「人と違うユニークな自分でありたい」は結果的に叶ってきているのだろう。そういうことは気にしなくなってきた。
仕事に行く電車の中で前にもらった写真集を開く。
ほとんどの人が新聞やスマホを見る中で写真集を見ている自分は「人と違う」のだろうな、なんて思う。
でも「違おうとして」ではなくて「今そうすることが自分には自然だから」そうした感覚がある。
自分の中での自然さとか一貫性みたいなものがあって、人はどうあれ自分は今こうする、ということ。
ある意味では「自分は今トイレに行きます」とか「私はこれを注文します」みたいな感覚の延長線上。
◯◯をしたい、◯◯するのが自然、自分の生理反応として◯◯する、それらは分かたれず同じものなのかもしれない。
同じものとして開き直るのが「自分でいる」ことなのだろう。
違う自分でありたいということ自体を考えなくなってきたし、気にしなくなってきた。
自分にとっての必要で動く感じが分かってきた。
そう思うと「人と違うユニークな自分でありたい」も結果的に叶ってきているのだろう。
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お読みいただきありがとうございます。
毎日の日記の中から一部を抜き出して、こちらに載せています。
明るい考えも暗い気分も、毎日なにかあって、日々とはすごいものですね。それをちゃんと受け取りたいなと思います。
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