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君たちはなぜ、歩みを止めないのか。

時間が経つのは早いもので、もうすぐ始まりの四月が訪れようとしている。
1年前の自分って何を考えてたんだっけ。
そう思い返しても、パッと解答できないあたり老けたんだなあと思う。

目まぐるしく変わっていく時代の中で、特に変化量の大きいベンチャーという世界にいた僕は、知らぬ間に大きく変わっているのかもしれない。

それは、1年目を終えた君たちにもおそらく言えることで、
良くも悪くも君たちの考え方から行動の仕方まで、自覚なく変わったのだろう。

世界は意図していなくても、人間の思想や行動を変革してしまう。
そんな世界と、君たち一人一人の「1年」はどのように交わり、どのように離れ、どのように物語を紡いでいくのだろうか。


世界の1年

2019年度、事象で見たときに何が起きてどんな変化があったのだろう。
一つ一つ見てみたい。

まず元号が変わった。
元号の変化はきっかけだ。巷では「令和」という新元号を切り口に色々新しい取り組みが実装された。

大型の台風が列島に上陸した。
天災とはよく言ったものだ。交通は止まり、街は壊れ、住む場所をなくした人もいた。

新型ウイルスが蔓延した。
病気とは恐ろしいものだ。人と企業は今目に見えない情報という悪魔に弄ばれ、窮地に追いやられている。

流行った音楽、服装のブーム、採用トレンド、市場変化、上場情報……。
細かく辿れば、まだまだいろんな事象が発生し、世の中は変化している。

とは言いながらも普通に生活している中で、特段便利や、特段不便になったものがあるわけではなく、「あ〜こんな変化があるんだなあ、大変だなあ。」くらいのものばかりだ。

しかし、変化という言葉の真ん中にいる僕たちベンチャー企業は、昨日の正解が今日の過ちになり、今日の過ちが明日の模範解答になっているようなことはザラにある。

昨日あれだけ乗り気だった施策が、今日になって「これは絶対やっちゃダメだ。」に変わり、
ひと昔の組織模範である年功序列は否定され、合同説明会にいくだけでは就職活動は何も進まず、今までネガティブだったハンディキャップは強みや原体験として評価されるべき対象物になっている。

正解も不正解もない中で、目の前の指標すら定まらないベンチャーの世界は、
暗闇を歩くよりタチの悪い、もはや暗闇なのかすら定かではない世界を、「前に進め」という指示すら信じられない状態で歩むことを強いられている。

全く、なんてひどい世界だ。
そんな愚痴を吐きながらも歩みを止めず予測のできない明日を楽しみにできる、そんな性分の人たちしか生き残れない場所。

君たちは、そんな場所に足を踏み入れたことを身を以て体感したのではないだろうか。


君たちの1年

「何がなんだか、わからない。」

正直な意見はこんなところではないだろうか。
そう思うのも無理はない。君たちは上記のように壊れたいびつなパラレルワールドに足を踏み入れたのだから。

目の前の業務が、分単位で重要度が変化し、
毎度指摘される内容に一本筋を見出せず。
自分たちの時とは違う謳い文句で採用活動している人事の姿を尻目に、入社した理由なんてどこか遠い過去に置いてきてしまった。

理念共感?裁量権?新規性?自己成長?
今考えると、就職活動でよく登場した言葉の意味すら理解できなくなり、
後輩から相談されても、出せるアドバイスは「自分の信じる道を進め。」だったりする。

よく1年がんばった。本当に君たちの苦労は計り知れないよ。
心から出る賞賛の言葉……、いや、労いの言葉か。

2019年、イベントに登壇させてもらった。
その中で、自分たちがパネラーとして議論したことの一つが今も印象に残っている。

「新卒入社から1年間〜2年間どこの誰でもない、空虚な時間が流れるベンチャー企業という世界に残っている人は2割もいないのではないか。」
という話だ。

誰にも見向きもされず、
自分たちのしていることが正しいという自信も持てず。
そんな心境を周囲に相談しようものなら、「なら、辞めてもいいんじゃない?」と明確な言葉ではない暗黙の批判が、君たちを取り巻いている。

そんな中、よく頑張った。よくぞここまで進んだ。
いや、「進んだ」という表現より「歩いた」という表現が正確かもしれない。

人事という肩書きで、戦っている君たちをベンチから眺めている僕には、客観的に見て君たちの苦労がよくわかる。
みんなはよくやった、よく頑張ったはずだ。


混沌の世界の中で、明日の君たちは何を目指せばいいのだろうか。

ベンチャー企業の人たちは、よくこんな言葉を使う。

“カオス”

混沌という意味の外国語だ。
前も後ろも、右も左もないこの世界を表現するのに、これ以上の言葉はないのかもしれない。

明日食うメシを考えながら、自分たちが生き残る術を模索しつつ、
“ビッグマウスであれ”という教えを体現しようと大ボラを吹き、どこが前なのかわからない状況でも進む方向が前だと自分を信じ込ませる。
混沌な世界では、「自己承認」が生きていく上で欠かせない"麻薬"となり人を蝕んでいるのだ。

自分を信じること。
自分を承認し、認めてあげること。
他の誰でもなく、自分自身を根幹に据えて、他人の目を気にせず生きること。

この激しく混沌なベンチャーという世界において、目指す場所が一つあるとするなれば、「自己承認」という麻薬に身を埋める他ないのではないだろうか。

今自分が進んでいる方向や、速度、
そもそも進んでいるという事実そのものを、自分自身で肯定することができるのか。

ベンチャーで人が生きていくことのキモは、スキルでも知識でもなく、些細でありながら困難な人間の求める至極の心理状態を体現することなのだ。

1年よく頑張った。
君たちになりにここまで歩んでこれた。
いや、歩みすらを止めた時、自分を自分で否定したかのような恐怖と不安が君たちの足を止めないのかもしれない。

1年間の頑張りに、報いれる様に。
1年間の頑張りが否定で終わらない様に。
君たちは今日もまた、混沌の中を模索し歩み始めるのだ。

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