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"The Final Parade"の話

 以前書いた「宇宙!」と叫ぶ瞬間は何も同時にやって来るだけではなく、時間差をつけて来ることもある。そういや振り返ってみれば「宇宙!」だったな、といった具合に。先日作業用BGMとしてふと思い立ち、実に久しぶりにThe Mighty Mighty Bosstonesを聴いていた。音楽となればどんな物であれ日々の生活に必要不可欠であることに議論の余地はない、と言えば読者同志諸君も首がモゲんばかりに頷いてくれるところであると思うが、それでもやはり好き嫌いはある。BUNCAの記事でも書いたようにジャズとパンクが僕の主戦場であるため、どちらにも片足ずつ突っ込んだスカ・パンク/スカ・コアは高校時代から僕の最前線であり続けている。歳を取ったこともあるのか以前ほどアグレッシヴな音楽を聴き込むことは少なくなったとは言え、僕のYouTubeの再生履歴はバックビートを極端に強調したギターカッティングと市松模様をバックにホーン隊を従えたモヒカン頭やルードボーイで埋め尽くされている。
 書き物をしつつ自動再生で適当にThe Mighty Mighty Bosstonesを流していると、今まで聴いたことのない一瞬で引き込まれた曲があった。彼らの新曲、”The Final Parade”である。新曲なんてもんじゃない。まさしく今年、2021年1月26日に発表されたものである。まま、何はともあれとりあえずリンクから聴いてみておくんださい。

 キャッチーなリフやメロディに惹かれて作業を中断し、歌詞を折り込んだちょっと懐かしい60年代の映画のオープニングクレジット風アニメMVを観ていると、すぐにThe Interruptersのヴォーカル、Aimee Interrupterの特徴的な声が聞こえてきた。なにぶんバンドもファン層も高齢化進むパンクス、特にスカ・パンク/スカ・コア界隈においてThe Interruptersは我らの期待を一身に集めるバンドであると僕は勝手に思っている(とは言え奴らも僕と同年代かちょいと上くらいだと思うが)。パンクに限らずロック、なんなら表現全般とは「唯一無二性」を突き詰めることこそ至上命題のものであると思うが、リードヴォーカルのAimee Interrupterのパワフルにシワがれた歌声は一度聞けばすぐに分かるまさしく唯一無二のものである。Nina Simone、DistillersのBrody Dalle、T字路sの伊東妙子などのダミ声かつ倍音バリバリな女性ヴォーカルがハマる人は必ず気に入るのではなかろうか。
 The Interruptersが出てきたということはひょっとすると出るんじゃないかと思っているとやはり登場したのが「サックスの巨人」Sonny Rollinsと並んで僕にとっての最大のアイドルであるTim Armstrongだ。今はなきバンドOperation Ivyでスカ・パンク/スカ・コアというジャンルを練り上げ、現在はメインバンドのRancidやサイドプロジェクトのTim Timebombで自らの音楽をバラマキつつ天下のEpitaph Records傘下で自らのレーベルHellcat Recordsを運営、もはやビール腹のおっさんとなったパンクスたちにモッシュやスカンキングで息切れさせるツミなオトコである。
 僕がTim Armstrongを愛して止まないのは、彼のセンスと技術のギャップに根がある気がする。彼のセンスはとにかくズバ抜けている。作曲、作詞、映像、絵画。耳に残るリフとシンガロング必須のメロディー。極めて個人的な物語を皮肉混じりに口角捻じ上げつつ語り、いつの間にか普遍性を浮き上がらせる歌詞。芸術なんて極めて主観的な評価しかできないものであるのは大前提であるがナニブンここは僕のページだ。異論なんぞビール臭いゲップで吹き飛ばし、彼こそ現在最高のソングライターにして詩人であると言い切ってしまおう(なおこの記事は友人から執筆用ビールの提供があって書けています。M、ありがとう)。しかし。当代きっての非凡なるセンスのカタマリTim Armstrongは技術的にはとにかく畏敬の念を禁じ得ないほど酷いのだ。音程ウンヌン以前にシャガれきって歌っているのかクダを巻いているのかわからない声。美しいリフを調子っぱずれのヨレヨレに弾くギター。コントラストの強調に全振りした映像。パースやデッサンの狂いまくった絵画。とにかくその全てがあまりにもカッコよくヘタクソなのだ。センスよく考え、技術のある者が作ればそれは”甲”を作り出せるだろう。餅は餅屋とばかりに分業すればよい。しかしそれはパンクの大前提、DIY精神とは相容れない。思いついたら思いついた奴が自分でやる。例え”甲”を達成できずとも、自分でやったという点、そして自らの唯一無二性をあらゆる意味で追求する。不完全なもの、しかしなお自ら作り上げた唯一無二の不完全なもの、に美を見出す。これこそパンクの目指す”乙”精神であると僕は思う。音楽、あるいはファッションそのものに関してパンクがいまだに革命的影響力があるとは悲しいながら思えなくても、この一点だけにおいてもパンク精神は死んでいないはずだ。そしてその意味でTim Armstrongこそ、DIY精神に則り唯一無二にして不完全な美を最も突き詰めたパンクロッカーであると僕は信じている。近年Tim ArmstrongはHellcat Recordsの運営を通しプロデューサーとしても手腕を発揮しているが、彼が思い描くものをアーティストに投影しているというよりも、アーティストの目指す不完全な唯一無二性を引き出してやるのがうまいと言った方が正確だろう。なのでHellcat Recordsのバンドはパンクを軸としつつも比較的キミョウキテレツなものが多い。

