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スズキコージの話

※勝手かつ個人的な雑文です。スズキコージ氏本人の意思、主張とはなんの関係もないし、なんの根拠もありません。悪しからず。


 12月。師は走り、クリスマスを突き抜けて大晦日へと突入する。読者同志諸君には何か年の瀬の年中行事はあるだろうか。比較的外部的な暦に縛られず生きている、というか生きようとしている僕でもソワソワと浮き足立ってしまう。クリスマスが近づくにしたがっていよいよそれは強くなる。毎年恒例の自らに課した巡礼期がやってくるからだ。ああ、何かを好きとは辛いものだ。セッセと時間を見繕って出掛けねばならない。ソワソワと浮き足だった丸ノ内線に乗り込んで、四谷三丁目へ。

 もちろん僕はクリスマスのことを言っているのではないし、大晦日のことを言っているのでもない。四谷三丁目と曙橋のちょうど中間あたり、閑静な住宅街にあるこじんまりとしたカフェ”ゑいじう”の2階のギャラリースペースで毎年この時期にひっそりと開催されるスズキコージの個展に足を運ばなければ、僕は年が越せなくなってしまったのだ。
 カフェスペースには目もくれず、店員さん(またも年配の夫婦だ)への会釈もそこそこに階段を勇足で上がっていくと、「異国」としか言いようのない奇妙な騒音がクレッシェンドする。階段を登り切る頃にはもう他に聞こえる音はないくらい僕を爆音が包み込む。外は住宅街、環境音はほとんどないし、カフェのBGMでもない。じっと耳と目を1枚1枚の絵に傾けると、その音はそれぞれの絵から洪水のように流れ出た音楽が渾然一体、濁流となって渦巻いてできたものであることがわかる。

 スズキコージほど「絵描き」という肩書きが似合う人はいないと思う。「画家」も「絵本作家」も「芸術家/アーティスト」も僕にはしっくりこない。優劣をつけるツモリは毛頭ないが、後者3つなどは「絵を描くことによって何かを表現する」「何か表したいことがあり、その手段として絵画を用いる」というような段階性が感じられる。そこをいくとスズキコージは「絵を描くこと」がそのまま彼の実存に直結している。絵を描くことによって云々、ではなく、絵を描く。ここに終止符が打てる人に相応しい肩書きは「絵描き」でしかないと僕は思う。言葉を選ばず言えば、彼は我々とは違う回路で実存をすくい上げる、ちょっとイジョウな人なのだろう。段階的自己実現などすっ飛ばして本能と実存が比翼連理と絡み合い、そのまま支持体にぶちまけられる。僕が陳腐な表現を使い回すのはいつものことではあるが、あえて言うならそれは子供の自己発露に近いのかもしれない。

