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非一般的読解試論 第九回「アップ・サイド・ダウン」

こんにちは、デレラです。

第九回 非一般的読解試論をお送りします。

前回から、わたしの好きなロックバンド「おとぎ話」の歌詞について感想文を書いています。

今回はその続きです。

おとぎ話の歌詞を読むと、わたしは「ある一貫したイメージ」を想起します。

彼らは、デビューシングル「KIDS」から、現在まで「あの記憶」について歌い続けているというイメージです。

「あの記憶」とは何か。それは「子どもの記憶」です。

「モウ大人ナンダカラ」の一言によって抑圧されてしまい、忘却させられた「子どもの記憶」です。

大きな青空の下で、裸足のまま、外を走りまわっていた、あの頃の記憶。それに類するイメージ。

大人になってしまった、いまはもう、失われてしまった記憶のイメージ。

しかし、大人になったいまでも、ときどき裸足になって、芝生の上を歩けば、「何か」を思い出せるような気がしてくる。

気持ちがいい。身体が覚えている。そんな記憶。

おとぎ話は、その記憶を忘れないために、歌い続けているのではないだろうか。

これが前回までのお話。


さて、今回はどんなことを書くのか。

簡単に概要を説明しましょう。

繰り返しになりますが、おとぎ話は、「あの記憶」を忘れないために歌い続けています。

でも、「あの記憶」って本当に存在するのでしょうか。

かれらは、「あの記憶」の存在を信じるとができる理由を、「痛みと涙・空・幻」をキーワードに掘り下げます。(第2章「オーロラ」)

おとぎ話は、「あの記憶」を忘れないためだけに歌うのではありません。さらに一歩足を踏み出します。

つまり、「あの記憶」を忘れないようするだけではなく、「あの記憶」に近づくための可能性を模索しています。

おとぎ話は、「あの記憶」に近づくために何かを提示しようと闘っているのです。(第3章「アップ・サイド・ダウン」)

彼らの歌を聞くと、「あの記憶」を忘れない、いまもここにある、だからそこに向って一緒に行こう、と思える。

おとぎ話の歌詞は、世界を別の見方で見せてくれる、そういう歌詞なのです。(第4章「ニュームーン」)

では、早速はじめてまいりましょう。今回もよろしくお願いします。


2.オーロラ

「あの記憶=子どもの記憶」を失ってしまった、というけれど、本当にそんな記憶があるの?

あなたは、そう思うかもしれません。

おとぎ話は、なぜ「あの記憶」について歌い続けることができるのか。

別の言い方をすれば、なぜ「あの記憶」の存在を信じることができるのか。

この問いに答えるため、いくつかの歌詞を断続的に引用します。

これから引用する歌詞は、すべて「痛みと涙」、「空」、「幻」というキーワードで繋がっています。

まずは一つ目。

あたりまえに
今日をすごしたら
大切な思い出を
なくしたの
痛みと涙に
気づいた時にはもう
君は遠い空の海へ
ー「光の涙」(『カルチャークラブ』)

整理しましょう。

あたりまえに今日をすごす。これは生活世界のことを言っていると思います。

わたしの生活世界です。

あたりまえの生活、目覚まし時計で起きて、朝食を取り、電車に乗り、出社し、仕事をして、残業し、退社して、電車に乗り、スーパーで買い物して、家に帰り、ご飯をつくり、お風呂に入って、就寝する。

わたしは「モウ大人ナンダカラ」毎日仕事をして当然。そのために朝起きて、仕事が終われば家に帰って明日の仕事に備えて寝る。そんな生活です。

「大切な思い出をなくす」というのは、これは「子どもの記憶」を失うことと呼応しているでしょう。

このような生活を続けていれば、気づいたときには「子どもの記憶」は「遠い空の海=青空」の向こうに行ってしまっている。

こうして見てみると、この引用箇所は、前回確認した「大人になると子どもの記憶を失ってしまうイメージ」に通じ合っているが分かります。

さて、この引用箇所のポイントは「痛みと涙に気づいたとき」です。

そう、「痛みと涙」のイメージがおとぎ話の歌詞には数多く登場します。

「痛みと涙」に気づいたときにはもう、「子どもの記憶」は「空の向こう」に行ってしまった、ということがここでは描かれています。

「痛みと涙」とは何でしょうか。

別の歌詞を引用しましょう。

まぶしい愛の火 君を燃やして
愛の夕日を 僕に気づかせる
心の奥に残る痛みは
今も変わらず 僕に呼びかける
ー「COSMOS」(『カルチャークラブ』)


