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文化と活字と中毒の話

 ニコチン、カフェイン、アルコール。この島国では貴重な合法かつナチュラルな身体依存性のある毒物を、僕は三大栄養素と嘯きつつ摂取し続けている。大変ありがたいことに煙草もコーヒーも酒も身体に悪いという衝撃の新事実を僕に教えてくれる立派な御仁方も周囲にいないわけではないが、申し訳ないながら僕は今のところこれらの悪癖から足を洗う気は一切ない。そのくせ料理となると外食を避けせっせと栄養バランスを考えて日々自炊に勤しむ、くわえ煙草でウロウロと歩く矛盾が僕を含めた人間というヤツなのだ(文字通りの歩き煙草は場所と状況を考えて。念の為)。
 一生命体の自己保存には一切寄与しない、なんなら害しかもたらさない無益で無駄な活動。それこそが文化であると僕は思う。そこには僕のタナトゥス的自己破壊衝動と、無駄を愛しみ、百害から一利を探すことに粋を感じるヒネクレ天邪鬼根性もあるのだろう。考えてみれば料理だって、必要最低限の栄養を摂れれば済むところをあえてデタラメな手間暇かけて目に楽しく口に美味しく鼻に香しくしようとする実に非動物的、不自然で奇妙な行為だ。料理は人類最古の文化とも言えるかもしれない。

 つまるところ、僕は文化的な人間でありたいのだ。文化的な人間でありたい僕はせっせと自らを様々な無駄無益と中毒関係で結ぼうとしてきているが、とりわけ活字との蜜月関係は切れそうな気配がない。身体にいいか悪いかは別としても、その舌で舐めるがごとく目を走らせる摂取方法から活字もコーヒーや酒に近しい嗜好品と言えるのではないだろうか。ちょっとした息抜きに僕は(チラシや広告も含めたあらゆる)活字を一服する。
 元来僕は極めて理屈っぽい人間であることは、ここまで読んでくれた読者同志諸君には疑うべくもないと思う。端的に言えば、僕は世界を圧倒的にシニフィアン的言語情報で捉えているのだ。なので、漠然と空想をすることがあまりできない。思考性多動傾向も相まって頭の中では常に言語的思想が渦巻いている。正直これは頭に負荷がかかる仕様らしく、それを解放するためなのか僕は(時たまトラブルを巻き起こすほど)独り言が多い。「こんな独り言を言っていたらヤバイ奴に思われちゃうなあ」と電車内で独り言を言ったときには周囲の乗客が心の中で大きくうなずく様子が手に取るようにわかり、いよいよ他人の思考が読めるようになったかと興奮したがこんなものテレパシー能力なんぞ持ってなくても誰だってわかるので咳払いと苦笑いでごまかした。イラついてるわけでもないのに舌打ちをしてしまうのもこの負荷がチックとなって出てきているのだろうか。
 時々いらぬ怒りをかったり相手によっては周囲に溶け込めないことを除いて、今まで特にこの性質のために苦しんだ記憶はないことは明記しておきたいが、それでも僕は比較的内向的で、本に溺れる少年時代をすごした。本ばかり読んでいて理屈っぽくひねくれたのか、理屈っぽくひねくれていたから本ばかり読んでいたのかはもはやニワトリと卵である。おかげで僕は鼻持ちならない不良優等生へ成長した。読むことと同時に書くことも好きになったため、作文の宿題なんて大喜びでこなしていた。特に読書感想文は、自由選択にも関わらずあえて課題推薦図書を選択しては一生懸命に粗を探し、屁理屈を並び立てボロクソに批判してみせていた(この傾向は課題が大学のレポートになっても変わらなかった)。授業中もブツブツ鼻唄まじりで独り言を言っていたり本を読んだりしていて、そのくせテストは漢字テストを除いて(漢字テストに限らず、理屈っぽい理論回路に回収できない一問一答丸暗記系は平均を大きく下回って苦手だった)大体満点だった。我ながら実にカワイクナイ子供である。
 いくら平成個性万能世代とは言えこんなカワイクナイ子供を個性だ個性だとカワイガル大人は周囲にほとんどいなく、僕はいよいよヒネクレた。すなわち他者からの承認をいよいよ求めなくなったのだ。正確には、他者からの承認を求めないという点に自己承認を求めたのかもしれない。他者からの承認を希求しなくなるのと反比例するように僕は自己からの承認を求め、自らに対する採点はいよいよ厳しくなった。そこに元来のヒネクレ天邪鬼気質が加わるとどうなるか?中学二年の冬、僕はもう一人の自分と出会ってしまった(この出会いそのものについてはまた別の機会に書きます)。自分のなすことすべてに満足がいかない。どうせ満足がいかないならやらなくても同じだ。結果、僕は「将来の夢」なるものを一切持たずに成長した。才能のない完璧主義。究極の自己検閲。実存からの拒絶。自分の期待を裏切り、自分を落胆させる自分。何をしていても聞こえる暗く嫌味ったらしいもう一人の自分の声。これで完成か?いや、こんなもんだよな。やめちまえよ。完璧にできないならやる意味ないじゃん。声を打ち消そうと出る独り言。かえすがえすも、このことで特別辛く苦しく思ったことはない。絵が上手になるために勉強するくらい絵が好きだったらなあ。ギターが上手になるために練習するくらいギターが好きだったらなあ。たまにそんなことを思うくらいだった。

