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ベルリンに壁があった時代, 西ベルリン編 〜 1983年5月31日(写真17枚)

戦前の「枢軸国」時代の旧・日本大使館を訪問(写真6枚)

ってまぁもちろん見事に廃墟だったけれど, 戦前の駐ナチス・ドイツ, 日本大使館における日本大使(等)の職務や生活の跡が生々しく残っていて, かなりの「見もの」だった。撮った写真があるので, 後段で掲載する。

とりあえず, 旅日記(ここに至るまでに関しては最後から2番目の章)。

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ケルンは後日, ベルリンを発ってフランス・パリに向かう途中で再び寄って、大聖堂の写真を撮ったりした。それはまた後日の note にて。

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写真 1) 2) 戦前のナチス・ドイツ時代の在ベルリン日本大使館の「菊の御紋」, つまり「菊花紋章」(この件に関わる脱線トピックは, 次章にて)。

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写真 3) 執務室の椅子, だったかな。

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写真 4) バスタブだって転がっている(転がっていた!)。

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写真 5) かな〜り, 豪華だったものと思われる。何しろ, 戦前の日本にとって, 思い切り大雑把, 乱暴に言えば, ナチス・ドイツは戦後のアメリカ合州国みたいなもんでしょ。日本の国家が外交上, 最も重要と見做している相手という意味において(まぁ日本の戦後の最重要国アメリカも酷いもんだよね, 外国の政権を CIA とか相手国の軍隊とか [時には自国アメリカの軍隊も] 使って平気で転覆させるんだから, 民主選挙で選ばれたものも含めて - 1953年のイランのモサッデク政権転覆にしろ, 1973年911のチリのアジェンデ政権転覆にしろ, 他にももちろん例あるけれど, とにかく自称「民主国家」アメリカなんて そんなもん と言えば そんなもん, 脱線カッコ長かったな)。要するに, 戦後, そして今も, 在外公館で一番「豪華」な建物は アメリカ合州国ワシントンD.C.にある 在アメリカ合州国(「合衆国」)日本国大使館 のそれでしょう。それが, 戦前は, ナチス・ドイツ支配下のベルリンのこれ だったのではないかと。

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写真 6) この写真を撮った日, つまり 1983年5月31日は, 第二次世界大戦が終わってから 38年近く経過していた時。それでもこれ, 何というか生々しかったような。で、この写真を撮った日から, 今日, 2021年5月31日でちょうど 38年となりました, とさ。

ナチス・ドイツ支配下のベルリンに在った日本大使館にて, 日本から派遣されていた大使はここで用を足しながら, 何を考えていたんでしょう?

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イスラエル生まれ育ち、日本在住のイスラエル人アーティスト, 平和活動家 Dani Nehushtai さんのツイート。

さてさて 。

脱線トピック 〜 ああ, 「菊の御紋」

前章で載せた, 当時の旅日記より(「菊の御紋」は前章に掲載した在ベルリン, 旧 日本大使館の写真でも見られる)。

旧 日本大使館は, 菊のゴモンでわかった。

以下, 面倒くさいからウィキペディアより(一部太字にしたのは筆者)。「菊花紋章」とは, 要するに「菊の御紋」。

1947年(昭和22年)に皇室儀制令は廃止されたため、菊花紋章を天皇・皇室の紋章と定め、または日本の国章と定める現行法令はない。しかし、慣例的に天皇・皇室の紋章として、または日本の国章に準じる紋章として、菊花紋章が用いられ続けている。
日本の在外公館の玄関には、戦前から引き続き、菊花紋章の浮き彫りが飾られている。また、日本国発行の旅券の表紙にも .. 

以降も似たような事例が記述されているが, 割愛。要するに戦後もあんまり変わってないという話。

日本にもう「天皇制」なるものは要らないと思っている。もちろん今の憲法で定められているところがあり, 国民の多数が今のままでいいという意思でいる限り変わらないのだけれども, まぁ自分にとってはこんなもん。

ついで, 俺は 無神論者ながら, 子どもの頃から慣れ親しんだ日本の(神道の)神社や(仏教の)寺 の雰囲気は けっこう好き。近隣の神社や寺に行くことだってある。今年だって何回か行っている。しかし、靖国神社は別。好きであるはずがない。

神社」自体は けっこう好きなんだってば。鎮守の森 もええなぁ ♫

さてさて 。

ここで BGM 〜 リリー・マルレーン "Lili Marleen" (Lale Andersen, Marlene Dietrich) ♫

Lale Andersen がこの曲をレコーディングしたのは 1938年ではなくて 1939年。

Marlene Dietrich, 日本語訳が付いてる。

 さてさて 。

ベルリンに壁があった時代, 西ベルリンにて(写真11枚)

まず, はじめに, あらためて。西ベルリンは西ドイツだった, と思われがちだけど, 実はそうではない。西ドイツの通貨であったドイツマルクが使われ, 住んでいる人の多くは西ドイツ国籍のドイツ人, 市長や議員も西ドイツの人で実質的には「ほぼ」西ドイツ, だったようなものだけれど, 厳密には, ってか 公式には 第二次世界大戦の戦勝国のうちいわゆる「西側」の 3ヶ国による占領地

西ベルリンは, 第二次世界大戦終結後(終戦すなわちナチス・ドイツや大日本帝国の敗戦は1945年だけど, この件は厳密に言うと)1949年から「ベルリンの壁」が崩壊した翌年の 1990年までアメリカ合州国とイギリスとフランスが占領していた, ベルリン(もちろんドイツの都市!)の西部地域。当時の東ドイツ(ドイツ民主共和国, ってどこが「民主」やねん?)の領土(ソ連が戦後占領し, 後に東ドイツの首都となった東ベルリンも含む)に囲まれ, 西ベルリンは「陸の孤島」状態だった。

ではでは, 今日2021年5月31日から数えてちょうど38年前に当たる, 1983年5月31日の旅日記の続き(午前中, 前章に写真などを載せた戦前の旧・日本大使館跡を観に行って, これは昼飯食った後, その日の午後のメモ)。

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「チャーリーポイント」には翌日, 1983年6月1日に行って, そこから東ベルリンに入った。ベルリン(西ベルリン)の「ハンカ街」(繁華街!)もその日(翌日)の夜に見つけて, 冷やかしに行った。

本章ここから先は, 西ベルリンで1983年5月31日に撮った写真の残り, 11枚。

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さてさて 。

付録: 1983年4月26日に日本を発って, 5月31日に ベルリン に着くまで

ソ連 notes, フィンランド note, スウェーデン note, ノルウェー note, デンマーク notes は割愛。ドイツ(西ドイツ)に入ってからは, 

ハンブルク

当時の西ドイツの首都, ボン

トリーア

Bonus track: スコーピオンズ Scorpions 〜 "In the Flesh" from Roger Waters' "The Wall" LIVE in Berlin (July 21, 1990)

西ドイツ出身のロックバンド, スコーピオンズ Scorpions による, 元ピンク・フロイド Pink Floyd の ロジャー・ウォーターズ Roger Waters が企画して「ベルリンの壁」崩壊(1989年11月9日)の翌年 1990年7月21日に ベルリン で行なわれたコンサート "The Wall" (Live in Berlin) におけるパフォーマンス。

"In the Flesh" by Scorpions 〜 from Roger Waters "The WALL" Live in Berlin, July 21, 1990, the concert to commemorate the FALL of the Berlin WALL eight months earlier

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