見出し画像

コルカタで見た 「火の車」 は現実だったのか幻だったのか 〜 カルカッタ, 1984年1月4-7日

インドのコルカタは当時は「カルカッタ」と呼ばれていた。第2章でそれ書いてたら, いつの間にか, 今日の note タイトルと関係ないポリコレ話に脱線していた。

コルカタ(当時は「カルカッタ」)の前までの話 〜 1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ諸国・トルコ・シリア・ヨルダン・パレスチナ/イスラエル・エジプト, 再びのトルコ, 更にイラン, パキスタンを旅してからインドへ, インドではアムリトサル, ダラムサラ, デリー, アグラなどを旅し, 年末には首都デリーからヒンドゥー教の「聖地」ヴァーラーナシーに移動, 1984年の「初日の出」は ガンガー(ガンジス川)で拝んで, その次は釈迦が紀元前6世紀に悟りを開いた地ブッダガヤへ ... note リンク集

どんどん長くなる, 振り返り見出し。長ぇ長ぇ見出しながら, インドの悠久の歴史の長さと比べたら ナン

画像1

のその。

このオヤジギャグ使うの何回目かって感じだけど, もう一昨年の 911に還暦を迎えちまって, もたもたしてるとオヤジギャグならぬジジイギャグの時代になっちまうからね。そういう問題じゃないか。

真面目な話, 以下は コルカタに辿り着く前の インド旅 note リンクで, note *1 アムリトサル 旅 note の第1章にはソ連からパキスタン, つまりインドに入る前までの道のり, その各国各都市・街・遺跡などの旅 note へのリンクに関する説明あり。

note *1 インド入国, まずは シク教「黄金寺院」の街 アムリトサル へ 〜 1983年11月29日-12月3日

note *2 ダラムサラ(インド北部) 〜 チベット難民が住む標高2,000m超の山中で暮らした, 1983年12月の10日間

note *3 インドでは市井の人に「哲人」顔の人がいたりする 〜 デリー 1983年12月12日から25日

note *4 タージ・マハル は確かに美しかった, インド・アグラ 〜 1983年12月23日(デリーからの日帰りの旅)

note *5 インド, ヴァーラーナシー, ガンジス川を眺めながら過ごしていた, 38年前の年末年始 1週間

note *6 ガンガー(ガンジス川, インド・ヴァーラーナシー)で 拝んだ 初日の出 〜 1984年1月1日

note *7 釈迦牟尼が 紀元前530年頃に悟りを開いた場所, インド・ブッダガヤの大菩提寺(紀元前260年創建)を訪ねた, 1984年1月3日

さてさて,

コルカタ は, 当時は カルカッタ だった, というか, そう呼ばれていた 〜 という話がいつの間にか ポリコレ話に脱線

自分のようなオッサン世代には(「自分」は1960年911生まれですねん, 関西人ではありません)「コルカタ」より「カルカッタ」の方が通りがよい。もちろん良いという意味ではなく, 聞き慣れているというだけの話。あの地は過去の長い間, かつての植民地インドの宗主国, インドの富を幾世紀にもかけてさんざっぱら奪った大英帝国, イギリスの言語帝国主義(って言い方, 昔あったよな? 今もあるかな)のもと英語化された Calcutta という呼称が使われていたわけだが(日本語カタカナ表記「カルカッタ」), それが 2001年になって, 正式名称はベンガル語の呼び名である কলকাতা [発音の英語アルファベット表記は kolkat̪a] に変更されている(英語表記は Kolkata, 日本語カタカナ表記は「コルカタ」)。

コルカタ(上にも書いていてしつこいけど拙者が旅した頃の日本語カタカナ表記は「カルカッタ」)はインドの西ベンガル州の州都。国全体がカオスっぽいイメージのインドにあって, 一番そのカオス度が高い都市かも。少なくとも 1983年当時はそうだった, と一応言い添えておくけど.. でもたぶん(多分です!)そこはあまり変わってない気がする。

ここカルカッタ, いやコルカタ, カルカッタ軽かった, 肩凝った.. 言葉遊びが過ぎます。

コルカタ(旧称カルカッタ)は, イギリスってか大英帝国の帝国主義政策の拠点として都市が造られ, イギリス領インド帝国の時代の前半は大英帝国, イギリスの傀儡たる植民地政府の首都としての機能を持っていたんだと.. とまぁそういう背景を持つ, インドの大カオス都市。