 悲しいかな僕は才能のない完璧主義者ではあるが、なお悪いことにネオリベ資本主義社会において一消費者に甘んじるをよしとしないアナキストでもある。一昨年(2018年)から東高円寺で運営しているアートスペースTKA4で、もう一人の自分の目を盗みつつ絵を描いたり映画を撮ったりヴァイオリンを練習したりして遊び、無駄たる文化の消費者のみならず生産者でいようとしているうちに、自分が根っからの活字中毒症患者であったことを改めて意識するようになった。自家発電と言うと大袈裟だが、僕はよく夜中に酒を飲みながら一人で文章を書き、また以前に書いた文章を読み返したりしている。エッセイ、小説、論考。風の向くまま気の向くまま筆の行き先はお天道様任せ、と言いたいが夜中なのでお天道様は大イビキだった。内容はともかくあまり人に読ませることを前提にせず、ダラダラ頭の中に渦巻く言葉のパレードを並び立てるのだ。逃げ場を見つけた言葉たちは僕の頭に負荷をかけることなく排泄され、自分の中のもう一人の自分も平等にアルコールの支配下に置かれ過去の自分に対して一気に甘くなる。二人仲良く過去の自分にツッコミをいれ、まるで他人の文章を読むように共感や反感を覚える。遅ればせながら気づく。あれ?ひょっとして僕が好きなことって、これ?
 てっきり僕は何か好きなこと、文章に表したいくらい中毒になっていることが大前提としてあって、それについて書かなければ意味がないと勝手に思い込んでいたのだ。服ではなく肉体。革袋ではなく酒。絵ではなくモチーフ。僕が(能動的な意味で)中毒になっていたのは、読んだり書いたりする内容よりも読んだり書いたりする行為そのものだったのだ。僕は自己の中心に空虚な空間が多いのかもしれない。夏休みの読書感想文に自分の好きな本よりもあえてクソほども面白くない課題推薦図書を選んでいたように、大学のレポートを友人の分までなかば奪い取るように書いていたように、内容なんて適当にお題をもらえれば嬉々として書いていたではないか。ラーメンではなくどんぶり。シニフィエではなくシニフィアン。書く内容ではなく、書くという行為。

 基本的には自産自消の書くことと独りで読み返すだけを志向した文章にも内容が伴うことがあった。こんな時は雑文と称しつつFacebookに投稿したり同じく活字中毒の友人に送りつけたりしていたのだが、戻ってくる反応はどちらかと言えばポジティヴにドライなものがほとんどだった。いや、悪い意味で言っているのではない。考えてみると自分に対し異様なまでの検閲をしていたのは自分自身だけであり、彼ら彼女らはちょうど僕が他の活字たちを消費するように僕の活字を消費してくれていたのだ。人に読ませることを前提にした文章の推敲が終わることはシラフの僕にはまずない。自重落下を始める地点まで酔いの勢いをかって押し出してやらなければ、いつまでも水面を叩く音は聞こえないのだ。そして推敲などほとんどしていない僕の脳内直結文章を、ちょうど僕が暇さえあればしているように舐め尽くしてくれる人間が、どうやらこの世にはいるようなのである。

 今年(2020年)、11月。あるアナキストの友人から突然連絡があった。決していわゆる大手ではないが、それなりの本屋なら大抵置いてある雑誌からの原稿依頼である。僕の兄貴分や兄弟分が運営するバルカン半島はスロヴェニアの自治スペースの話だ。依頼された文字数の倍近い文字数をほろ酔いで書き散らしたところ、そのまま掲載していただけるということになった。酔生夢死がモットー(あとオリジナルの意味じゃない方の鶏口牛後ね)の僕だが、「将来の夢」を持たぬまま夢を叶えてしまった気分である。

 そんなわけでいい機会かと思い、こんな具合のイイカゲンな文章をばらまく場所を作ってみた。先述のTKA4でもブログを開設しており何度か書いていたが、やはりTKA4の看板のことを考えると内容の伴わない適当な文章を撒き散らせそうにない。TKA4とは少し距離を取って個人的に始めてみようと思う。
 矛盾だらけの筋の通らない文章も多いだろう。居酒屋で知らぬ隣席に絡む赤ら顔のオッサンのごとく同じ話を何度もするかもしれない。僕の自己満足、排泄行為、インテレクチュアル・マスターベーションに付き合ってくれる読者同志諸君に望むことはなにもない。ライクやシェアもお願いはしない。当然文章はすべて例外なく無料公開する(投げ銭は執筆用のビール代にさせていただきます。万が一してくれる人がいた場合)。ただ、なにぶん熱しやすく冷めやすい三日坊主の僕のこと、おまけに地獄のような怠け者で、どれくらい怠け者か例をあげるのは面倒くさいのでここには書かない。二週間に一回程度は更新したいと考えているので、もし更新が滞っていたら個人的にでもケツをひっぱたいてくれるとありがたい。もちろん、アナタが僕と同程度の、こんな具合の文章でいいからもっと摂取したいと考える重度活字中毒症患者なら、だが。


終わり。

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