 彼の絵を端的に1字で表すなら、「魔」という字が当たる。悪魔、魔物、魔法、魔術、魔性、魔神、魔人、魔女。いや、ちょっと待て、せっかくなので正確に、2字使って熟語をでっちあげてみよう。「魔楽」。じっさいにこんな単語があるかどうかはわからないが、我ながらなかなか的を得ていると思う。
 彼の絵はとにかくヤカマシイ。目に見える音の大洪水だ。彼の絵を見て無音を得る人間は世界広しと言えども皆無だろう。彼がモチーフとして楽団、特にジプシー/ロマのものと、メキシコのマリアッチを好むのも関係がないとは言わないが、楽団がモチーフとされない絵からも混沌とした極めて原初的な音楽が鳴り響いてくる。もちろん本意不本意は本人に聞かなければ知るよしもないけれど、そこに美しいハーモニーや静謐なメロディーはない。絵をみながら耳をすますとほら、微かに聞こえてくるでしょう?なんてそんな生やさしいものではないのだ。彼の絵が視界に入った瞬間から耳をつんざく大轟音、大狂乱のまさしくラプソディーがあたり一面を埋め尽くす。果てしなく明るく悲しく楽しい不協和音どもがズンドコビャービャーと野を、山を、街角を舐めくりまわし儀式的祝祭で塗りあげる。太古の儀式は火を囲み、とにかく音が出るものを打ち鳴らして、声ある者は叫びを上げて行われていた。これこそが人を人たらしめている無駄の局地、人生で最も重要な文化だ。果たして、見ているだけで文字通り踊りだしてしまう絵がジッサイこの世にはあるのだ。1階のカフェスペースの方達にはドッタンバッタン大変申し訳ないながらしょうがないじゃないか。悪いのはスズキコージの絵だ。魔の音楽。魔楽。
 彼の絵はとにかくサワガシイ。刺青中毒になるともはやモチーフは関係なく、無地の肌があると不安で仕方なくなりなんでもいいから刺青で埋めてしまいたくなるということは身をもって実感しているが、彼の絵には空白というものがほとんどない。絶対的足し算の美学。しかも空間を埋め尽くすモチーフたちに、静止しているものは1つとしてない。動かざること山の如し、のはずの山まで身を揺らしている。彼自身ポスターを描いていたクストリッツァの『黒猫・白猫』という映画にはバルカンのジプシー/ロマたちの結婚式のシーンがあるのだが、もう画面上がめちゃくちゃな大混乱なのだ。そこに目線の固定はない。足元から空の上まで所狭しとあらゆる人、動物、モノが飛び交い躍り狂っているのである。しかしスズキコージの絵はある意味それ以上だ。人、動物、モノはもちろんのこと、よくわからない小さな魔のものたちまでが絵を埋め尽くしている。アイキャッチであろうモチーフたちをダイナミックに踊らせておきながら、その足元から脇の下から肩の上から妖精とも妖怪ともつかぬ魔たちが遊びまわっている。そのどれもが実に楽しそうなのだ。異端、異物に対して彼は限りなく優しい筆を当てる。彼の絵に「ナシ」はない。どんなに異形の者でも、どんなに小さな者でも等価に暴れまわる。パンクだ。モッシュピットだ。去年(2019年)だったか、「魔ヨケ」と題された作品が展示されていた。いやいやいやいやコージさんよ。嘘をつけ嘘を。こんな楽しそうな魔の絵を見たら魑魅魍魎あらゆる魔物が大喜びで暴れ出し百鬼夜行の大パレードになっちまうぞ。魔ヨケ、ではなく魔モノホイホイとか言うのが正しい。魔が楽しい。魔楽。
 こんなものを頭の中に詰め込んでいたら、こんなものが頭の中を躍り狂っているなら、こんな魔楽を飼っているなら、そりゃ絵にして吐き出さなければおかしくなってしまうだろう。そしてそのように吐き出された絵を、吐き出すスズキコージを見ることが、おそらく僕にとってある種の救いになっているのかもしれない。