兎に角その呼び名は, 今は, ってか 2001年以降は「コルカタ」なんだけど, インドを分断統治して資源収奪した大英帝国の支配下, つまりイギリスの被植民地だった時代を引き摺った「カルカッタ」は, とにかく拙者みたいな世代だと学校の教科書で何度も何度も見た名前なもんだから馴染みがあって, しかし,

これって パリコレ,

じゃなかった, 略称 PC,

画像2

画像3

この話題, ややもすると眠くなるからね 💤

いやまぁ兎も角, これはあの PC じゃなくて, Political Correctness, つまり ポリティカル・コレクトネス のことで。つまりはカタカナ略称 ポリコレ

的には, 今やあの地は常に「コルカタ」と表記すべきってことになるんだろうか。しかし, まぁ, 耳に馴染みのある方は「カルカッタ」で, そういう耳馴染み的には,

「カルカッタ」の名は残るだろうなぁ。

暴利を貪った大英帝国によるインド支配の歴史をわかっていれば, その前提で, あるいはその歴史にさらりとでも言及すれば, ケース・バイ・ケースで「コルカタ」と「カルカッタ」を使い分けてもいいんじゃないか。カルカッタ, ワカッタ?(面白くない洒落であった)

以上, パリコレ, ポリコレ与太話(いや「ばか話」かもしれないが「でたらめな話」でもないと思うぞ!)でありました。

パリコレ, ポリコレ与太話は 以下の昨年末 note, その第2章 ガンジス川(ガンガー)の前に, インダス川 あり の中でもやっておったのだけど, その時は

アリアナ・グランデ を巡る ポリコレ話 に触れていたのだった。上掲 note ではもう少し「書いて」いるけれど(ガンダーラ美術にまで「飛び火」, いやガンダーラから「飛び火」していたのだ), 今日は軽くオフ酒, nope, お巫山戯。

画像4

いいじゃん, 別に。何? 文化の東洋? .. じゃなかった, 文化の盗用だって? 東アジア顔の盗用? .. それってどうよう? ってか, どうよ? 私が盗んだと?

画像5

これって, 1948年「建国」のイスラエルの(アラブ系つまりパレスチナ系市民でなくイスラエル「建国」当時はパレスチナ全体の中で少数派ながら「建国」後のイスラエル領内で多数派となったユダヤ系市民の)モデルがパレスチナ人の伝統的衣装をアレンジしたデザインで着飾って「これはイスラエルの伝統がモチーフよ」とか言ったり, アメリカ合州国のとりあえず白人でアングロサクソンでプロテスタント系(古いなこの括り, 笑)のモデルがアメリカ大陸の先住民の伝統をリスペクトも無しに借用した衣装を纏うのとは, 意味がちょっと, いやだいぶ, 違うんじゃない?

日本人だ韓国人だってウソ言ってるわけじゃなくて, アリアナ・グランデって名乗って, アリアナ自身がああいうふうな顔つきが好きで, それでああいうメイクしたくてしたってんなら(想像だよ, 想像で言えば彼女自身はああいう顔つきを東アジアの女性「らしい」顔だと思ってのことかもしれない), 別にいいじゃんね(俺はああいうのが特に趣味だってわけでは全くないけど, 笑)。しばらく前の "7 Rings" の時の「七輪」タトゥーの騒ぎも時もさ, そりゃ確かに「七輪」だと焼肉屋に行っちまいそうだけど(笑), 何もこれであそこまで騒がなくたっていいだろと思ったけど, 今回の話だって, まぁね, メイク(ってかそもそも詳しいとこ突っ込んでないし, もしかして整形かい?整形は個人的には好きではないけどまぁそれだとしても当人の勝手だねこの際), 兎にも角にも

Make Up の何がわるいのよ ♫

だよねぇ。一応書いておくと, ここで歌詞は気にしてないぞ。まぁ兎も角, Flower Travellin' Band は実にかっこいいじゃないか。ジョー山中 のヴォーカルは素晴らしいじゃないか。