ここでは「僕」は、「心の奥に残る痛み」に気がついているようです。

そして、その痛みは、いまも変わらず「僕」に呼びかけている。

つまり、「心の奥に残る痛み」とは、「僕」に呼びかける「声」のようなものでしょうか。

別の箇所を引用します。

声 様々な思想を切り裂いて
空 見上げたら涙が止まらない
ー「AURORA」(『カルチャークラブ』)


「様々な思想」とは、何でしょうか。

わたしとあなたの考え方、想いは異なる。人によっていろんな思想がある。

「様々な思想」とは、「人々」のことだと読むことができます。

これを、ひとつ前に引用した歌詞に登場した「心の痛み=声」とつないでみましょう。

つまり「声=心の痛み」によって、人々は切り裂かれ、空を見上げると「涙」が流れてしまう、という様子が描かれています。

さらに、最初に引用した歌詞とつなげてみましょう。

「心の痛み=声」によって、人々は切り裂かれ、その痛みに気がついたときにはもうすでに「子どもの記憶」は「遠い空」の向こう側へ行ってしまっている。

「空」を見上げると「涙」が止まらなくなる。それは、その「空」に消えてしまった「子どもの記憶」の面影を見いだしてしまうからでしょう。


この三つの歌詞のタイトルは、いま、つなげたイメージと符号します。

「光の涙」、「COSMOS」、そして「AURORA」


「光の涙」=涙

「COSMOS」=宙(そら)=空

では「AURORA」は何でしょうか。

「AURORA」とは「空に浮かぶ幻」です。

太陽と大気が生み出す、空に浮かぶ一筋の光の幻。

「心の痛み=声」によって流れる涙が、頬に一筋の光の後を残す。その様子が「AURORA」に込められている。

空に浮かぶ幻は、涙によって現れる。

空に消えていった「子どもの記憶」が、涙によってその跡を残す。

そう、つまり、おとぎ話は、「あの記憶=子どもの記憶」の存在を、わたしの心の痛みによって流がれる「涙」によって証明している。

わたしにはそう思えてなりません。

わたしが涙を流すのは、「子どもの記憶」が確かにあったことの証拠なのだ。

もしも今君が泣いたら
つたう涙を僕には見せて
ー「AURORA」(『カルチャークラブ』)

彼らが、頬に「つたう涙」を見せて、と言うのは、その「涙」こそ「子どもの記憶」があったことを示しているから。

世界には心を痛めて涙を流す人々がたくさんいる。

その事実がある限り、彼らは「あの記憶」を忘れぬよう歌い続けるのでしょう。


3.アップ・サイド・ダウン

おとぎ話は「あの記憶=子どもの記憶」を忘れないために歌い続けている。

「あの記憶」は確かに存在する、心の痛みによっての流す「涙」がそれを証明している。

ところで、彼らが歌い続けるのは、「記憶を忘れないようにするためだけ」なのでしょうか。


もちろんそんなことはありません。

彼らはこんなことを歌っています。

現代人は悩みが多すぎて
考えれば考えるほどに精神は崩壊
現代人には誘惑が多すぎて
誰かの助けを
待ってる 待ってる
待ってる 待ってる
待ってる 待ってる
待ってる 待ってる
ー「M」(『REALIZE』)

そう、忘れないように歌い続けるだけじゃ足りない。

すでにわたしたちの精神は崩壊して、「助けを待ってる」のです。HELP!

では、どうすれば助けられるのか。わたしたちに救済の可能性はあるのでしょうか。

別の歌詞を引用しましょう。

間違えても世界は
振り向いてくれないよ
がんばっても世界は
甘やかしてくれないよ
毎日働いて 毎日働いて
ー「HOMEWORK」(『眺め』)

そうです。わたしの生活世界は、毎日働いて、毎日働いて、頑張っても甘やかしてもらえず、また毎日働いて、精神が崩壊していく世界です。

毎日、嫌だ嫌だと叫んでも、毎朝目覚まし時計は鳴り響き、わたしの意志に関わらず、わたしの身体は目を覚まします。

どうしたらよいの?