 スズキコージを僕に紹介したのは悔しいながら例によって両親であった。我が家は家計に占める書籍代の割合、ホンゲル係数(と、普通のエンゲル係数も)極めて高かく、とにかく大量の絵本を入手してくれていた。中でも子供のブットンだ脳味噌をかき回したのはスズキコージの絵だった。彼の独特の言語感覚も僕の言語野を攪拌しまくったらしく、今ではこんな具合の文章を書くようになってしまった。
 中学のころ、両親に連れられて年末にゑいじうに来た。ゑいじうのギャラリーは2階にあることはすでに述べたが、1階に絵が飾られることも少なくなく、特に階段脇のスペースでは毎年描き下ろしの年賀状が売られていた。両親は何枚も飾られた手描きのそれを吟味し、最もアナーキーな1枚を買って印刷し年賀状としている(おそらく今年もゑいじうに足を運び、じっくり吟味した上での1枚を東京の我が家に送ってくれることだろう)。両親が年賀状に釘付けになっている間、僕は同じくグッズ販売されているマグカップに釘付けになっていた。アコーディオンを弾く覆面の男の股の下からヤギが見上げるのはXの文字のように配置された踊り子とギターを弾く骸骨、その背後にはヤギだか牛だかがこちらを睥睨し弾き手のいないヴァイオリンに犬のような獣の背中に支えられたテーブルから”ZEX”とラベルのついたワインのような液体がこぼれ落ち.....。
 僕の通っていた塾はちょっと変わったところで、生徒たちが個人個人でカップを持参し、コーヒーやお茶を自習中に飲んでいた。この塾も奇妙奇天烈なところだったのでいつかまた書きたいと思う。とにかく順調にコーヒージャンキーの道を歩んでいた僕は、どうせコーヒーを飲むならモノはウツワとカップにもこだわりたかったのだ。そのスズキコージのマグカップは使い勝手からデザインまで完璧だった。
 ホンゲル係数(とエンゲル係数)が極めて高い我が家で、本(と食品)以外が買い与えられることはほとんどなかった。おもちゃも服飾品も、必要である、と親が判断しない限りは買ってもらえない。元来の性格もあったのかもしれないが、僕は今でも物欲より事欲が遥かに強い。欲しい、よりもやりたい。親がどう感じていたかはわからないが、おねだりをすることもあまりなかったと自分では思っている。だから、このマグカップが欲しかった時、このマグカップを珍しく親にねだった時、両親も僕がただマグカップが欲しいと言っているのではなく、このマグカップで日常的にコーヒーが飲みたい、このマグカップでコーヒーを飲むということを僕の人生の一部にしたいのだ、という僕の言外の訴えを察したのかもしれない。結局両親はほとんど渋ることなくこのマグカップを買ってくれたと記憶している。このマグカップはこれを書いている今、パソコンの横でコーヒーを湛えながら僕に音楽を届けている。ちなみに、流石に20年近く使ってきているせいもあってかある日ギターを弾く骸骨の顔だけがいつの間にか綺麗に欠けてしまっているのを見つけた。接着剤で直そうと破片を探したが結局どこにも見つからなかった。これには我が家に住み着くイタズラ好きで姿の見えない「ヤツ」が関与していると思うのだが、これもまた別の機会に書くことにしよう(こればっかですんません)。スズキコージのマグカップがスズキコージが好んで描くような魔のモノにイタズラされるなんてちょっと気が利いている気がするので、僕はあまり悲しくもないし怒ったりもしていない。

 先日12月の22日、久しぶりの電車に少し戦々恐々としつつゑいじうに足を運んだ。平日ということもあってか客もおらず、何も注文せずに絵だけを見るのが少しだけ申し訳なくなりつつもそそくさと2階に足を運ぶ。スズキコージはどうやら自分の中に流行があるらしく、ある時は切手などを用いたコラージュ、またある時はボールペンを多様、はたまた切り絵と貼り絵がほとんど、と絵の手法に波がある。僕は恥ずかしながら絵画技法に明るくはないが、今年は例年より少し穏やかなものだったように感じた。あるいはそれは彼の年齢や病気と関係があるのかもしれない。それでも僕は足でリズムを取り、1階にも飾られた絵を見る際にはカウンターに構えた老夫婦に胡乱な目を向けられた。
 トイレを借りた時、鏡に映った自分を見て、1つの謎が解けたような気がした。モヒカン、三つ編み、髭面に革ジャン、ポンチョを着て目の周りを黒く塗り上げた大男。そうか。僕はスズキコージの絵に描かれる魔のものたちになりたかったのだ。カバンにはムックリを仕込み、下手くそなギターやヴァイオリンを片手に飛び跳ね、スペイン語を勉強してメキシコ料理屋でバイトをし、親友と共にバルカン半島を旅する。高校大学の時分は髪をスパイクに逆立て、パンクにひた走っていたのも、小学生のころに三つ目になりたいと祖母にねだっておでこに目を描いてもらっていたのも、世界を原初的に初めて捉えたのがスズキコージの絵だったからだ。異端にして異形、しかし画面を所狭しと大暴れし魔を楽しむべく踊り狂うスズキコージの絵の登場人物(と言っていいのかしら?)になりたかったのだ。
 父よ、母よ。小学生の三つ目に苦笑いをし、大学生のトゲ頭に眉をひそめ、いい年したおっさんのモヒカンとアイメイクに呆れ返っていた両親よ。僕に魔の世界を、僕にスズキコージを紹介してくれて本当にありがとう。


終わり。

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