画像6

He/his, こっちにしとくか。 

画像7

みんな, 分かってくれるかい

わかんねェだろうナ

分かってくれるかい

ではでは, こうなったら, 本章の最後は,

邦題「分かってくれるかい」原題 "You Know What I Mean" が収録された Jeff Beck 1975年リリースのアルバム "Blow by Blow" じゃなくて, Jeff の 1976年リリースの方のアルバム, 

Weird じゃなくて 😁

Wired

Side one
1. "Led Boots" (Max Middleton) 4:03
2. "Come Dancing" (Narada Michael Walden) 5:55
3. "Goodbye Pork Pie Hat" (Charles Mingus) 5:31
4. "Head for Backstage Pass" (Wilbur Bascomb, Andy Clark) 2:43

Side two
1. "Blue Wind" (Jan Hammer) 5:54
2. "Sophie" (Narada Michael Walden) 6:31
3. "Play with Me" (Narada Michael Walden) 4:10
4. "Love Is Green" (Narada Michael Walden) 2:30

またやっちまった ♫

さてさて, 本題に入るとするか。

カルカッタ(2001年以降は コルカタ) 〜 1984年1月4-7日(写真4枚)

と言っても写真4枚は, 全部 1984年1月6日 に撮影したもの。横着して, 次章にリンクを載せる昨年 2021年1月6日付 note の第3章 カルカッタ(コルカタ), インド 〜 1984年1月6日 から転載してしまうと,

当時の日記によれば、1983年1月3日のうちにブッダガヤを発つつもりだったのだが、列車が50分ほど遅れ(当時のインドでは数時間遅れなんてこともザラにあったからこれはマシな方, 近頃はその辺りどんな感じか拙者は知らない, そこそこ「改善」されているのかもしれない)、拙者であるところの筆者が乗った二等列車がブッダガヤのガヤ駅を発ったのは 1984年1月4日午前0時半、つまり真夜中過ぎ, After Midnight
写真は、ガヤ駅で列車を待つ筆者(笑)。
とりあえず筆者はクラプトン・ファン歴、半世紀近い。ライヴも何度も観た ♫
それは兎も角(ところで兎、つまりウサギにも角、つまりツノがあるのか?)、
拙者、つまり筆者が乗った列車(韻を踏んでる、拙者は詩人なのだ)、1984年1月4日の朝9時前にカルカッタ(当時の呼び名!)に着いた。で、1月7日の午後1時45分発の飛行機でタイのバンコックに向かったから(あの時の海外「放浪」もどき旅は出発も飛行機でなく横浜港から当時のソ連のナホトカに向かっていて、旅の間に飛行機を使ったのはカイロ〜イスタンブール間に次いで、そのカルカッタ〜バンコック間が 2度目)、カルカッタはほんの3泊4日。
インドは旅の目的地として非常に魅力的な国ではあったのだが、ソ連、欧州、中東(トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、再びトルコ、イラン)、パキスタン(も中東の匂いがするがまぁ南西アジアと言えばいいのかな)を経てインドに入り、それから更に 1ヶ月余り経過して、やや疲れていたこともあったのだろうと、いま振り返って、そう思う(まぁ書けばいろいろあるが、今日はそのくらいで)。
1984年1月4日、カルカッタに着いたその日の夜に書いた日記によれば(原文ママ)、カルカッタの街並み、カイロによく似てる。この街並みはイギリスによるものだろう。ロンドンもおそらくこんなではないか。もっと洗練されてるだろうが(note 転載に当たってこの括弧は加筆:後に後悔することになるが、英米のロックで育った筆者、あの旅では中東やインドを一番の目的地にしていて欧州ではユーレイルパス2ヶ月有効期間のギリギリでギリシャ(駄洒落言いたい、笑)に辿り着くことに拘った結果、イギリスを「パス」してしまった、つまりイギリス、ロンドンに行ってない、長い括弧だね!)。カルカッタはその混乱状態も、カイロと似てる。人間のしつこさ等も考えると、カルカッタの方が混乱してる。老朽化したビル、道路、カイロにそっくりだ。ここカルカッタは相当おもしろそう。モダンロッジ(この括弧も note 転載に当たっての加筆:これは泊まった安宿の名前)にいれば長居も可能。もう1度くる機会あれば じっくり見たい。best condition で。今回は早く発つ
パキスタンのラホールから陸路、国境越えて(当たり前か、笑)インドのアムリトサルに行ったのが 1983年11月29日だったから、インドの旅は40日間だったことになる。これまでちょくちょく(note 外を含めて)インドは 1ヶ月半旅したなんて言ったり書いたりしてきたが、それよりちょっと短めだったなぁ。
あの旅で長かったのは、ギリシャが 1ヶ月ほど、トルコが 2回の合計で約5週間、だからそれでもインドが一番長かったのか。まぁとにかく、インドは住むのは楽じゃないに違いないし、極貧の存在やカースト(や近年だとヒンドゥー至上主義)などいろいろ深刻な問題ありの場所ではあるけれど、言語も文化も宗教(の種類や中身)も何でもかんでも「いろいろ」ありのインドが、旅人にとって超絶魅力的な国であったことは確か。
カルカッタでは強烈な思い出があって、その思い出とは、街を歩いていた時に、身体不自由な人(この文脈において性別はさしたる意味がないとも言えるが男性だった)が自分のその身体をぐるぐる回転させ、同時に、美しい歌声で歌を歌いながら、道端を前へ前へと進んでいた、それを有無を言わさず(まさに!)見せつけられて、圧倒されたこと。
文字通り「凄まじく」圧倒されたこともあって、且つそもそも肢体不自由なその身体をぐるぐる前回り回転させて前方に進んでいたので、不自由は間違いないのだが、何処がどう不自由なのか正確に分からないくらいだった(少なくとも手足があらぬ方向に曲がっていたと思う)。
乞食(この漢字で書くとこれはもともとは仏教用語なのだが、まぁ彼はたぶんヒンドゥー教徒だっただろうなと思う、バラモン教のカースト的にどうだったか知る由も無いが)だったのだが、とにかく、圧倒された。
それはインドでの忘れられない思い出の一つでもあるのだが、超絶久しぶりにカルカッタ滞在時の旅日記を捲っていたら、何となんとナンと(インドのパン、ナンは美味い!)そのことが書いてなくて、これはこれで、驚いた。
間違いなくこの眼で見たのだが、はて、カルカッタでなく、インドの他の街だったのかどうか。当時の日記を捲ると、後になって遡った前の方の時期のことをあらためて書いていることがわりとあるので、もしかしたらタイや韓国で書いた日記の中に、それについて何か書いてある箇所があるかもしれないのだが。
今日は note 投稿書き始めの時間が遅く、もう晩飯前の妻とのナイト・ウォーキングの時間が近づきつつある(投稿主題とは関係ないけど!)。
というわけで、今日のところは取り急ぎ、37年前の今日、1984年1月6日にインド、カルカッタで撮った写真4枚を、ざくっと掲載。

