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小説 -DAWN OF AKARI- 奏撃(そうげき)の い・ろ・は(05)



 深い眠りから覚めたアカリ。
 全身を包帯で巻かれていた。
 スタンドに引っかけられた点滴が滴のように落ちながらチューブを通って左腕に刺した針へと流れ込んでいた。
 指先に装着したパルスオキシメータと、胸部に貼り付けた心電測定の電極から出たリード線はベットサイドモニタに繋がれバイタルサインを告げる微かなビープ音を静かな部屋にリズミカルに響かせていた。
 足元には深部静脈血栓症を防ぐためのフットポンプが設置され、これもリズミカルに両足の圧迫と弛緩をひたすら繰り返している。
 彼女は集中治療室のベットの上で3日間眠っていた。
「気がついたようね?」
 声がする方に顔を向けるとサージカルマスクで顔を覆った長い髪の女性が立っていた。
「回収地点(LDVU)まではたどり着けたようね」
 酸素を供給するためアカリの鼻の穴に差し込まれた経鼻カニューレを取り外しながら女は言った。
 アカリは、ベットから起き上がろうとしたが、全身麻痺と痛みで起き上がることは出来ない。
 彼女はようやく状況を理解した。
「――失敗したわ」
 やっとのことで声が出た。
 聞き取れるかどうか分からないくらい小さな声でそう言うのが精一杯だった。
「少し休みなさい」
 マスクの女が言った。


 レナ・シュミット、アカリが横たわるベットの脇に居るマスクの女の名前だ。
 ファッションモデルのように長身で頬骨が高く、黒紫色のしなやかな髪を後頭部の少し高めの位置で結びその先を垂らしたポニーテールのヘアスタイルがよく似合う。
 米国生まれの彼女はライフル射撃競技ではオリンピック選手にも選出されるほどの才能を持っていた。大学卒業後はその特技を生かし米軍で狙撃手(スナイパー)として訓練を受けた。その後、西側の特殊工作員として紛争地域で活躍した。
 引退後はイギリスに渡り、警備保障会社を設立した。現在、英国最大の警備保障会社G4Sとシェアを二分する『ブラック・サイン・コーポレーション(BSC)』がそれだ。
 表向きは優良企業の経営者の彼女だが、実は非合法の特殊工作員や傭兵の養成と様々な武器の取引をおこなう死の商人の一面も持っていた。
 彼女は、自分の内面を相手に悟られるのを極端に嫌い、仮面(ペルソナ)のごとく掛けているスイスアイ社製のラプターというタクティカルグラスを普段でも殆ど外した事が無い。

 2年前、アリシマノーラン製薬と彼女の警備保障会社BSCは保守契約を結んでおり、別荘襲撃事件の日もシークレットサービスが24時間体制でアリシマ氏の身辺警護おこなっていた。レナは職員からの緊急連絡を受けて現場に駆けつけたのだが、既に遅かった。
 唯一救出できたのは、銃で撃たれて瀕死状態の少女アカリだった。
 警察による事件の捜査は難航し、アリシマ氏の消息は今でも不明のままだ。
 レナは当時、裏ルートを使ってアリシマ襲撃の実行犯までは突き止めた。襲撃したのは中東ゲリラ崩れの傭兵だった。しかしながら傭兵の雇い主までは特定出来なかった。
 アリシマノーラン製薬はアリシマ氏の研究開発あっての会社だった。事件後、屋台骨を失った会社は事業規模の縮小と会社売却を余儀なくされた。その後まもなくしてアリシマノーラン製薬が倒産したのは言うまでもない。
 事件は娘のアカリの体や心にも大きな傷跡を残した。彼女は逃げる途中、銃で撃たれ地面に右顔面を強打したため、顔には大きな傷が残り右目の視力を失ったのだ。
 素直で明るかった彼女は事件を境に心を閉ざしてしまった。恐怖を体験してしまった事により全く他人を信用しなくなってしまったのだ。
 父一人子一人で生きてきた孤独な少女を、レナは引き取り育てることにした。実は、それはジョンの遺言でもあったのだ。彼は以前、もしも自分に何かがあったら娘を守ってくれとレナに頼んでいた。そして強く生きれるような娘にして欲しいと。
 そこでレナは、アカリを立派なレディとして育てるだけでなく、彼女の裏家業でもある特殊工作員としての訓練も受けさせたのだ。身寄りの無い娘にはそれを拒むという選択肢はなかった。まるで『マイ・フェア・レディ』と『ニキータ』という二つの映画を一つのスクリーンで同時上映するようなものだった。
 
 アカリの訓練は、熾烈を極めた。自動車はもとより、バイク・特殊車両にいたるまであらゆる車両の運転技術や航空機からの降下訓練、射撃・爆薬・白兵戦・潜入・脱出など戦場で必要な全ての軍事訓練などや、特殊工作員としては 各種言語・特殊メイクによる変装・尾行・情報収集のためのコンピュータハッキングなど多岐にわたった。
 そして17歳の夏には、中央アフリカのジャングルに、ナイフ一丁と簡易サバイバルキット、3日分の食料と水を持っただけで単独で放り込まれジャングルに潜むゲリラ部隊の基地の殲滅を命じられた。熾烈なトレーニングを積んだ彼女は その任務を完璧にこなした。
 そして18歳になったある日、訓練の最終段階として、ひとつの任務をレナから命ぜられた。
 それはロンドンから約85km南下した海岸沿いのリゾート地ブライトンで、旅行中の一人の日本人を殺害することだった。その日本人とは日本の犯罪組織『ヤクザ』の幹部だ。
 アカリは訓練で身につけたハッキング能力を使って日本の旅行代理店のサーバーに進入し、標的となるヤクザ幹部のイギリス旅行での宿泊先と滞在スケジュールのデータを入手。それとともに自らの移動手段と現地での準備のために、ミナレリ製の水冷4ストローク4バルブ単気筒エンジを搭載したスペイン製の小型スポーツバイク、リエフRS3 125も手に入れた。