 さらに”The Final Parade”を聴いているとAimeeとTimの仲良し師弟(じゃなくて師妹か、しかし弟子ならぬ妹子なんて言うと遣隋使になっちゃうぞ)以外にも何やら聞いたことのある声がジャンジャカ入り込んでくる。FishboneのAngelo Moore。Suicide MachinesのJay Navarro。The Dance Hall CrashersのKarina Denike。Less Than JakeのRoger Lima。Kemuriの伊藤ふみお。そしてThe SpecialsのRoddy Radiation。リストを調べてみたらまだまだとんでもない顔ぶれがレツをなしていた。主に90年代〜00年代のスカ・パンク/スカ・コアバンドが一堂に会している。リードを取る者もいればコーラスやチャントに徹している者もいる。聞けばこのThe Mighty Mighty Bosstonesの曲は5月に発売されるアルバム”When God Was Great”からの先行配信で、このアルバムはバンドがまさしくTim ArmstrongのHellcat Recordsへ移籍してから1枚目のものである。ど!う、り、で!!Hellcat Recordsがもはや不良債権となったおっさんパンクバンドたちの受け皿となっているのか、はたまたTim Armstrongの人脈人望なのか、スカ、パンク、Oi!、サイコビリー、トラッド/フォーク、そしてそれらのミックスを目指す上ではとりあえずHellcatをおさえておけばよい状況はしばらく続いていたが、そこにThe Mighty Mighty Bosstonesも加わってしまったのだ。

 何より僕に「宇宙!」と叫ばせ、そのまま満面涙と鼻水でグジョングジョンのエビスガオへと蹴り落としたのは”The Final Parade”の歌詞だった。
 歌は大きく分けて2つのパートに別れている。前半は主にThe Mighty Mighty BosstonesのDicky BarrettとThe InterruptersのAimee Interrupterという男女混声吠えすぎて喉を枯らしたブルドックのようなダミ声コンビがメインヴォーカルをとり、三人称の物語として永遠に続くかと思われたサーカスのような祝祭が「奴ら」に引きずり倒され破壊される様と、それでもなお「楽団の騒音」が耳を離れないため「最後の行進」には加わらないであろう「彼」と「彼女」が語られる。これだけで立派な一曲になりうるキャッチーさと物語性をそなえたイイ曲なのだ。もうお腹イッパイ、大満足である。
 ところが曲はここで終わらない。中盤、Tim Armstrongがメインヴォーカルをとってから曲は一人称に変わり、かつては世界中を股にかけてパンクロックやレゲエを歌い踊り続けてきた「僕たち」と今や消えていったコミュニティ、そしてそれでもなお世界中で歌い踊り続ける全ての人たちへの讃歌となる(どうでもイイがTokyo, Japanも出てくる)。
 もちろんこの曲はあくまでThe Mighty Mighty Bosstonesの曲であり、歌詞に登場する固有名詞(Noise Brigade、The Old Bear、The Middle Eastなど)を見てもバンドの歴史に絡めるのが一次的な読み取り方になるだろう。しかし当然意図的であるとは思うが、二次的にはスカ・パンク/スカ・コアの歴史として、そして三次的にはどれだけ引きずり倒されようと、どれだけ抑えつけられようと祝祭を武器に闘い続ける我々への讃歌として読み取れるように作り上げられているのだ。

 「奴ら」によって引きずり倒された祝祭と、それでもなお歌を響かせ続ける「彼」と「彼女」。そして世界中で踊り続ける「僕たち」。この物語をスカ・パンク/スカ・コアの偉人たちがオールスターよろしくヨッてタカって歌いあげる。この曲はスカ・パンク/スカ・コア版の”We Are The World”なのだ。オリジナルの曲をここでドウコウ言う気はないが、天邪鬼で異化効果に最も弱い僕としては悲しい現実や辛い経験といったネガティヴなことをシットリとマイナーに歌われるより、あくまで絶望をポジティヴでメジャーに爆発するエネルギーへと変換してみせるヒネクレ根性に泣かされる。映画、音楽、小説、演劇。暗く悲しいことを暗く悲しく涙ながらに語るなんぞゲのゲのゲゲゲだ。暗く悲しいことを口角捻じ上げて明るく楽しく語る。楽観的悲観主義。悲観的楽観主義。コンチクショウったらてやんでぇべらんめぇ精神。

 音楽に限らず優れた(=自分が好きな)芸術をこちらが見つめていると、いつの間にか向こうからこちらを見返されている瞬間が来る。Tim Armstrongお得意の極めて個人的な物語に普遍性を語らせる瞬間。すでに書いた通り、この曲が発表されたのは2021年1月26日。読者同志諸君がまーたその話かよと舌打ち混じりに呟くのが聞こえてくるが、そのちょうど1週間前の同年1月19日、警官隊がROGに突入した。十中八九偶然だろう。それでもどうしたってこの曲がROGにタムけられているかのように、宇宙がまたイタズラを仕掛けてきたように感じられてならない。くどい!と思われる同志諸君も多いかもしれないがこればかりはカンベンしていただきたい。音楽によって救済される。文章を書くことによって自分を治療する。これが溺れるがごとく酒を飲むにマサる数少ない僕のセラピーなのだから。

 リュブリャナ市当局により狂乱の祝祭は引きずり倒されてしまった。僕たちは地面に潰れ落ちたテントを前にしている。もうステージはない。もう音楽は止まってしまった。それでもなお、僕たちは耳に残る騒音を聴き、歌を響かせ足踏みを続ける。僕たちにはそれしかないから。世界中のあらゆる場所で、僕たちは息切れしながら汗まみれ涙まみれの顔に笑顔を浮かべてモッシュとクランキング、そしてスカンキングを続ける。だからゴメン。僕はまだ”The Final Parade”には加われない。


"Before you check your watch check out the Thermostat"


終わり

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