以下, 上掲テキストの転載元である昨年の note の時は写真を載せただけだけれど, 今日はちょこっとキャプションを添えて。掲載順も昨年の note とは異なる。今あらためて当時の自分の旅日記を見て, その日の日記にある写真撮影場所の記載順に合わせるだけのことだけど(最初の2枚はどっちが先でもいいかもしれない, どっちを先に撮ったのかな)。キャプションは旅日記からそのまま引用。

new market 前

画像9

new market 前

画像9

道にすわり込んでるマーケットボーイ(おっさん)たち

画像10

チャイハナの並んでる通り

画像11

さて, 

次は,

カルカッタ(コルカタ), インド, 1984年1月6日 〜 トーキング・ヘッズ "Road to Nowhere"

これは昨年 2021年1月6日の note 投稿。今日の本 note 投稿と比べれば, 紙幅を割いて, いや note 縦幅を割いて いろいろと書いていた(このリンクの下に目次)。

1. 前説
2. 遥か昔の海外「放浪」もどきの旅
3. カルカッタ(コルカタ), インド 〜 1984年1月6日
4. さてさて、付録は何となんとナンと、インドのパンのナンは美味い、なんと ゴーギャン のあの絵(タイトル長いし、笑)と トーキングヘッズ の "Road to Nowhere"

カルカッタで見た 「火の車」 は現実だったのか幻だったのか 〜 「全東洋街道」(藤原新也)を読み返し, 最後に聴くのは クリーム "Wheels of Fire"

