ビールの話
ついに!ついに!ついに!!!晩酌のラインナップにビールが復帰した。フドウサンを説き伏せ半ば強引に分割払いにしてもらったアパートの更新費をようやく払い終え、もはや桜も散り去り花粉が舞う季節(僕はスギ花粉ではなくイネ花粉に苦しめられている。花粉も終わって5月の爽やかな風が〜と窓を開け放つ連中に殺意を覚えたことは一度や二度ではない)になってようやく多少とも懐具合に微かに春の陽光が射し届いて来たのである。とは言えビール自体が久しぶりかと言えば実はそんなことはなく、先月まではTKA4を訪れる白屋襤褸の御同胞たちがせっせとビールを差し入れてくれた。物は試しとここに書いたお願いがどこまで効果があったかはわからないが、読者同志諸君に感謝の念を捧げて悪いことはあるまい。どうもありがとう。
以前ここにも書いた通り、ここ数ヶ月は晩酌の中心にはウィスキーを据えていた。Bowmoreというアイラ・スコッチの女王陛下を1ビン抱え込み毎夜ダブル程度の量をチビチビ舐めていたのである。決してこれが悪かった、嫌だったというわけではない。味にもコスパにもケチをつけようなるツモリは一切ない。ただ、もちろん最低限度を遥かに超えて文化的な読者同志諸君においては言われるまでもないことであると確信しているが、酒というのは飲んで酔えればそれでよし、などという機能性や効率のみを追求する無味乾燥で無粋なものでは全くない。すなわち、酒によって酔いも変わるのである。そしてその酔いをコントロールすべく酒の種類、銘柄、アテ、そして場所や音楽を含めた環境などを遍く考慮に入れて酔っぱらうのがあらゆる意味でムダを愛する文化人というものではないだろうか。
酒の酔い、という極めて身体的な感覚を言語化し描写するのは当然極めて難しいが、ウィスキーとビールの酔いをあえて一言で描写しようとするのならばウィスキーは静、ビールは動と言うのが最も的確であろう。ウィスキーはジワリと染み込む陰の酒であり、ビールはゴブリと流し込む陽の酒、といったあたりが分かりやすいかもしれない。酌み交わす相手がいるとなればウィスキーは静かな会話、ビールは狂乱の舞踏会と言える(もちろん比喩であり、ウィスキーを飲みながら足を踏み鳴らすこともあればビールを飲みながら言葉を交わし合うことも行動の上では当然ある)。映画好きの同志諸君であればウィスキーは単館上映のアート映画、ビールはシネコン上映のポップコーン映画だ(酒、映画の優劣や上下を示すツモリは一切ない。念のため)。そして日々の労働による疲弊を癒さんと風呂上りにズンドコアヤシイ狂乱の祝祭に思いを馳せるにつけ、この混沌に身を任せる酔いはやはりウィスキーではなくビールから得られるものである、と改めて確信するに至ったのだ。現に僕が2ヶ月近くもセッセとキーボードにホコリを纏わせていたのも、ヒトエにウィスキーをちびちびとやるのではどうにもテンポが掴めず、カタカタやってはガブリと一口、またカタカタやってはゴブリと喉をならす身に染み付いたリズムで音頭を取るビールの不在があったからだとさりげなく自らのタイマンに対する言い訳の一つも紛れ込ませようとしてみたがそんなことは聡明なる読者同志諸君にはお見通しだっただろうか。
誤解のないように一応書いておくが、こういった文章を書き散らすのにはビールが向いている、というだけのことであって、ウィスキーも並行して飲み続けている。映画一本を観るのにチビチビとウィスキーを舐めるのは至福の時間であるし、何よりも自分が書いた文章を読み返す際にはウィスキーの方がリズムがよい。ビールでアウトプットし、ウィスキーでインプットする。なお完全に蛇足であるが、ウィスキーの酔いとその素晴らしさを表した名文がフレドリック・ブラウンの『不思議な国の殺人』という小説にある。彼の作品はウィスキーに限らず極めて文化的な飲ンダクレを実に巧みに描くものが多いので、気になる同志諸君はぜひ。蛇足ついでに腕まで付けるなら特にオススメは『選ばれた男』という短編。
