大切な人との別れを前にして、心の準備をさせていただいている時期だと感じてきた話
大好きな人が弱っていく姿を目の前にして
先月初めの頃は、歩行器でトイレまで行くことができた姑。
次第に室内用車椅子での移動になり、今では車椅子に座ることも難しい状態になりました。
恐らくそのうちに話すこともできなくなるのでしょう。。。
どんどん痩せて弱っていく姿を見ているのは、辛いものがあります。
そんなときは、ケアマネジャーをしている友人の言葉を心で繰り返し、気持ちの整理をしています。
「枯れていくのではなく、旅立つ為の終活を自身で行ってエコで旅立つ準備してるってドクターから聞いた事あります」
「食べなくてもいいのよって、寝かせておいてあげるのが既に看取りの素晴らしい介護です」
私は姑がいたから強く明るく生きられた
姑がいなくなったら。。。
それを想像するだけでも、心にぽっかり大きな穴が開くような、支えがなくなってしまうような、不安な気持ちになります。
一般的に嫁姑は、世界で一番仲が悪い関係ではないかと思います。
私は奇跡的に、世界で一番相性がいい人が姑でした。
心の支えである人がいなくなってしまって、私は大丈夫なのだろうか?
自立できているような気持ちでいましたが、私は姑を心の支えにしていたからこそ、強く、明るく生きられたのを自覚できました。
大好きな人の最後の時に後悔はしたくないが…
姑が苦しがっている時、そばにいて、できる限りのことをしたい。
どうすれば良いのかわからない時は、すぐに訪問看護の看護師さんか、往診のお医者さまに連絡して何とかしたい!
姑が弱っていけばいくほど、この想いが強くなっていきました。
と同時に、私が姑のことを最優先にし過ぎて、自分の心と身体に無理をする人だということを自覚しようと思います。
以前、認知症の舅の介護の際は、「自分の人生が介護で終わってしまってもいい!」という、チョッと危ないところまで行ってしまいましたので、気をつけたいと思います。
息子のほうが冷静かもしれない
自宅で緩和ケアを始めた当初、発達障がいの息子は大きな変化に心が乱れる日が続きました。
現在は息子なりにできる事を手伝ってくれています。
いつの間にか私より冷静になり、先日こう言いました。
「冷たいことを言うようだけど、限界になる前にホスピスも考えたほうがいいと思うよ」
私が介護疲れで気持ちが少々荒れているときは、息子はサッと自分の部屋に入ります(^_^;)
今は私の心の準備の時期かもしれない
突然心の支えである人が亡くなれば、激しく動揺してしまい、自分を見失ってしまうかもしれません。
今、徐々に終末へと向かう姑を看ながら、私は本当の自立に向けて、ゆっくりと心の準備をさせていただいているように思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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