流す魂の瘴気 酸素に毒なわれし玉鋼の原子、 自我の部屋には玩具はない 他者の言葉を寄せ集める外

詩『蜚語流言』

初対面の通行人に脈絡なく投げつけられた可塑性物質、 自然に分解されず蓄積される淘汰の血腥い痕跡。 土壌に跳ね返された徒種は蜚語流言となり発芽する、 疑心暗鬼が熟れず終いの果実を慾り喰らう。 誰も理解してくれないなんて嘆く前に、 持ち合わせる限りの災厄悲劇で 洒落にならにくらい自虐的な想い出で、 貴方を咲わせてみせるから。 見ず知らずの相席者に突如として擲たれた金属光沢、 他人格に憑依されて暴徒化する民衆の薄穢い燃料。 土足に踏み砕かれた徒種は蜚語流言となり発芽する、 明

詩『蟻』

血管の如く砂場を駆け巡る洞窟の住人、 帝国の憲法が刻まれた染色体 震え続ける生体電気。 何故 君達は生きようとするのだ。 冷酷な黙秘権の膜が弾き返す淡い疑問符。 理由なき生者の行進、 雪後の街に息絶える光。 角砂糖を手に砂場に還り来る洞窟の住人、 帝国の言語で組成された碧い血液 忘却された痛覚。 何故 私たちは死のうとするのだ。 残酷な幸福追求権の語が括り付ける微苦い絶望。 理由なき生者の行進、 踏み潰された点線の光。

詩『塔』

蜘蛛の巣が張り巡らされたベランダに軋む足音が響く、 増殖する苔の絨毯は闇夜に照らされ鮮やかに光る。 不完全燃焼の真っ赤な蠟燭を月灯りに静かに焼べる、 苺色に染まる太陽系最古の美術品を合図にして。 この氷菓みたいな塔を翔び立つ。 航空障害灯を掲げる摩天楼の密林を潜り抜け、 罵詈雑言で装飾された掲示板を突き破れ。 薬缶が沸かす金紅石色の湯気が結露する天井、 暖かい自分の部屋が欲しかっただけなのに。 氷菓みたいな塔の中で揺らぐ風前の灯火、 夢見がちと嗤われた過去を静かに焼べる