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シベリア鉄道「途中下車」イルクーツク 〜 ロシア人少年少女に声かけられフリスビー、彼らの中学校に招待された1983年5月3日, 4日(もちろん当時はソ連!)

第1章・2章・3章は「昨日」(1983年5月2日)までのおさらい「の・ようなもの」。今日のタイトル関連は第4章と第5章(その後はグリコのおまけ)。

1. ユーラシア大陸一周旅行への出発 〜 1983年4月26日

正確に言うと、ユーラシア大陸「ほぼ」一周旅行。1983年4月26日に横浜港から日本を発つ前の本(一部)と音楽 ♫

1983年4月26日、横浜港からフェリーで「青年は荒野をめざす」(というタイトルの五木寛之 1967年の小説は読んでない)、というよりも「青年は(とりあえず)シベリアを目指す」, その後はヨーロッパ、中東、アジアへ。

横浜だし(笑) ♫

1. Prisoner
2. What Do You Want
3. Copenhagen Park
4. Sad Crown 嘆きのピエロ
5. Pub
6. Wiping in the Rain 雨に泣いてる
7. Minato-tei 港亭
8. Groovy Girl
9. Hey Darling
10. Chinese Queen
11. Honmoku Kidan 本牧綺談
12. America Across the Fence フェンスの向こうのアメリカ

自分が行ったのは「フェンスの向こうのアメリカ」ではなくて、「ソ連の鉄のカーテンの向こうのヨーロッパ」、それから中東、アジアだけど!

2. シベリア鉄道, 乗車前夜 〜 ソ連 「探訪」: 1983年4月28日・ナホトカ, 29日・ハバロフスク

1983年4月26日に横浜港をフェリーで発った後は 2泊3日の船旅を経て 4月28日ナホトカ着、そこで 1泊。翌 4月29日には列車でハバロフスクに移動、そこで 1泊。

3. シベリア鉄道の旅 〜 1983年4月30日 ハバロフスクを発ち, まずは 3泊4日かけてイルクーツクへ(途中, ルイーズ・ブライアントと再会.. な, なんだって?)

前回 note 投稿、これの 第3章。

さらばシベリア鉄道」、1981年3月21日リリースのあのアルバム「長い休暇」、いや「A LONG VACATION」になぜかただ 1曲収められていた「冬」系の歌、それもエンディング・トラック ♫ ... 大滝詠一師匠(1948年7月28日 - 2013年12月30日)、合掌。

4. バイカル湖のイルクーツク 〜 ロシア人少年少女に声かけられフリスビー、彼らの中学校に招待された1983年5月3日

大した写真じゃないけれど、まずは泊まったホテルの部屋から撮った写真 3枚。

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ブランコで遊んでる子供たち。

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ん? .. バイカル湖?

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ここで当時の旅日記から、住所記載部分等個人情報などカットしつつ。

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「ホレタ」って書いてあるけど、これは比喩みたいなもんだからね。おいらはロリコンでは全くないし(笑)。しかし「ロリータ・コンプレックス」ってウィキペディアで引くと、

ロリータ・コンプレックス (: Лоликон - Lolikon, Lolicon) とは、幼女・少女への恋愛感情のこと。恋愛感情を持つ者のことも指すことがある。元は「Lolita」(ロリータ)と「complex」(コンプレックス)から成る和製英語である。「Lolita」は、中年の男性が年の離れた少女を愛するウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ (Lolita)』、または、同小説の登場人物である少女の愛称・ロリータに由来する。

というわけで、何となく ロシア に繋がったのであった(笑)。

それはともかく、彼らの学校にて。

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続いて、旅日記の続きと、関連写真。

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「共産党 万歳」かぁ.. 流石に当時の「時代」を感じる「当時の」ロシアの街に溢れていたスローガン, なのであった。

何はともあれ .. これは随分と遠目に撮ってもらった拙者。

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以下の写真、この写真見ていつの間にか「ソ連の赤軍兵士による儀式」というふうに記憶が不正確になってしまっていたんだけれど、上に載せた当時の旅日記にある通り、兵士ではなくて「学生」だったようで。やっぱ、日記は貴重だ!

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もう 1枚。

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上に書いたように彼女らは(正確に言うと女性3人と男性2人かな)兵士じゃなくて学生だったんだけど、ロシアの兵士、戦争なんて止めてみんなカチューシャ・ダンスでも踊って人生, 楽しんでほしい。人殺しは止めて、踊りましょう。

っていうか、世界中の軍隊は戦争なんか止めて、このロシア軍兵士みたいにダンスの技でも競ってほしい。因みにこの人、2:23 にウィンクしてる ;^_^ .. これで確実に相手を悩殺できるのではないか(と思われる)。

5. バイカル湖を訪れた 〜 1983年5月4日

引き続き、当時の旅日記と写真でざくっと。因みに P は Pубль の頭文字でロシアの通貨「ルーブル」、K は Kopeyka, 同じく通貨「カペイカ」を指す(1ルーブル=100カペイカ)。 前々回と前回の note 投稿に書いたように、筆者の 1983年4月28日付の日記によれば当時 1ルーブル≒333円だったが、4月30日付日記にあるメモによればその時点で 1ルーブル≒385円のルーブル高になっていた可能性がある(いずれにしても当時のソ連はフルネームの名前の通りで自称「社会主義」、自称「共産主義」の国家、その国家に統制された経済の下だから公定レートは相当に政治的に操作されていたものであったはず)。以下の「旅日記」写真 1枚目にあるのは、1983年5月4日にイルクーツクのデパートで調べたモノの値段。