他人の好き嫌いにどうこうケチをつけるほど僕はオヒトヨシでもリッパな人間ではない。それでも時たまビールが苦手だと言う人に遭遇すると、かつてはこんなに素晴らしいものをなぜ、と思わないではいられなかった。人は様々な理由で何かを好きになったり嫌いになったりするのだろうが、ビールに関してはおおよそ共通してその苦さをネックとする傾向があるようだ。あんな苦いだけの炭酸水をなんで飲むんだ?もちろんその苦味をウリとしたIPAなどのビールは別として、一般的に日本で飲まれるラガーやピルスナーに関して言うならば、これは一度飲み方をカエリミていただきたい。すなわち(特にラガーやピルスナーといった)ビールは、口ではなく喉で味わうものなのだ。
どんなものにでも最初の出会いと、その良し悪しを実感を伴って理解する瞬間がある。ただ、それが同時に来るかどうかは別の話だ。こんな様相でいまさら何をと言われるかもしれないが、両親の老いた手にお縄をタムケるお手伝いをするほどの親不孝者ではないのでこの文章も多分にフィクションを交えつつ詳細はハブくとして、かくいう僕も「若かりし」日々に親が毎晩のように喉を鳴らして飲むビールをちょっとばかりもらってみては、よくよく味わってみようと口の中に留めた液体の苦さにヘキエキし、オトナぶろうと美味しい美味しいなどとホザキつつなぜこんなものを両親は笑顔で目を潤ませながら飲み続けるのか内心実に不思議であった。
ある秋の夜だった。両親はたまに夕食後夜の散歩と称し2人連れ立って出かけては大量の山菜や木の実を抱えて帰る狩猟採集民族であったのだが、その夜もどこの野原からちょろまかしてきたのか見事なジャガイモを仕入れてきた。これをそのままざく切りにし、イギリス英語で言うところのチップスにしてビールで一杯やろうというのである。育ち盛りの僕の胃袋は山盛りのご飯を3度ばかりオカワリをした程度では物足りず、イモの揚る匂いに誘われて食後1時間も経たずして食卓に帰参することとなった。軽く塩を振ったイモにバルサミコ酢をつけて口に放り込めば揚げたてのイモの熱さと油と塩気で口の中は5年ほどメンテナンスをサボった車のエンジンの内部のごとくなる。例に漏れず両親は僕の目の前で結露も見事なビールのグラスを掲げて喉を鳴らしていた。
「飲む?」おそらく母だったと思う。グラスを渡され、とりあえず冷たい水分をもって口の中を冷やしたい一心で僕はグラスを受け取った。やはり苦い。野生(ということにしておこう)のイモのほろ苦さも相まって口の中ではイーストウッド、ヴァン・クリーフ、ウォラックの苦虫噛み潰しトリオが金貨を巡って睨み合っていた。「違う違う、口じゃなくて喉で飲むんだよ」と母。お料理すること食べることが三度の飯より好きな両親である。高校教師である父も含め、2人からは勉強以外の多くのことを学んだが、この助言ほど僕の後の人生に大きな影響を与えたものはなかったかもしれない。言われるがママ(シャレではない)に僕はいまだその旨味を理解できない液体を口いっぱいに流し込み、一気に喉を通過させ胃まで送り込んだ。読者同志諸君。覚えているだろうか。あの感動、あの清涼感、あの喉ごしを。熱く口内にへばりついていた油もイモも洗い流し、後に残る微かなホロ苦さ。コーラなどとは全く違う淡く優しい炭酸の感触。メキシカン・スタンドオフに勤しんでいた夕陽のガンマンたちも今や屈託のない笑顔で肩を抱き合っていた、と言いたいところだがあの3人の笑顔なんて裏があるに決まっているのでそんな様子を想像したところかえってミブルイしてしまった。ともかくホノカな後味を追うようにもう1度アツアツのイモを口に放り込み、ビールで胃まで流し込む。メンテナンスをサボった内燃機関はこの瞬間メデたく永久機関に進化したのである。
それは子供の頃から慣れ親しんでいた他のものとは完全に違う方法論で楽しむものであった。最初の出会いとその良さを実感を持って理解する瞬間。そのギャップが広いほど衝撃も大きくなる。アートにしてもパンク・ロックにしても、全く新しい革命的なものとは大抵最初はナカナカ良さがわからないものなのだ。その新しいものを愛する瞬間が来るかどうか、愛する瞬間が来るまで新しいものを続けられるかどうかが分かれ道なのかもしれない。
