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高学歴の勘違い

ある日、ツイッターでこんな文章をみた。

容姿は生まれつきによる部分が大きい。しかし、学歴は生徒自身の努力が大きく反映される。だから、学歴は素晴らしいものだ。

この文章には違和感を覚えた。

この違和感の正体はなんだろう。今日は学歴について少し考えてみよう。

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僕の退学した日本の高校はいわゆる進学校だ。その高校の同級生の一部は自らの高校のことを「自称進学校」と呼んでいるようだが、早慶や国公立に相当な合格者数を出しているのだから進学校と呼んでも差し支えないだろう。これは彼らの謙遜の一部、もしくは世間に「頭がお堅い奴ら」だと見られたくないが故の自称だと思われる。

そんなところに進学した僕であるが、この進学は周りの環境と両親の教育投資のおかげで十分に努力することができたからであった。

周りの友達が受験に向けてムードを作ってくれたし、塾には経済的事情を考慮することなく好きなだけ通わせてもらった。参考書も大量に買わせてもらった。模試も英検も受けさせてもらった。公立高校も私立高校も進学の選択肢に入れることができた。

これらは全て僕の力ではない。ただ幸運だっただけだ。恵まれたのだ。

当然ながら、生徒自身が努力したからこそ彼らは希望する進路へ進むことができ「高学歴」という看板を得る。しかし、彼らは彼らが努力することができたのは周りの環境と教育投資のおかげであることを自覚していないことがある。先程、僕が言及したツイートをした方はこのうちの1人だと思われる。

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日本の最高峰である東京大学の名誉教授である上野千鶴子氏は、かつて東大の入学式の際に祝辞として以下のように言った。

ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。

女子学生の置かれている現実

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。

(中略)

女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

(中略)

そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

(中略)

東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

(中略)

変化と多様性に拓かれた大学

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、在日韓国人教授、姜尚中さんも、高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろう二重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

 (後略)
平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子

東京大学ウェブサイトより引用 一部抜粋

これは非常に有名なものである。当時はニュースにも取り上げられ、僕はそこでこの祝辞を知った。

高学歴、というよりは偏差値の高い大学や高校に行くことには社会的体裁や学歴を得る以外にも確実にメリットがある。そのメリットとは、こういうことを教えてくれる教授・先生がいらっしゃるかどうかである。こういう教授に教わりたい、また、純粋に大学に行きたくて大学に来た人もある程度はいるわけだから、そういう自分と同じような志を持つ人と出会うことができるのもメリットだと言えよう。

しかしながら、日本トップレベルの知識や経験を持っている人々に囲まれているのにも関わらず、ブランドを得ただけで満足しこんな恵まれた環境を存分に利用しない「ブランド第一主義」「学歴第一主義」と呼ばれる人も残念ながら東京大学を含む高学歴と言われるような大学には存在するのが実情である。彼らはよく人を学歴によって蔑む。そういう人間と勉学を十分にしたくてもできない人間の両方がいる現状の日本社会に心が痛む。

経済的格差や生まれた時の環境、両親の教育への関心などが学歴には大きく影響しているのは残念ながら現実であり、最近では無料塾のボランティアなどで僕が肌で感じている点である。

彼らのうちには、僕や日本の高校、カナダの高校の同級生よりも圧倒的に有望だと思えるような生徒も少なくない。彼らはまだ中学生であるから明確な夢は持っていないことが多いが、できる限りのことを吸収しようという意欲を感じる。「親に言われたから」と受動的な進学をしたカナダの日本人留学生友達とは全く違う。

しかしながら、意欲だけでは偏差値が高い高校に進学するのはやはり難しい。塾での環境のみならず、模試を受けられる回数、保護者の教育に対する関心などさまざまな要素が彼らの進路に影響するからである。

そもそも意欲を持つことだって本来彼らにとっては難しい。例えば、海外旅行をして英語に興味を持ったり、資料館や史跡を見に行って歴史に興味を持ったり…といった、本来なら日常にあるべき勉学の意欲を高める機会を家庭的、もしくは経済的理由により十分に得ることができないからである。

それでも彼らが自らの置かれた環境と闘っているのを見ると、お節介好きな僕は時間を惜しまず教えたくなるもので、過去には彼らの受験期になると僕はサイゼリヤやベローチェで塾の時間外でも勉強を教えることもあった。(サイゼで爆食いされて2000円くらい奢らされたこともあったが…)

前述したツイートは無料塾で肌で感じたことや今まで勉強してきたことと相反するため、違和感を感じるのは僕にとって当然のことだったのだ。

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高学歴の皆さんの努力を否定することはできない。どんなに素晴らしい環境があっても勉強するのは彼ら自身である。しかし、それは彼らが神様から選ばれて資本主義社会の恩恵のみを受けることができているからに他ならない。大変幸運な方々だ。

僕は、特にその資本主義社会の恩恵を受けている。塾にも沢山通い、留学までさせてもらい、終いには大学にまで行こうとしている。ざっと計算して僕に対する両親の教育投資は1000万円以上、それに加えて国や地方公共団体からの助成や支援もある程度ある。様々な人に支えられたおかげで色々なことに興味を持ち多くの人と出会い良いことも悪いことも経験することができたのである。

我々のような人間が大学でやるべきことは、そういうような社会を是正するために人それぞれの道で努力することではないかと思う。我々が今後形成する学問や経済は国や世界の豊かさに繋がり、それがいつかこの状況を是正すると信じている。だから僕は第一志望校に必ず入ると決意したのである。

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