器を労る
今年も何の予告もなくあいつがやって来た。招かれざる客のそいつは、知らない間に私の生活に入り込んで来る。どんなにドアをピシャリと閉めていても、窓の鍵をかけていても、人にまとわりついて家に入って来るのだから、実に始末に負えない。
今年は大丈夫かと高を括っていたが、気がつけば目頭が猛烈に痒い。スギ花粉が盛大に街の中を舞い、漂っているようである。
ヨーグルトを食べるのが効果的だとか、乳酸菌飲料を飲むと良いとか散々言われては来たが、それでどうにかなった試しがないのであるから、やはり耳鼻科に行くのが得策である。
アレルギーによって引き起こされる症状は様々であるから、私は一年中、アレルギーを抑える薬を服用している。それでも猛烈に目が痒いのだから、これが何もしていなかったらと考えるとそれはそれは恐ろしい。こんなものでは済まなかったことだろう。
先日Webニュースを読んでいたら、俳優の斎藤工さんの記事が目に飛び込んできた。
小麦粉を摂取するのをやめたら花粉症が治ったというような記事であったと思う。本当かどうか、にわかには信じられないことだが治ったらしい。そうは言っても小麦粉を摂らない生活なんて、余程でなければできないことであるから私はするつもりはないが、どうしても耐えられないという方は、一年かけて小麦粉を摂らない生活をしてみると何かいいことがあるかもしれない。
身近な人が体を悪くしたことで、私も少なからず食生活を見直し、改善できるところは改善しようと人のふり見て我が振り直そうと、昨年末からあれこれと始めてみた。
多少のムリをしても、何とか思うようになってくれる自分の体に何の問いかけもせず、長年酷使してきたならば、きっとそのツケはやってくる。自分の体も臓器や血液を収めておく一つの器なのである。その器を大事にせず、高い金を払って購入した文字通り「おかずを盛り付ける器」を、落として割らぬように注意を払って、柔らかいスポンジで過保護なくらい丁寧に洗い、下にも置かぬくせに、自分の体はどうしてこんなに労らなかったのかと、私は今になって反省の思いに至ったのである。
高い金を払って買った食器が、もし「ガチャン!」と木っ端微塵に砕けてしまっても、何日か落ち込んでも、また食器は買えるのである。熱い汁物を素手に装えば火傷もするが、百円ショップに走って行けば、百円でお椀は買えるのである。
代わりの利く物に、どうしてそんなに金を使い気を遣っていたのかと、私はバカバカしくなったのだった。
「お前の体は代わりが効かないのだぞ!」
と、ここに来てようやく思い至ったのである。
知人からしきりに勧められたのは、身近なところで毎日使う調味料を変えることだった。砂糖や塩、出汁、この三つを変えるだけでも体はずいぶん変わるのではないかという話だった。 砂糖や塩は精製されていないものを、ちょっと高くてもそれに切り替え、ちょっと面倒でも化学調味料は使わずに、鰹節や昆布で出汁をとるということを勧められた。
砂糖は正直言うとあまり変化が分からないが、塩に関して言えば、今まで醤油で食べていたものを塩で食べるようになったら、素材そのものの旨味というものが感じられ、非常に新鮮だった。出汁もかつおだしに変えてからというもの、おみおつけが塩辛くなくなったような気がした。
ついつい、そのまま使っていた納豆についているたれや、何も気にせずに食べていた食パンなど、毎日食べるものに目を光らせ、少しずつだか毒となるものを口にしないようになった。
長年、体に放り込んできた添加物を、どれだけ口にしないかということが今後の課題になりそうだが、これで少しでも不具合が改善され、健康が維持できるのであれば続けない理由はない。
何かを変えようとすることは「ローマは一日にしてならず」ではないが、短期間でどうにかなるものではない。やはり全ては継続なのである。
何しろ代わりの利かないものであるから、自分の体は文化財並みに大事にしなくてはと、大袈裟ではなく思うのである。
2024年2月19日 書き下ろし。
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