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私が吃音(きつおん:どもり)という困難の壁をなんとか乗り越えられた話
15、6年前ですが、私は一時期吃音(きつおん:どもること)になってしまいました。言葉が思うように出ない、出てもちゃんと言えない…
これは本当に苦しいものです。
20年も前になりますが息子が小学校に入学した頃から、私は銀行で派遣の仕事を始めました。以前は全く違う業種の仕事をしていましたので、慣れない金融機関の仕事と雰囲気に戸惑いました。
それでも有難い事に、はじめの頃は、時おりある覆面調査の評価で地域で1位になったりしました。
(すみません!軽く自慢しちゃいました。ビギナーズラックです。)
ところが仕事に慣れた(と思った)頃から、徐々に異変が……
仕事の怖さを感じてきたからでしょうか?それとも同居の舅の認知症が悪化してきたストレスでしょうか?私自身でも原因はわかりません。が、言葉が出にくくなっていきました。
頭では「こう言おう」「こう言わなくちゃ」と思っているのですが、言葉が出ないのです。
特に困ったのは「ありがとうございます」をお客様に言えないことでした。接客を伴いますので、これは本当に致命的な感じでした。
「あ、あ、あ、あああ…」となってしまいますので、「あ」を抜かして「りがとうございました」と、なんとか言ってみたり、
または、「お」を前につけると言えたので、「(お)ありがとうございました」と言ったりしていました。もちろん「お」は聞こえないくらい小さな声で言いました。
そんな毎日は苦しいものでした。
できるだけお客様の前に出ないようにしました。次第に周囲の人とも話さないようになりました。いや、話せないのです。
気づけば覆面調査の評価が1位(の時もあった)から最下位という結果に…そこから10か月ほど仕事を続けましたが、「家族の介護」を理由に辞めました。
舅は確かに手に負えなくはなっていましたが、吃音も大きな理由の一つでした。
その後は、ケアマネージャーさんやデーサービスの職員さん、介護用品販売の方々、医師等々とコミュニケーションをとらざるを得ないので、どもりながらでもなんとか話していきました。
因みに姑は手続き関係は「私わからへんから、たおたお頼む!」という人です。(精神的な支えにはなってくれています)
7年前に姑は階段から落ち、要介護になってしまいました。鬱も伴いました。
夫は長年中国に単身赴任中ですので、いつも身近にいません。時おり相談はしておりますが。
上記の環境の中、なんとか毎日を過ごしているうちに知らない間に吃音は無くなっていました。
もしかしたら私の場合は、恥ずかしくてもなんでも、
「家族のためにコミュニケーションを他人と取らなければならない」の繰り返しで、それにより自然に治っていったのかもしれません。
あの時あのまま頑張って仕事を続けていたらどうなっていたか?それはわかりません。何が良いか悪いかは答えが出せません。
それに吃音が無くなったと言えたのはけっこう最近なんです。
ちょっと前まで銀行に入るとフラッシュバックとでも言うのでしょうか?声が出にくくなったりしていました。
気にするなと言われても吃音は気になるものです。落ち込んでみたり、時には自分を奮い立たせながら頑張ったりを繰り返すうちに、時間はかかりましたが、なんとか克服することが出来ました。
たおたおです。よろしければプロフィールも覗いてみてください。
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