これもコルカタ(カルカッタ)の思い出。これは昨年 2021年1月8日の note 投稿。結構おもしろいこと書いてる.. と思う, 自画自賛, いや自note自賛。目次を note リンクの下に置きます。

1. 「火の車」 とは 〜 その 1
2. 「火の車」 とは 〜 その 2
3. 37年前にカルカッタで見た(はずの) 「火の車」 のような乞食 〜 そして 藤原新也著 「全東洋街道」
4. 火の車, Wheels of Fire 〜 Cream 1968 album

というわけで, 「火の車」 〜 "Wheels of Fire", Cream 1968 album ♫

前章にリンクを載せた昨年の note の最終章から, 本日の note の画竜点睛のための我流転載。「りょう」「せい」が「りゅう」「さい」になってるけど気にしませんよう。

以下, 上掲 note 最終章である第4章から転載。冒頭で「前章」とあるのは, もちろん上掲 note の第3章のことで, 2段落目にある「2021年1月8日の今日現在」は上掲 note 投稿日「現在」の意, 当たり前だけど。

火の車, Wheels of Fire 〜 Cream 1968 album

前章の後段で取り上げた藤原新也「全東洋街道」(上)編の第六章は「東洋のジャズが聴こえる」(カルカッタ)だったけれど、これは普通、ジャズとは呼ばない。
1968年のブリティッシュロック・シーンが生んだ、ブルーズとロックを融合させ、且つジャズにも通ずる即興, 即興演奏, improvisation (彼らのライヴはそのもの)のスーパー・バンド、クリーム(Cream: Ginger Baker, Jack Bruce, Eric Clapton, 2021年1月8日の今日現在、存命はクラプトンのみ)の 3枚目のアルバム、当時、日本では「クリームの素晴らしき世界」なんぞという妙ちくりんな邦題が付けられて売られてしまったのだが、原題は "Wheels of Fire",
無理矢理に直訳すれば「火の車」。
Wheel には「車輪、(回転する)輪」(自動車や自転車の車輪)、「(自動車の)ハンドル」、「回転花火」、「回転、輪転、旋回」、それに「(中世の)拷問用車輪」(!)なんて意味まである。
Wheels と複数形にしての意味では他に、「推進力、動力」、「自動車」、「車」。
当時の LP, ダブル・アルバム、1枚目は A面・B面ともスタジオ録音、2枚目は A面・B面ともにライヴ録音。
Side three の "Crossroads" は Robert Johnson が1936年に録音した "Cross Road Blues" を Eric Clapton がアレンジしてライヴで演奏した、ギター弾きを目指す子がどんな理由であれ泣いていたらその「泣く子も黙る」、あの有名なライヴ・ヴァージョン。これが収録されているだけでも、一家に一枚、家宝として持ちましょうの名盤となったのが、このアルバム。

Wheels of FireCream (Ginger Baker, Jack Bruce, Eric Clapton), their third album, released on August 9, 1968

Side one
1. "White Room" (Jack Bruce, Pete Brown) 4:58
2. "Sitting on Top of the World" (Walter Vinson, Lonnie Chatmon; arr. Chester Burnett) 4:58
3. "Passing the Time" (Ginger Baker, Mike Taylor) 4:31
4. "As You Said" (Bruce, Brown) 4:20
Total length: 18:47

Side two
1. "Pressed Rat and Warthog" (Baker, Taylor) 3:13
2. "Politician" (Bruce, Brown) 4:12
3. "Those Were the Days" (Baker, Taylor) 2:53
4. "Born Under a Bad Sign" (Booker T. Jones, William Bell) 3:09
5. "Deserted Cities of the Heart" (Bruce, Brown) 3:38
Total length: 17:05

Side three (with Live recording date)
1. "Crossroads" (Robert Johnson, arr. Clapton) March 10, 1968 at The Fillmore, San Francisco, CA (1st show) 4:13
2. "Spoonful" (Willie Dixon) March 10, 1968 at The Fillmore, San Francisco, CA (1st show) 16:43
Total length: 20:56

Side four (with Live recording date)
1. "Traintime" (Bruce) March 8, 1968 at Winterland, San Francisco, CA (1st show) 7:01
2. "Toad" (Baker) March 7, 1968 at The Fillmore, San Francisco, CA (2nd show) 16:15
Total length: 23:16

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?