日々雑感24

おはようございます。
今朝は日々雑感を綴ります。昨晩は妻の実家に到着した頃にはもう息子は寝ていました。ここ数日は起きている顔をほとんど見られず、ちょっぴり悲しいですが、今日、明日で一旦山場は過ぎそうなので、あと少し踏ん張ります。というわけで、今日は人間誰しもいろいろな「悩み」を抱えていると思いますが、その悩みについて、最近思うことを述べます。

まず、悩みについて書く前に、「メンター」の存在について。みなさんには、メンターがいますか。僕は教育関係の仕事をしているので、その各所方面にメンターなる人がいます。それは、正式にメンターになってくださいとお願いした人もいれば、こちらが勝手にメンターと思っている人もいます。どちらも自分が困ったときに助けてくださり、さらに貴重な示唆をいただける唯一無二の存在として大切にしています。

次に、そもそもみなさんは何かがあったときに悩みますか。僕は全くと言ってよいほど悩みません。悩みばっかりです、という人もいれば、僕と同じように悩みません、という人もいることでしょう。では、僕はなぜ悩まないのだろうか?とずっと考えていたのですが、ここ最近その答えの一つが分かったような気がしています。というのも、僕は完全なる理系(◯ケモン風に言えば、りかけいのおとこ)なので、この悩みについても、その理解を何とか体系化したいとずっと思っていました。

一言で言えば、「悩んでいることは他人事で考え、悩んでないことは自分ごとで考える」ということです。どういうことかというと、悩んでいることに対し、多くの人は、自分の気持ちで考えてしまうと思います。しかし、悩んでいることこそ、「自分のメンターならどう考えるだろうか?」と他人事で考えるようにし、悩んでいないことを「自分ならどう考えるだろうか?」と考えるという意味です。よく分からないと思いますが、実例をあげると、イメージをしやすくなります。つまり、「◯◯が上手くいかない!」と自分が悩んでいるときは、メンターならばどうやって乗り切るか、とメンターの気持ちになって考えてみる、つまり想像する主語を他の人にすること。また、悩んでいないこと、例えば、他の人が悩んでいそうなことは、自分が主語で考えるようにしてみるということです。

こうすると、悩んでいることがいい意味で他人事になり、前に進むことができるようになります。一方、悩んでいないこと、つまり他の人の悩みなどを自分ごとで考えれば、それを解決すべきは相手なので、最悪解決しなくてもよいわけです。このように、頭の中を切り替えるだけで、結構乗り切れることが多いのではないかとここ最近感じています。みなさんはいかがでしょうか。よろしければ、コメント欄にコメントをください。

ここまでお読みいただきありがとうございました。よろしければ、「スキ」もよろしくお願いします。

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