ダイゾウ

ヒネクレ者の活字中毒症患者に向けてヒネクレた雑文を書き散らかします。投げ銭は執筆時のビール代。 某国立大に八年在籍した挙句中退。大学時代のシーシャ部の活動を経て、現在は東高円寺でアートスペース兼イベントスペース兼遊び場のTKA4を運営。

ダイゾウ

ヒネクレ者の活字中毒症患者に向けてヒネクレた雑文を書き散らかします。投げ銭は執筆時のビール代。 某国立大に八年在籍した挙句中退。大学時代のシーシャ部の活動を経て、現在は東高円寺でアートスペース兼イベントスペース兼遊び場のTKA4を運営。

最近の記事

悪い酒を食ってしまった

 悪い酒を食ってしまった。悪い文章を書く。こんな文章を好き好んで読む最低限文化的な読者同志諸君であればお分かりいただけると思うが、酒は感情の増幅装置である。いい仲間と楽しく飲めばより楽しく酒が飲めるし、独りダウンに飲めば底なし沼の底ってやつを見つけてやろうじゃないかという具合に落ち込んでいける。  前回のホラーの話で僕は反省した。いくらなんでもダラダラとまとまりのない牛の腸なみに長い文章、いや牛の腸の方がまだ消化器官として立派なものだ、現に牛は現代まで絶滅せずに生き延びてい

    • ホラーの話

       ガスが止まった。ガスと電気の契約を打ち切られたのだ。1年半ほど支払いが滞っていたそうで、もはやその習慣が廃れつつ今ではこの比喩を読んで頷くのもある程度の年齢以上の人かあるいはよほど筆マメな人であろうが、在りし日の年賀状のごとく分厚く輪ゴムで束ねられた請求書がポストに鎮座ましましておられやがった。某電力会社に電話をして聞けば「コロナウィルスの影響で一時的に請求を停止していた、このところコロナが落ち着いてきたので請求を再開した」とのことだった。果たして選挙前となって胡麻でも菜種

      • 信仰と敬意の話

         「確信ある人間は必ず勝利する」。これは僕が浪人時代お世話になった世界史の先生の座右の銘で、僕の山川用語辞典にサインとともに書かれている。  ....あ、いやいや大丈夫ですよオカルトもスピリチュアルもモチベーショナルもない毎度お馴染みグッダグダのヨイドレ文章です安心してください。なんなら真逆かもってもんでアヤシイもんじゃございやせん。ま、アヤシイ奴に限ってアヤシイもんじゃございやせんなんて言うものよね。アヤシイ奴のパラドックスだ。  読者同志諸君、どうもお久しぶり。今日も

        • ビールの話

           ついに!ついに!ついに!!!晩酌のラインナップにビールが復帰した。フドウサンを説き伏せ半ば強引に分割払いにしてもらったアパートの更新費をようやく払い終え、もはや桜も散り去り花粉が舞う季節(僕はスギ花粉ではなくイネ花粉に苦しめられている。花粉も終わって5月の爽やかな風が〜と窓を開け放つ連中に殺意を覚えたことは一度や二度ではない)になってようやく多少とも懐具合に微かに春の陽光が射し届いて来たのである。とは言えビール自体が久しぶりかと言えば実はそんなことはなく、先月まではTKA4

          "The Final Parade"の話

           以前書いた「宇宙!」と叫ぶ瞬間は何も同時にやって来るだけではなく、時間差をつけて来ることもある。そういや振り返ってみれば「宇宙!」だったな、といった具合に。先日作業用BGMとしてふと思い立ち、実に久しぶりにThe Mighty Mighty Bosstonesを聴いていた。音楽となればどんな物であれ日々の生活に必要不可欠であることに議論の余地はない、と言えば読者同志諸君も首がモゲんばかりに頷いてくれるところであると思うが、それでもやはり好き嫌いはある。BUNCAの記事でも書

          "The Final Parade"の話

          TKA4オープンスペース(とちょっとだけ酒)の話

           いやはや見事にやらかしてしまった。2週間に1本ほど記事書きたいなんて言いながら前回の記事を書いてもう1ヶ月。うーむ光陰矢の如し、いやもはや弾丸だなあなんてあごヒゲを撫でてカッコつけている場合ではない。三日坊主と至極真っ当な罵りを受けても全く返す言葉がない。毎度のことながら情けない限りだ。  端的に言って、「書くという行為以上の意義」「書くという行為によって獲得されうる目的」に目を眩まされてしまったのだ。前回の記事でROGの現状を伝えたこと、また『情況』からココにたどり着いて

