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島にいた頃あんなに暮らしが近かったのに、暮らしを豊かにすること(お花とか食事とか香りとか色々?)にはあんまり関心はなかった。逆に東京にきて関心を持ったことが不思議。身近な方の影響ですね。そして自然欲も沸々と湧き上がり、全部体験してきたことなのに、そうじゃなくなってから必要になる
改めて思う、自分は何かの本丸をはやく理解したい、自分の感じたことを把握したい整理したいと思う癖があって、分からないことに時間を割くよりも、ちょっと分かりそうなことにばかり集中したり、短絡的になる、色んなことを一人で完結してしまってるんだわ。
お風呂行く途中に缶のお酒と豚まんを買った
白い蛍光灯のコインランドリーで飲みきれない酒を片手に話した
熱い風呂に入って上がったら頭痛かった
寒い中帰ったけどマスクがあって良かった
オレンジの光が程よい家に帰ったらみんながいた
よい金曜の夜だった
わっはー
色々1ヶ月、無職の1ヶ月、狭間の1ヶ月
こんばんは。今日もお疲れ様です。とnoteが言ってくれました。
ただの日記です。
最後にアルコールを入れたのは1ヶ月前、この際禁酒しようと思う出来事があったので、それからお酒を飲まずにいました。
嬉しいのか悲しいのか、特に困ることはありませんでした。
そして島を離れてからちょうど1ヶ月。(無職1ヶ月とも言える)
いろんな変化がありました。
3月中はグダグダするって決めてたので、本当にずっ
悪い部分とか反対側とかを知って語れるようになりたいと思ってきたけど、やっぱり希望があることは、前向きでいれることは大切なんだと思う。
お餅つきのポテンシャル
・15人くらいでやっても誰も暇にならない
・一つずつの作業が程よい労力と時間
・個性が出る(おもちを形作る時に)
・美味しい、成果物わかりやすい
結果、お餅つきは、複数人・多年代が集まる場でも、結構盛り上がる。
星を見に行ったんだけど曇ってた。うまくいかないこともあるんだね、とその子は言ってた。別のところでうまくいくことが起きますようにと願った。流れ星は見えなかったけど。
自分より他人が自分のことに一生懸命だということ
人としてどうなの?と思うことをしていたらどうするだろう。昨日と一緒。
人としてどうなの?と思うことに直面した時、叱るのは誰なんだろう。
少し理解できないことをした人に対して、指をさしながら嘲笑って噂をする16歳、その噂を聞かされている大人。
当たり前だけど教育は、肩書きや役割を持っている人だけがするものではないというか、限界があると思う。どの場面で誰に言われるかによって、その人に言葉が届くかど
冷静であることが優しさでもあるかな
もし近い人が、自分から見て、人としてどうなの?と思うことをしていたらどうするだろう。
直接的な被害者ではないけど、私は怒っていたし、その怒りをぶつけてやりたいと思う気持ちも正直出てきた。それはテレビとかで流れてくる悲しい事件に怒りを抱くことと似ているかもしれない。
でも、私の目的は私の怒りをぶつけることじゃない。その人が同じことを二度としないような関わりをすることだ。恐怖や罰から行動を変える方
暗さと灯の絶妙な雰囲気があるから、barも喫茶店も好きなんだけど、そわそわすることがある。それは日々何も考えていないからなんだろうなって、何かに浸ることなく日々が流れていくと、小休止はただの空白になる。ような気がするよ。何かがすごく嬉しいとか、何かがすごく悲しいとか。そんなこと。
節目は勝手に気持ちが湧き出てくる
誕生日でした!こういう日に考えることが自分にとって大切にしたい、立ち戻りたいことなのかなと思ったりします。3月に誕生日だと、振り返りやすくて丁度いい。
自分のことに関して
今ここにいながら、先のことを考えることはそりゃするし、仕事内容とかなりたい自分を描いてそこに向かっていきたいとかあるけど、それを考えつつも、今も昔の自分が選んだことなんだから、そこに立っているならまず今目の前。
何を想定してき
やっちまったぁ!豆運びの話
くっは〜note更新8週連続きてたのに、ここで途切れてしまった。
10週連続はいきたかったので悔しいです!
昨日は今年度ラストの寮生誕生日会。
トランプカードの裏側に書いてあるお題をランダムで答えていくゲームをしながら、調理員さんが特別につくってくれたエビフライとアイスとポテチを22:00に食べるという、なかなか楽しいことをした。(ちなみに昨日は休み)
1年間過ごしてみて、誕生日会というもの
流れる季節の真ん中で〜タイトルに歌詞を使いがち
夏休みにいろんな地域から「地域×高校」というキーワードで人が集まる機会があったのだけど、目の前に高校生がいる状況で、いかに高校生がやる気を出すか?みたいなことを話している空間があって、なんか違和感を感じた。他人がその人よりもその人のことを語っている状態だから?みたいな言葉をその時は口にしたけど、半年経って
「本人ではない人が、本人以上に一所懸命な事態は僭越だし足場も悪い」という表現として見つけて、
0か100かではない
オンラインゲームを終了して部屋で一人になったときに、本当に自分がひとりぼっちだと感じて、つまらなさを感じた。このままじゃだめだと思った。
何があったら人は変わるというものでもないんだなと思う。
この力はつけてもらわないといけない、じゃないとここにきた意味がない。きた意味なんてのは他人が決めれるのだろうか。でも他者の関わりによって自分の目的に気づくこともあるとは思う。
先に計画を立て、そこに共感す