差別・偏見は自分が上だと思っているから―セクシャル・マイノリティから考える

セクシャル・マイノリティ(性的少数派)
よく聞くのはLGBTという言葉でしょうか。

当事者の方々にお会いした経験はありますか?

私は何度か直接関わったことがあります。

間近でみてきた中で彼らの生きづらさを痛感しました。

彼らがなにか迷惑をかけたわけでもないのに
理解がなくきもちが分からないというだけで否定される。


どうにかできない問題ではないと思うのです。


そんな冷たい世界ではないと思うのです。




こんなところで思いを届けたところで
変わらないかもしれませんが、
一意見として少し耳を傾けて頂きたいです。



セクシャル・マイノリティ(性的少数派)


セクシュアル・マイノリティ(性的少数派)とは、現在の社会のなかで「これが普通」「こうあるべき」だと思われている「性のあり方」に当てはまらない人たちのことを、まとめて指す総称のことです。

「性のあり方」には、いろいろな側面があります。生物学的にオスであるかメスであるか(=セックス)、という問いにかぎらず、社会的にどのような性役割(=ジェンダー)を持って生きているのか、あるいは誰とどのような恋愛や性愛の関係を持つのか/持たないのか(=セクシュアリティ)、ということなどの「さまざまな要素」が複雑に絡んでいます。

参照:セクシャル・マイノリティ/LGBT基礎知識編

つまり、性について考えるには単純に【男性/女性】というだけではなく、様々な切り口があり、主に以下3点が挙げられます。

身体の性
性器、性腺、染色体などの身体的特徴で分けられる性のことです。

心の性(性自認
自分自身はどんな性だと思うか、ということ。
男性だと思う人、女性だと思う人、中性だと思う人、性別は決めたくないという人、など、様々です。

好きになる性(性的指向)
好きになるかならないか、なるとしたらどんな性の人を好きになるか、ということ。
異性を好きになる人、同性を好きになる人、どちらの性も好きになる人、性別で好きになる人を決めたくないという人、特定の誰かを好きにならないという人、など、様々です。



セクシャル・マイノリティはLGBTだけではない


よく耳にするLGBTとは

● L・・・Lesbian(レズビアン):女性同性愛者
● G・・・Gay(ゲイ):男性同性愛者
● B・・・Bisexual(バイセクシュアル):両性愛者
● T・・・Transgender(トランスジェンダー):性別越境者

の頭文字をとった単語で、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称のひとつです。


セクシャル・マイノリティのお話しでも挙げたように性のあり方には様々な側面があります。

昨今LGBTという言葉をよく耳にするかと思いますが、セクシャル・マイノリティはLGBTだけというわけではなく、もっと多様な人々がいるんです。

Xジェンダー
「心の性」が男性、女性のどちらかに規定できない/しない人々のこと。

Aセクシュアル(無性愛者)

「好きになる性」をもたない人々のこと。

ノンセクシュアル(非性愛者)

恋愛感情を持っても性的欲求を抱かない人々のこと。

パンセクシュアル

「好きになる性」が性別にとらわれない人々のこと。

トランスヴェスタイト/クロスドレッサー

異性の服装を好んで着る人々のこと。

身体の性について

インターセックス(性分化疾患)
身体の性の発達が先天的に非定型的である状態で、その大多数は男性・女性で、セクシュアル・マイノリティではありません。
ですがもちろん、性分化疾患・インターセックスの状態を持つ人の中にも、セクシュアル・マイノリティの人がいます。

参照:LGBTとは|東京レインボープライド2020


セクシャル・マイノリティ=LGBTという印象が強くなってきた為、近年ではSOGIという言葉で表現される場合もあります。

SOGIは、「Sexual Orientation and Gender Identity(性的思考と性のアイデンティティ)」の英語の頭文字をとった言葉です。読み方は「ソジ」が一般的ですが、「ソギ」とも言うようです。



偏見・差別による悲惨な事件


府中青年の家事件(1990):同性愛者の団体である「動くゲイとレズビアンの会」(アカー)が東京都の宿泊施設「府中青年の家」で合宿中、他の利用者から差別する嫌がらせを受け、施設側に善処を求めたが適切な対応がなされなかった。再度施設の利用を申し込んだところ「青少年の健全な育成にとって、正しいとはいえない影響を与える」として利用を拒否され、東京都教育委員会からも今後の利用を認めない処分を下しました。これに対しアカーは人権侵害にあたるとして損害賠償を提訴した。結果はアカー側の勝訴。初めてLGBTの権利がきちんと認められたうえで行政に勝利した。


一橋アウティング事件(2015):一橋大学(東京都国立市)の法科大学院生の男性Aさんが同級生の男子学生Bさんに「好きだ。付き合いたい」と告白。その後Bさんは同級生らにAさんが同性愛者だということをAさんの許可を得ることなく暴露(アウティング)された。その後Aさんは心身に変調をきたし、不安神経症と診断を受ける。大学院の教授やハラスメント相談室に一連の出来事や症状を相談していたものの特に対策はされず、パニック発作を起こし校舎から転落死した。


かなり有名な事件2つをご紹介しました。

LGBTがこれだけ広まった今でも差別や偏見に苦しむ人はたくさんいます。

学校、仕事、医療の現場でさえまだ理解が至っていないというのが現状です。

ではなぜ差別や偏見は起こってしまうのでしょうか。



差別・偏見の本質


差別や偏見が起きてしまうのは、自己肯定感の低い人が、違うタイプの人をけなし、自分のほうが上だと思うことで自己肯定感を補っているから。

つまり「人は自分が有利になりたい、偉くなりたい」といった心理があるからだそうです。

さらに日本は諸外国と比べて、自分たちが社会の中で「普通」の存在であることに安心感を得る人が多いことも、マイノリティ差別問題を後押ししている考えます。

だから、差別・偏見がよくないと分かっていながらもなくならないのはこの点が大きいと言えるでしょう。


差別・偏見をなくすには


私はマイノリティの人たちへの理解を深めることが大切だと思います。

それも義務教育の場でセクシャル・マイノリティや障がい者の当事者の方々と触れ合う機会を設けること。

触れ合ってみてどう感じたかなどの確認も大事だと思います。

年配の方の根強い偏見というのを払拭するのはなかなか難しいように思います。

それに比べて子どもの順応力は非常に優れていると考えています。

だからこそ義務教育時や子ども時代にマイノリティの人たちと触れ合った機会があるかないかだけでも変わってくると思います。


「差別という事に視点を当てた意見書」を書いた矢吹さんは下記のように述べています。

「障害者は、すべて(健常者である)自分たちが面倒を見なければならない」という上から目線で思考を出発させている。

派遣切り、うつ病の増加、自殺者の増加、ホームレスや生活保護世帯の増加……など、実は、障害者側から見て「面倒を見てあげなければならない健常者もたくさんいる」ということに、一般の健常者はほとんど気が付いていないのです。

言い方を変えれば、今日の社会全体が、限りなく障害者に近づいているという、実は深刻な社会問題になっていることへの自覚が無いということ。

参照:差別という事に視点を当てた意見書


確かに健常者でも人の手が必要な人は少なくないです。

この指摘には私も気付いていなかったと反省しました。

せっかく同じ人間にうまれたのだから、
色んな人がいるから面白い
色んな人がいていいんだ
特別ではなく自分は自分だ
と思える世界になってほしいと心から願っています。





追伸:いっぱい考えた。





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