おとぎ話は、この精神が崩壊してく世界から救済されるための可能性を模索しています。

彼らの格闘、「子どもの記憶」を取り戻すための闘い。

引用します。

味気の無い世界を
裏返してしまえば
少しはマシな世界が
見つかってしまうかもね
UPSIDE DOWN UPSIDE DOWN
UPSIDE DOWN UPSIDE DOWN
ー「HOMEWORK」(『眺め』)


彼らは言います、味気のない世界をひっくり返してみたらどうだろうか。

もちろんフライ返しのように、世界を丸ごと「くるりと裏返す」ことはできないでしょう。

では、世界を裏返す、どういうことでしょうか。

この「HOMEWORK」という歌詞では、「毎日働いて」というフレーズが何度も繰り返されます。

歌詞カードには14回「毎日働いて」と書いてあります。すごい!働きすぎ!

ここまで繰り返すということは、世界をひっくり返すためには、「毎日働くこと」がポイントなのでしょう。

しかし「働く」と聞くと、わたしの生活のなかで行っている「勤務・労働」をイメージしてしまいます。

わたしの「賃金労働」によって、世界をひっくり返して、「子どもの記憶」を取り戻すことができるとは到底思えません。

むしろ、「賃金労働」によって、「子どもの記憶」が抑圧されると言った方がしっくりきます。

では、なぜ「毎日働いて」というフレーズを繰り返すのか。

消えないなら世界を
裏返してしまえば
誰もいない世界が
見つかってしまうかもね
毎日働いて 毎日働いて
ー「HOMEWORK」(『眺め』)


ここで言われている「毎日働いて」の見方を変える必要があるかもしれません。

つまり「賃金労働」とは「別の労働」を考える必要があるのではないでしょうか。

そう考えてみると、この曲のタイトル「HOMEWORK」が目につきます。

「賃金労働」は外に出て行うWORKです。

では「HOMEWORK」は外に出ない仕事、という意味でしょうか。

もちろん、内職でないはずです。内職は賃金労働でしょう。

「HOMEWORK」には、「賃金労働」ではない「別の仕事」のイメージ、「別の可能性」が込められているのかもしれません。

別の可能性とは何か。まだ答えは分かりません。

しかし、おとぎ話は歌い続けています。

その別の可能性に向かって、歌い続けています。


4.ニュームーン

おとぎ話は、「あの記憶=子どもの記憶」を忘れぬために歌い続けている。

「あの記憶=子どもの記憶」の存在は、心の痛みによって流れるわたしの「涙」が証明している。

涙を流し続けて、精神が崩壊してしまわないように、おとぎ話は世界をひっくり返す方法を考えている。

賃金労働とは別の仕方。別の可能性。

おとぎ話は、わたしの「涙」を見て、歌ってくれる。

その涙は、君にもあの記憶があったことの証拠だ、と。

あの記憶を取り戻すために、世界をひっくり返そうとしてくれる。

彼らはわたしに、世界の別の側面を見せてくれようとしている。

引用しましょう。

新しい月に逢える時
美しい思い出は消えた
新しい思い出が消える時
美しい月に出逢えた
迷子迷子迷子迷子にならなければ
出逢える NEW MOON
NEW MOON
ー「NEW MOON」(『REALIZE』)


新しい月、つまり新月は、太陽の光が当たらない、真っ黒の月です。

かつて、太陽の光を受けて、美しく光っていたあの満月は、その光が消えてしまっている。

新月は、「満月の美しい思い出=あの記憶」が消えてしまっている。

しかし、見方を変えれば、新月の裏側は、満月です。

わたしが裏に回れば、また美しい月に出逢うことができます。

どうすれば「裏に回ること」ができるのか。

おとぎ話の歌詞は、その可能性について考えてくれている。

迷子にならずに、彼らの後ろに付いて行けば、新月の裏に回りこんで、「あの記憶」にまた出逢えるかもしれない。

そう思えてなりません。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

「あの記憶=子どもの記憶」をめぐる物語を描こうとしましたが、やはり難しかった。

おとぎ話の歌詞は、もっといろんな読み方に開かれている歌詞です。

この解釈はわたしの解釈。わたしの個人的なフィクション。

非一般的な読解に過ぎません。

これからも、おとぎ話に注目です。

YouTubeには、公式のMVが、いくつかあがっています。

「COSMOS」はとても美しいメロディなので、ぜひ聞いてみてください。

ではまた次回。

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