新しいものは往々にして既存の秩序の外側のものとして革命的に受け入れられる。最も分かりやすいのはインドにおけるIT産業の発展だ。もちろん地球儀で見ればアメリカのちょうど反対側にあり、昼と夜で交互に業務を分担できるという地理的な要因もあっただろう。しかしまた別の説として、IT産業という区分自体がインドには存在していなかった、という点がよくよく理由として挙げられる。すなわち、IT産業という区分はカースト(ヴァルナとジャーティ)制の外部のものだったのだ。平たく言えば、自らの属する職業階級内でしか生存しえない、という従来の身分制に囚われずに「成り上がる」ことができる産業だったのである。一生懸命勉強し努力すれば自らの出自に関係なく既存の規定を超えて出世できる。そうとなればあの人口を抱える国である。優秀な人材が輩出されるも当然であろう。
日本におけるビールもどうやら同じような具合だったようだ。大学生の頃、何度か僕は北海道はサッポロに足を運んだ。サッポロ市内にエスペラント要塞を構える僕の奇人変人(褒めてます。念のため)リストの上位に名を連ねる謎のオジサンがいて、エスペラントを学ぶ者であればどこの誰でも基本的に受け入れているのだ。ある冬僕が健康優良不良留学生軍団を引き連れて北海道を訪れた際、彼は僕たちをサッポロビール博物館に連れ出してくれた。共産趣味を思わせる赤星も見事なレンガ作りの建物や、本場のジンギスカンと最近では東京でも手に入るようになってしまった北海道限定のサッポロビールの味はさることながら、何よりも印象に残ったのは博物館に展示された、新橋の恵比寿ビヤホールの様子を伝える明治32年の中央新聞の記事のパネルであった。
其の中の模様は(略)全く四民平等とも言ふべき別天地で、ちよつとしたお世辞にも、貴賎高下の隔ては更に無い。此処へ這入れば只だ誰も同じくビールを飲む一偶の客で、其の他には何の事も無いのである。車夫と紳士と相對し、職工と紳商と相ならび、フロツクコートと兵服と相接して、共に泡立つビールを口にし、やがて飲み去つて共に微笑する(略)。
新しい時代の新しい飲み物。上流階級の日本酒、下層階級の焼酎といった酒の既存秩序の外部のものであったビールがいかに革命的な飲み物であったかがよくわかる。思えばシーシャ部の活動にイソしむ大学時代からTKA4で飲ンダクレる今に至るまで、ビールをガチンと叩き合わせて共に飲み交わすのはいかなる国籍、いかなる出自の相手であっても瞬く間に兄弟姉妹とならしめる儀式のようなものであった。金の貸し借りなど全く意に介せなくとも、ビールの貸し借りには忠実たろうとする気風があった。あらゆる友人同士の手助けの対価は全てビールで支払われた。ごめん!今度ビールおごるわ。ありがとう!次回のビールは僕が出すよ。
そのビールも今や高級品となり下がってしまった。発泡酒やら第三のビールやら悲しい区分がでっち上げられ、ただ酔い潰れることのみを志向したストロング某なる酒が飛ぶように売れる時代だ。僕だってまたいつ先月までのごとくビールはコンビニで虚しく蛍光灯のウスらっチロい光を浴びるを眺めるだけの惨状に陥るとも限らない。果たして自由と平等と冷たいビールを愛する我ら文化的な人間にとってはキビシイ世の中となってしまったものである。
最後に、大学時代に多少の語学をかじった、もとい舐めてみた僕が発見した素晴らしい言葉を紹介しよう。まずは以下の文章を読んでみていただきたい。
¡Anarquía, y birra fría!
!أناركية، وبيرة حرية
上はスペイン語。発音は、まあ読んだ通りざっくりカタカナで書くと「アナルキーア、イ ビーラ フリーア!」。意味は「アナーキーと冷たいビール!」。下はアラビア語。意味は「アナーキーと自由のビール!」なのだが、発音は同じくざっくり書くとなんと「アナルキーア、ワ ビーラ フリーア!」。お分かりいただけただろうか。なんとほぼ同じ発音なのだ!英語の”and”を表す「y イ」と「و ワ」をうまいことゴマカせば、「アナーキーと冷たい自由のビール!」という言語を越境した掛詞が成立してしまう!多言語ダジャレだ!もはや多言語和歌だ!
自由と平等を愛するビール党の諸君。ムダを愛する文化人たる同志諸君。次回から愛と自由と平等のために冷えたビールを掲げる際にはぜひ、「アナルキーア、ウィ ビーラ フリーア!」とゴマカしつつ叫ぼうではないか。
終わり
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