ある日、ツイッターでこんな文章をみた。
この文章には違和感を覚えた。
この違和感の正体はなんだろう。今日は学歴について少し考えてみよう。
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僕の退学した日本の高校はいわゆる進学校だ。その高校の同級生の一部は自らの高校のことを「自称進学校」と呼んでいるようだが、早慶や国公立に相当な合格者数を出しているのだから進学校と呼んでも差し支えないだろう。これは彼らの謙遜の一部、もしくは世間に「頭がお堅い奴ら」だと見られたくないが故の自称だと思われる。
そんなところに進学した僕であるが、この進学は周りの環境と両親の教育投資のおかげで十分に努力することができたからであった。
周りの友達が受験に向けてムードを作ってくれたし、塾には経済的事情を考慮することなく好きなだけ通わせてもらった。参考書も大量に買わせてもらった。模試も英検も受けさせてもらった。公立高校も私立高校も進学の選択肢に入れることができた。
これらは全て僕の力ではない。ただ幸運だっただけだ。恵まれたのだ。
当然ながら、生徒自身が努力したからこそ彼らは希望する進路へ進むことができ「高学歴」という看板を得る。しかし、彼らは彼らが努力することができたのは周りの環境と教育投資のおかげであることを自覚していないことがある。先程、僕が言及したツイートをした方はこのうちの1人だと思われる。
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日本の最高峰である東京大学の名誉教授である上野千鶴子氏は、かつて東大の入学式の際に祝辞として以下のように言った。
これは非常に有名なものである。当時はニュースにも取り上げられ、僕はそこでこの祝辞を知った。
高学歴、というよりは偏差値の高い大学や高校に行くことには社会的体裁や学歴を得る以外にも確実にメリットがある。そのメリットとは、こういうことを教えてくれる教授・先生がいらっしゃるかどうかである。こういう教授に教わりたい、また、純粋に大学に行きたくて大学に来た人もある程度はいるわけだから、そういう自分と同じような志を持つ人と出会うことができるのもメリットだと言えよう。
しかしながら、日本トップレベルの知識や経験を持っている人々に囲まれているのにも関わらず、ブランドを得ただけで満足しこんな恵まれた環境を存分に利用しない「ブランド第一主義」「学歴第一主義」と呼ばれる人も残念ながら東京大学を含む高学歴と言われるような大学には存在するのが実情である。彼らはよく人を学歴によって蔑む。そういう人間と勉学を十分にしたくてもできない人間の両方がいる現状の日本社会に心が痛む。
経済的格差や生まれた時の環境、両親の教育への関心などが学歴には大きく影響しているのは残念ながら現実であり、最近では無料塾のボランティアなどで僕が肌で感じている点である。
彼らのうちには、僕や日本の高校、カナダの高校の同級生よりも圧倒的に有望だと思えるような生徒も少なくない。彼らはまだ中学生であるから明確な夢は持っていないことが多いが、できる限りのことを吸収しようという意欲を感じる。「親に言われたから」と受動的な進学をしたカナダの日本人留学生友達とは全く違う。
しかしながら、意欲だけでは偏差値が高い高校に進学するのはやはり難しい。塾での環境のみならず、模試を受けられる回数、保護者の教育に対する関心などさまざまな要素が彼らの進路に影響するからである。
そもそも意欲を持つことだって本来彼らにとっては難しい。例えば、海外旅行をして英語に興味を持ったり、資料館や史跡を見に行って歴史に興味を持ったり…といった、本来なら日常にあるべき勉学の意欲を高める機会を家庭的、もしくは経済的理由により十分に得ることができないからである。
それでも彼らが自らの置かれた環境と闘っているのを見ると、お節介好きな僕は時間を惜しまず教えたくなるもので、過去には彼らの受験期になると僕はサイゼリヤやベローチェで塾の時間外でも勉強を教えることもあった。(サイゼで爆食いされて2000円くらい奢らされたこともあったが…)
前述したツイートは無料塾で肌で感じたことや今まで勉強してきたことと相反するため、違和感を感じるのは僕にとって当然のことだったのだ。
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高学歴の皆さんの努力を否定することはできない。どんなに素晴らしい環境があっても勉強するのは彼ら自身である。しかし、それは彼らが神様から選ばれて資本主義社会の恩恵のみを受けることができているからに他ならない。大変幸運な方々だ。
僕は、特にその資本主義社会の恩恵を受けている。塾にも沢山通い、留学までさせてもらい、終いには大学にまで行こうとしている。ざっと計算して僕に対する両親の教育投資は1000万円以上、それに加えて国や地方公共団体からの助成や支援もある程度ある。様々な人に支えられたおかげで色々なことに興味を持ち多くの人と出会い良いことも悪いことも経験することができたのである。
我々のような人間が大学でやるべきことは、そういうような社会を是正するために人それぞれの道で努力することではないかと思う。我々が今後形成する学問や経済は国や世界の豊かさに繋がり、それがいつかこの状況を是正すると信じている。だから僕は第一志望校に必ず入ると決意したのである。