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僕らはラジカセの進化とともに生きてきた〜パナソニック、ものづくりイズム館

「おまえら、テープ回してないやろな」

その昔、吉本興業を巡る一連の騒動で話題になった言葉である。

最近では、(テープ)レコーダーはすっかりハラスメントの対抗手段のような代物になってしまったようだ。

ラジカセが子どもたちの憧れだった頃、約半世紀後にこんな言葉が流行るとは思ってもみなかったはずだ。「録音」とはもっともっとたのしいものだった。

ガーガーと雑音混じりにナイター中継を聞いた小さなトランジスタラジオ。オープンリールのテープが仰々しいテープレコーダー。時代が進化し、というか日本企業がものすごく頑張り、これらのふたつが合体、コンパクトなカセットテープを装填する「ラジカセ」が誕生した。

最初は他愛のないものを録音した。自分の声、家族の話し声。まだ接続端子の使い方もわからず、居間で緊張しながら「静寂」を作り、『天才バカボン』の最終回を録音したりした。思い出はそれぞれだと思うが、「ごはんよー」「おかあさん、黙っててよ、もー」という例のアレである。

ラジカセ登場の歴史は、1968年のアイワ製TPR−101が最初である。70年代に入り、各社からじわじわと進化系が発売されたが、まだまだモノラル音声時代。エアチェックに絶大なる効果をもたらすFMチューナー付きのステレオ・ラジカセが登場したときの感動はたいへんなものであった。

ラジカセは、ラジオ・テレビ番組、レコード音源など、いまで言うところの「コンテンツ」をたのしむためのものとなった。現在ほど著作権も厳格ではなく、個人の範囲内で、(おこづかいの都合で)「足りない」コンテンツを自由にたのしんでいた。

ナイターを聞きながら興奮したり、ラジオの深夜放送に耳を傾けたり、好きな曲を必死にエアチェックしてお目当ての女の子に渡してあげたり、肩に担いで大音量でビーチに持ち込んでみたり。それぞれの青春とともにラジカセはあった。

1970年代の後半、ラジカセに新たな潮流が生まれた。カラフルなヘッドホンといっしょにどこにでも連れ出せるポータブルオーディオプレイヤーの登場である。さらにCDの登場やICレコーダーへの移行など、その後の歴史はくどくどと説明する必要はない。とにかく、「映像の世紀」に半歩先んじたかたちで存在していたもうひとつの枠組み「音の時代」を、われわれはけっこうたのしんでいた。

大阪・門真市にあるパナソニックミュージアム「ものづくりイズム館」で家電製品の歴史を味わう。このことは、ユーザーとしてのわれわれの生活を振り返ることでもある。

ナショナルのラジカセ「マック」は、ワイヤレスのマイクが搭載された、当時の中学生の憧れのマシンだった。企業が工夫を凝らした「電気民具」があの手この手でわれわれの五感を刺激し、わたしたちはどれだけの時間を費やしたのか。

友人の買った「マック」のワイヤレスマイクを手に持ち、家の前のガレージに停めてあるクルマのなかからかわりばんこのディスクジョッキー。たいしたことも言えなくて、あーだのうーだの言うばかり。

アレはわれわれの暮らしや情操にいったいなにをもたらしたのかけっこう興味深い。あの高度経済成長時代、暮らしを豊かにするということは大前提なのだけれど、脇道にそれた「路地裏」で、企業も僕たちも、ちょっとこそばゆいような「なにか」に触れていた。

ラジカセだけではない。ものづくりミュージアムに展示してあった、ナショナルの「美顔器」と「お座敷天ぷらセット」がいい感じに僕らの郷愁を誘った。

機能がシンプルゆえ、すぐに定着し長年愛用される、たとえば「たわし」のような民具がある一方で、民具としての「座り」を獲得するまでの間、その「奇妙な」存在そのものをたのしんだ、そんな民具もあるんだなとあらためて思うのである。

〜2019年9月発行『地域人』(大正大学出版会)に掲載したコラムを改訂

一時期我が家で「大流行」していた「お座敷天ぷら鍋」


【パナソニックミュージアム】大阪府門真市大字門真1006番地

創始者松下幸之助翁の物語は圧巻。歴史的に貴重な進化中家電の数々が展示され、本拠地・大阪の地で松下の底力を感じる。最寄りは京阪電車西三荘駅。


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