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これも前々回、前回の note 投稿に書いたけれど、団体旅行は好きじゃない筆者ながら、1983年から1984年にかけてのバックパッカー海外「放浪」もどき一人旅の最初の2週間ほどの旅程(横浜港を出てモスクワに着くまでの間)については、当時のソ連はその国柄から単独旅行よりもまだ団体旅行の方が「比較的」「あくまで比較的に」自由に行動できるということで, その間だけは30人弱の団体旅行に参加していた。その参加者の半分は日本人で, 残る半分は当時日本在住だった欧米中心の外国人たち。

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さてさて 、今日は 〜 大滝詠一「君は天然色」と Paul Simon "Kodachrome" (歌詞和訳)

なぜって, その 1: 第3章で 1981年3月21日リリースの大滝詠一A LONG VACATION」のエンディング・トラック「さらばシベリア鉄道」を載せたけれど、まぁ「シベリア鉄道」つながりではあるものの、あれってあのアルバムになぜかただ 1曲収められていた「冬」系の歌だし、拙者がシベリア鉄道の旅をしたのは冬じゃないし(でもまだそこそこ寒かったような!)。

なぜって, その 2: 自分があの時の旅で持っていったカメラはニコン(Paul Simon "Kodachrome" の歌詞に登場するのはニコン、アメリカ式に「ナイコン」と発音されてるけれど)じゃなくてコニカだったけれど、フィルム は コダック だった。それと、大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」が収録された 1981年のアルバム「A LONG VACATION」のオープニング・トラック「君は天然色」は、そのサウンド, そして松本隆による歌詞(あのアルバムもあの曲も共に気に入っているけれど, と先に書いておく!)ともに、ポール・サイモン Paul Simon が 1973年5月5日にリリースしたアルバム "There Goes Rhymin' Simon" のオープニング・トラック "Kodachrome" のそれらから影響を受けているのではと思う。もしもそうでないのなら、相当に「偶然」。で、いちおう筆者の個人の音楽の嗜好において, とことわっておくけれど、音も歌詞も、Paul Simon のものにはちょっと及ばない。いや、まぁ嗜好・趣味だとまずは言ったのだから、要するに、どっちもいいけれど、少なくとも個人的にどっちがよりいいと思うか、どっちがより好きかということなら、それは後者, "Kodachrome" by Paul Simon ♫

大滝詠一君は天然色」 〜 "A LONG VACATION" より(1981年)

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

♫ ♫ ♫

Paul Simon "Kodachrome" の歌, 歌詞, 筆者による和訳はこの下に ♫

Kodachrome 〜 from Paul Simon 1973 album "There Goes Rhymin' Simon" ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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高校で習ったガラクタの全てを思い起こしてたんだけど
驚きだね、僕はいま何だってじっくり考えられるんだから
まぁそもそも学校の勉強なんか出来なくたって困ったことないし
ほら、壁の落書きだって読めるんだぜ

コダクローム
イカした明るい色をくれるし
夏の緑だって分けてくれる
世界中が青空だって思わせてくれるほどさ、だろ?
それにナイコン(ニコン)のカメラだって手に入れたんだ
だったら写真撮るのは楽しくてたまらなくなるよね
だからママお願いだよ、僕のコダクロームを取り上げないで(*a)

独身時代に知り合った女の子みんなの写真を撮っていて(*b)
一晩のうちにまとめて持ってきたとするよ
でもそれって僕の甘美な想像にはかないっこないんだよ
白黒写真じゃ全てがつまらなく見えてしまうんだから

コダクローム
イカした明るい色をくれるし
夏の緑だって分けてくれる
世界中が青空だって思わせてくれるほどさ、だろ?
それにナイコン(ニコン)のカメラだって手に入れたんだ
だったら写真撮るのは楽しくてたまらなくなるよね
だからママお願いだよ、僕のコダクロームを取り上げないで

コダクロームを取り上げないで
コダクロームを取り上げないで
コダクロームを取り上げないで

コダクロームを取らないで
コダクロームを取らないで
コダクロームを取り上げないで

コダクロームを取らないで
僕を放っておいて
コダクロームを取り上げないで
コダクロームを取らないで
コダクロームを取り上げないで

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*a "mama" は普通に「母さん」の意味の「ママ」なんだろうか。それがちょっと分からない感じも。筆者は自身の母親を「ママ」と呼ぶことなどなく日本語で「母さん」とか「お袋」としか呼ばないが、それはともかく、アメリカでも夫婦の子どもが小さいうちは子どもの前では夫が妻を「ママ」と呼ぶ時もあるにはあるわけで。やっぱ、「母さん」の「ママ」なのかな。しかし歌詞の中で "If you took all the girls I knew when I was single .." なんてくだりもあるもんだから、この歌の中の "mama" って何なんだろうという気がしないでもない。

*b "If you took all the girls I knew when I was single" の "girls I knew" は「知り合った女の子」にしたけれど、「つき合った女の子」という日本語にした方が面白い、もしくは楽しい感じはする。英語の "knew" でもそこまで含みが持たされる場合があるのではと思うんだけど、実際のところどうなのかな。

懐かしのコダクローム, Kodachrome ♫


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