見出し画像

箒を欲しがるお年頃〜レレレのおじさんって何歳なんだろう。


住宅街の一角の我が家の隣に住むカズくんはまだ小学校の低学年で、近所の人から「神童」と呼ばれていた。

カズくんは、毎朝、自分の家の前を竹箒で掃除するのが日課で、我が家を含む両隣の家の前も掃除していた。カズくんは実際に勉強もできる立派なおとなに成長したらしいが、それよりもなにも、毎朝黙って家の前を箒で掃く佇まい自体が、(できの悪いわたしにとって)とても神童らしかった。

大げさに言えば、あれは毎朝我が家の前で行われていた神事だった。

玄関先に舞い散る落ち葉とともに穢れを祓い、安寧の一日を約束する、そんな行事だった(と、まじめに書いているが、当時高校生のわたしは、「今日、下の公園に神童いたよ。掃除はしてなかったけど」などと、わりとカジュアルにこの話を語っていた)。

箒とは、神主のお祓いの道具「大幣(おおぬさ)」よろしく、多分に精神性を帯びた民具である。

チリやホコリを拭い去る機能だけではなく、一種の精神修養の道具としても機能したりする。そのことは、カズくんの例を出すまでもなく、学校での居残り掃除や、趣味でかじった「お稽古ごと」の入門編で、たっぷりと掃除をやらされた経験を通じて周知のことであろう(その昔わたしは、某八幡宮主催の弓道教室でいやというほど庭の掃き掃除をやらされた)。

古代中国では、掃除は地獄における懲罰とされていたほど卑賤な仕事とされていた。箒はハハキ、つまり羽掃きで、古くは鳥の羽根を用いたものだった。ものを掃き集める箒には、神や霊魂を呼び招く呪力や掃き出す力があるとされ、お産の時、箒で妊婦の腹を撫でたり、枕元に箒を立てると安産すると言われていた。

そんな箒に関する知識がたっぷりと味わえる施設が大阪にある。掃除用具のレンタルやドーナツショップの経営でおなじみの「ダスキンミュージアム」である。

ミュージアムの一階は「ミスタードーナッツ」に関する展示、二階が掃除に関する展示スペースである。

もともと古代から中世の掃除道具は、棒の先に布のついた「棒ぞうきん」が主流だったらしい。つまりモップである。そういう意味では、ダスキンの先見性というか、こだわりのポイントはものすごく正しい。ましてや、掃除を「卑賤で」「修養的な」行為から、どこか楽しく、率先して行えるようなものにしていくための工夫(洗浄の簡易化、カラーリングなど)という意味では、この会社のやっていることはものすごく意味のあることなのだなと思えてくる。

わたしも最近、掃除機ではなく箒を使いだした。部屋、玄関、ベランダなど、いくつかをぶら下げておく。電源がいらずさっさと細かいチリを取るのには、なんとなくわたしのなかで箒に軍配が上がる。

朝起きたときの玄関周りの掃き出しなんか、いい感じ。昔からやっておけばよかった、などとカズくんを思い出しながら、朝の「勤行」を楽しんでいる。

さらに、たかが箒と侮るなかれ。いまわたしは、ある箒を狙っている。

以前、取材させてもらったことのある、京橋・箒専門店「白木屋仲村傳兵衛商店」(創業天保元年・1830年)の江戸箒。なんとお値段5万円オーバーの代物だ。

イネ科のホウキモロコシを使った職人の手による丁寧な仕上げ。高けりゃいいってものではないが、一度はユーザーになり、レレレのおじさんよろしく、掃いているところを誰かに見られたい、そんなお年頃だ。

もちろん、財布には大打撃である。だが、これも一種の精神修養だと思えば安い。

持つ人は持つ、使う人は使うが使わない人は興味さえ持たない。箒とはそんな「特殊な」民具ではなく、ほんとうはスマホなみに「マイ箒」を、みんなが持つべきものだと思っている。

〜2019年7月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂


【ダスキンミュージアム】大阪府吹田市芳野町5-32
それほど規模は大きくないが、ドーナツショップの軌跡と文化としての掃除の歴史が融合、そんなおもしろい施設である。最寄りは地下鉄御堂筋線江坂駅。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?