          TKA4オープンスペース(とちょっとだけ酒)の話

          『情況』、怒りの追記

           宇宙は時々僕たちにイタズラをしかけてくる。あ、いや、ちょっと待って違うんです別にスピリチュアルな話をしているわけではないんですよ。説明します説明します。ちょっとただの偶然では片付けられないような出来事が奇妙なまでに重なる経験は読者同志諸君にも思い当たるフシがあると思う。そんな時僕たちは仲間内で指を鳴らしながら天を指差し、「Universe!」と叫ぶのがお決まりになっているのだ。まーたヤリやがったな、宇宙の野郎!という具合。別に運命論者であるとか宇宙教信者であるとかいうわけで

          『情況』、怒りの追記

          儀式の話

           僕は友達が少ない。こんな文章を書くような奴に友達がたくさんいてたまるか、と読者同志諸君もお思いだろう。しかし申し訳ないながら友達の幅は広い。大学の頃から僕の周囲にはそれぞれの属すべきとされるコミュニティから流れ出した流れ者、ハグレ者、ハミダシ者が集まってくる。まあ奴らにとっては僕の方が彼らの友達の1人なので、僕が彼らにとって唯一の常識人という可能性も捨て切れない。あえて類は友を呼ぶ、という表現は避けることにしよう。  そのうちの1人、かつて僕の大学に留学していたスペイン人の

          新年の挨拶に代えて/誰がために僕は書く

           年が明けた。別に日付がちょこんと変わったところで、我らが地球がお天道さんの周りを一周したところでめでたいこともなかろうが、まあ何かと厳しいこの賑やかに荒廃した世界で無事に1年サヴァイヴできたことを(ヒートアイランドの灼熱を知らぬ歴史的な観点で見れば)生命が最もサヴァイヴに適さない真冬の極寒中祝い合うというのもわからないでもない。僕自身ヨレヨレの千鳥足ながらなんとか一年無病息災無事に過ごし、そもそも2020年夏のトウキョウ・クソッタレ・オリンピック後には取り壊される予定であっ

          新年の挨拶に代えて/誰がために僕は書く

          スズキコージの話

          ※勝手かつ個人的な雑文です。スズキコージ氏本人の意思、主張とはなんの関係もないし、なんの根拠もありません。悪しからず。  12月。師は走り、クリスマスを突き抜けて大晦日へと突入する。読者同志諸君には何か年の瀬の年中行事はあるだろうか。比較的外部的な暦に縛られず生きている、というか生きようとしている僕でもソワソワと浮き足立ってしまう。クリスマスが近づくにしたがっていよいよそれは強くなる。毎年恒例の自らに課した巡礼期がやってくるからだ。ああ、何かを好きとは辛いものだ。セッセと時

          スズキコージの話

          BUNCAの話

           そのジャズ喫茶”BUNCA”はS県はT線、S駅にあった。僕の住んでいた駅から東京方面へ2駅。その駅から歩いて5分。薬局の上、雑居ビルと言うにはちょっとハイカラで複雑な形のビルの2階だ。狭く急で緩やかに曲がる階段を登ると頑丈な木のドアがある。ドアの上にはネオンサインがあり、「Coffee」「Open」が点灯している時はお店もやっている。逆に言えば、店まで行って通りから見上げなければその日営業しているかどうかもわからないのだ。  初めて僕がBUNCAに足を踏み入れたのは1990

          文化と活字と中毒の話

           ニコチン、カフェイン、アルコール。この島国では貴重な合法かつナチュラルな身体依存性のある毒物を、僕は三大栄養素と嘯きつつ摂取し続けている。大変ありがたいことに煙草もコーヒーも酒も身体に悪いという衝撃の新事実を僕に教えてくれる立派な御仁方も周囲にいないわけではないが、申し訳ないながら僕は今のところこれらの悪癖から足を洗う気は一切ない。そのくせ料理となると外食を避けせっせと栄養バランスを考えて日々自炊に勤しむ、くわえ煙草でウロウロと歩く矛盾が僕を含めた人間というヤツなのだ(文字

          文化と活字と中毒の話