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割とよくあるタイプの君よ

予測していなかった繋がり

点と点との繋がりは予測できない。
あとで振り返って点と点との繋がりに気づくものである。

スタンフォード大学の学生らの前でこのように話したのはアップルの創業者の1人として有名なスティーブ・ジョブズである。

点と点との繋がりがどうたらこうたら、というのはよく歴史について勉強するときに聞くことが多い。

歴史のひとつひとつの出来事や人物を覚えることは大きな意味を持たない。その点が重なり合い、やがて線となって現代につがっているから我々が今の世に存在することが分かる、というのがその言葉の歴史分野における真意であろう。

これとほぼ同等のことが我々の人生にも言えることをジョブズ氏は示した。

僕の人生に当てはめても、それはどうやら事実のようだ。

例えば、僕は高校1年のときに高校中退という一見ネガティブで最初の挫折を経験した。「なんでこの高校に入ったんだろう」「あんなに頑張った受験勉強が水の泡じゃないか」「中学のときに勉強のみならずきちんと目的を持った進路決定をしておけばよかった」。当時は後悔が尽きなかった。

しかし、今はこの出来事について「反省」はしているが「後悔」はしていない。進路選択には多くのミスがあったが、その高校に進学したこと自体には大きな意味があったと思うという意味である。

その出来事があったからこそ僕は留学という選択肢を選ぶことができたし、大学への進学に固執しないで広い視野で進路決定できたし、アルバイトやボランティアにも多く参加することができた。

こんなことは当時は全く予想していなかった。あの出来事があったからこの出来事があり、それが今に繋がる。今こうやってnoteを適当な気分で書いているのもきっと何かに繋がるのだろう。しかしながら、ジョブズ氏の言うように無意識に創られた点と点とがどう繋がるのかは予測不可能である。

青春らしい青春を送ろうとする若者

それにも関わらず、現代の若者は点と点がつながることを予め考慮した上で行動している人が多いように思える。

そのうちのひとつが「高校生らしさ」である。

典型的なステレオタイプ、つまり奇抜な行動をするわけでも個性ある行動をするわけでもなく「まわりの高校生と同様に見られる」ことを、不思議なことに彼らは自ら望むのである。

僕は18歳なので若者の1人であるが、SNSを見ているとそう感じることが多々あり、僕が好きなジブリ映画「コクリコ坂から」などで描かれる昭和の青春とは少し異なるように思う。

昭和の青春も当然ながら青春と定義できる。しかし、その当事者たちは数十年経った今は当時を青春として認識しているであろうものの、当時から当時を青春として認識して行動しているようには思えない。いつか、大人になって振り返ってみたときに彼らが経験してきた点と点がつながって青春を形成したことに気づく。

しかしながら、現代の若者はまわりと同じようにタピオカ屋へ行き、制服ディズニーでお揃いのカチューシャを購入して、新大久保でコリアンフードを満喫して、スタバの新作フラペチーノを飲んでインスタグラムに投稿する。その投稿には#LJK (ラストJK=高3の略称)だとか#アオハル だとかいうハッシュタグが貼られている。

これは彼らが意識して点を創り、それを繋げあわせることで現代にあった「青春らしい青春」を送ろうとしている何よりの証拠である。

1984年と変わらない今

しかしそんなことを批判する者もいる。

夢に見る姿の良さと美形の Blue Jean
身体と欲でエリ好みのラプソディー

Oh Oh Miss Brand-New Day
みな同じそぶり
Oh Miss Brand-New Way
誰かと似た身なり

意味のない流行の言葉と見栄の Illusion
教えられたままのしぐさに酔ってる
Oh Oh Miss Brand-New Day
月並みを愛し
Oh Miss Brand-New Way
お出かけの前に

終わらない彼と寝てる Night Time
濡れたムードを買い占めて

Oh Yes I Know She's Right On Time
今宵 With You
Oh You Should Know
She's Breaking Up My Heart

わりとよくあるタイプの君よ

Oh ありのまま 着ままの君で 心は Rainbow
人目をはばかるにゃ 美しすぎる

Oh Oh Miss Brand-New Day
みな同じそぶり
Oh Miss Brand-New Way
誰かと似た身なり

誰のため 本当の君を捨てるの Crazy
しなやかと 軽さを はき違えてる

慣れない場所で背のび All Night
粋な努力をただで売る

Oh Yes I Know She's Right On Time
今宵 With You
Oh You Should Know
She's Breaking Up My Heart

街でよく見るタイプの君よ

作詞・作曲 桑田佳祐
ミス・ブランニュー・デイ - サザンオールスターズ

これはサザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」という1984年、今から約37年前の曲の歌詞である。

サザンの歌詞には詳しい説明がないものが多い。「いとしのエリー」の「エリー」って誰だとか、「愛の言霊」の歌詞の意味が不明すぎることとかでファンの想像を掻き立てる。

この「ミス・ブランニュー・デイ」という歌に関しても公式の見解などは聞いたことがないが、僕はこの歌を「よくあるタイプになろうとする若者に対する風刺」と解釈している。

曲中には「夢に見る姿の良さと美形の Blue Jean」「意味のない流行の言葉と見栄の Illusion」「教えられたままのしぐさに酔ってる」「誰のため 本当の君を捨てるの Crazy」「しなやかと 軽さを はき違えてる」といった今の若者にも通じる歌詞が随所に見られる。

もう一度言うが、これは1984年の曲である。それが意味するのは、若者社会が成長していないということか、それともそれが若者社会の望ましい姿ということなのか。

「よくあるタイプ」という制限下

あえてまわりと同じになろうとすることにはある程度のリスクが伴うといっても過言ではない。

自らを「世の中の同級生と同じようにいなければいけない」という制限におくことで、思考力や発想力、行動力などを奪ってしまいかねないからだ。

しかしながら、まわりや先輩が現に「青春らしい青春」を送っているわけだからそれに憧れてしまうのも無理はなく、僕もやはり無意識のうちにいつかインスタグラムで見かけたような写真と同じような写真を撮って同じハッシュタグをつけてアップロードしている。

これが良いのか悪いのかは分からないが、いずれにしても僕は密かに憧れていたような「高校生らしいこと」をしながらも、常に視野を広く持ち、自らをより高める努力をすることが大切なのだろう。

点を意識して創ることもあれば、無意識に創られた点と点とが結果として繋がってもいい。「割とよくあるタイプ」になってもいいが、持つべき力を失わないようにこれからを生きていこう。

--profile--
2003年、東京都生まれ。小学校の時に不登校を経験。都内公立高校に入学するも高校1年に中途退学。直後からカナダ・ブリティッシュコロンビア州で約2年間の高校留学に挑戦し、2021年6月末に現地高校を卒業予定。高校1年から現在まで無料塾でボランティア講師を務めている。現在、日本で国内大学への進学を目指して受験勉強中。

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