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僕らはラジカセの進化とともに生きてきた〜パナソニック、ものづくりイズム館
「おまえら、テープ回してないやろな」
その昔、吉本興業を巡る一連の騒動で話題になった言葉である。
最近では、(テープ)レコーダーはすっかりハラスメントの対抗手段のような代物になってしまったようだ。
ラジカセが子どもたちの憧れだった頃、約半世紀後にこんな言葉が流行るとは思ってもみなかったはずだ。「録音」とはもっともっとたのしいものだった。
ガーガーと雑音混じりにナイター中継を聞いた小さなトラ
箒を欲しがるお年頃〜レレレのおじさんって何歳なんだろう。
住宅街の一角の我が家の隣に住むカズくんはまだ小学校の低学年で、近所の人から「神童」と呼ばれていた。
カズくんは、毎朝、自分の家の前を竹箒で掃除するのが日課で、我が家を含む両隣の家の前も掃除していた。カズくんは実際に勉強もできる立派なおとなに成長したらしいが、それよりもなにも、毎朝黙って家の前を箒で掃く佇まい自体が、(できの悪いわたしにとって)とても神童らしかった。
大げさに言えば、あれは毎朝我
ニッポンのロボット便器のエルサレム〜小倉TOTOミュージアムを往く
実家のある駅に降り立つといつも思い出すことがある。それは、トイレの汚さである。その駅は、1980年代に毎日通った通学路で、トイレもなにかとお世話になった。当時の駅のトイレと言えば、それはそれは阿鼻叫喚の光景で、腹を壊したり鼻血を出したりして駆け込んだ、二度と後戻りしたくない臭い青春の思い出である。
時代は進んだ。いま、その駅のトイレはピカピカだ。日本のトイレは格段に進化した。なかでも特筆すべきは
多摩地区の良心。フランスベッドが主宰する「家具の博物館」に行ってみた。
ライティングビューローというのは、ふだんは戸棚だが、前面部の板を手前に引き倒すと文机になる家具である。今でも見かけるし、アンティークを売り物にするカフェなどに置いてあるとサマになる。
1960年代の後半に、わたしははじめてこのライティングビューローを、友人の家で見た。まだ、小学校低学年の頃だ。同級生のお姉さんが使っているその大人びた家具に、こどもなりの羨望の眼差しを向けたのを覚えている。
とに
『フォーリング・ダウン』のマイケル・ダグラスのカバンがアタッシュケースからスポーツバッグに変わっていった理由。
ビジネスバッグ、ハンドバッグ、スーツケース、リュックサック、学生カバン、旅行用衣装ケース、トートバッグなど、カバンの種類は多岐にわたり、その用途も幅広い。もはやわたしたちの生活に欠かせないものだ。
カバンというのは用途もさることながら、なによりもその個性がおもしろい。学生には学生カバン、サラリーマンにはビジネスバッグ、スポーツ選手にはスポーツバッグやダッフルバッグ、お医者さんやパイロットにはそれ
ショーケンの直食いの反対。たまには洋食器ディナーについて考えてみる
たとえば、スーパーで買ってきた刺し身をパックのまま食卓に並べ、醤油をかけて食べるより、きちんとお皿に盛り付けツマやネギなどを足し、ひと手間かけたほうが断然おいしくなる。
70年代の人気ドラマ、ショーケンこと萩原健一主演『傷だらけの天使』のあまりにも有名なタイトルバックは、ショーケンが新聞紙を前掛けがわりにし、冷蔵庫にあったトマトやコンビーフをそのままかじり、口に咥えた瓶の牛乳で流し込む映像だった
魔法瓶の下で口を開けレバーを押して冷えた麦茶を飲もうとしたら、上から熱湯が注がれ、飛び跳ねながら台所を駆けまわった話。
「民具」と言われると、博物館などに展示されている土だらけのものを想像してしまう。だが、時代は、明治、大正、昭和と過ぎ去り、日本の「会社」が総力を結集し、数々の道具を作り上げ、我々の生活を圧倒的に便利にした。やかんからスマートフォンまで。生活の物語を奏でてくれる「みんなの民具」について考える。
昭和40年代当時の家庭に爆発的に普及していた花柄の魔法瓶。筆者が、「あ、うちにありました」と言うと、