 

 ――3日前のこと。 
 標的(ターゲット)の旅行スケジュールによると、滞在5日目の今日は朝から他のヤクザの組員達と共にシーフォードヘッドゴルフクラブでゴルフの真っ最中だった。
 シーフォードヘッドはとてもアップダウンの多いコースなので、ラウンドの疲れから次第にプレイ中の彼らと護衛達の距離間隔があき始めていた。
 アカリは、サイバーパンク映画のコスチュームのような黒を基調にした特注のライダースーツに身を包み、リエフRS3 125で6番ホールの左側にある住宅街の公道からコース内の茂みに侵入した。
 そして茂みにバイクを隠し、体制を低くしながら足早にターゲットが狙えるコース外れのポイントまで移動した。
 アカリはその場所で、ティーショットを打とうとするターゲットを狙撃する体制を整えた。
 狙撃位置を決めた彼女は、事前にその場所に隠しておいた狙撃用ライフルSIGブレーザーR93を少しだけ周りよりも小高くなっている場所に設置し、ライフルのバイポッドを展開して固定した。過酷なトレーニングをこなしてきた彼女にとっては狙撃用ライフル銃で確実に仕留められる距離だった。アカリは伏せうちの体制をとりながらスコープを覗きこんだ。
 突然、彼女の背後で気配がした。
 強い殺気だ。
 アカリは瞬間的に身を翻した。
 見知らぬ男がいた。
 髪を後ろで束ね精悍な顔つきの東洋人。
 手足は長く、贅肉を落とした無駄のない身体。
 薄手の絹のような布――暗黒舞踏の『ツン』と呼ばれる衣装――を身に纏い、手には切っ先の鋭い日本刀。
 間違いなく目の前にいるその男は――敵!!アカリは本能でそう感じた。
 男は素早い太刀捌きで刀を振り下ろしてきた。
 アカリは両手でつかんだR93でその刃(やいば)の重みを受け止めるのでいっぱいだった。
 次の瞬間、男は向かって右側に跳び退いた。
 アカリにとっては失明した右目方向は視角となるポイントだ。
 しかし、アカリはそれを克服する訓練も積んでいた。
 瞬時に体制を立て直し、横に振り払ってきた男の二刀目を間一髪で避け、一筆書きのような一連の動きで低い体制に変えながら、アカリは脇からコンバットナイフを素早く抜き、セイバーグリップで構えた。
 近接格闘(CQC)だ。
 CQCを得意としていたアカリは、アフリカのジャングルでゲリラとの死闘から無事生還出来た。
 だが、今回対峙しているこの男は今まで対戦してきた中では最強だった。
 男はバレリーノのように嫋嫋と身体を撓らせてアカリのナイフの刃先を軽々と避けた。そしてアカリが次の動作に移る隙に、男は一気に間合いを詰めてくる。ダンスをしているような無駄のない動きは羽衣をまとった天女のようでもある。
 アカリも的確な判断と柔軟な身のこなしで、波状攻撃の鋒をかわし続けた。
 しかし体力差なのだろうか? 若しくは経験の差なのだろうか? アカリのほうがしだいに押され始めてきた。
 一瞬、男の刃をかわしきれなかったアカリは、ついに決定的な一撃を喰らってしまった。その後は無残にもサンドバッグ状態だった。
 アカリはその場に倒れた。
 男は動けなくなったアカリを抱え近くに停めてあった自分の車の後部シートに放り込むと、セブンシスターズの近くのフットパスで放り出し、そのまま立ち去った。
 アカリは混濁する意識のなか、なんとか自力でLDVUまでたどり着いた。
 失神する直前、接近する人の気配とオルゴールの音を聴いた。ただそれが幻覚だったかどうかは判らない。
 その後遅れてLDVUに到着したレナの別働隊の訓練兵によりアカリは救出された。
 


 意識が戻ったのはそれから3日後の集中治療室のベットの上だった。

「少し休みなさい」
 ベットの上でアカリは静かに頷いた。

 そう言い残しながらレナは集中治療室を出ようとした。
 その時、普段使用していない予備の携帯電話の着信音が鳴った。緊急時の連絡用にレナが常備しているフィーチャーフォンだった。
 レナは其れを取り出し電話に出た。スピーカーからコックニー訛りの強い男性の声が聞こえてきた。   
 同時にカメラが起動しディスプレイ画面に相手の男の顔が現れた。 
 BSCの装備関連及びシステム担当のエンジニアのトッドマクガイヤー(通称ビッグマック)だった。
 彼は現在リッチモンドのホテルで、BSCで次期導入予定のAI搭載の新型自動警備ロボットの実証配備試験中だ。
 その彼からの緊急電話だったのだ。
 新型ロボットに何か問題が起こったに違いないと咄嗟にレナは思った。
「――どうしたの?」




――――物語は06に続く――――

口絵「RENA」イラスト 無謀王ああさあ

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