初めてのコーチング プロ家庭教師が考えるコツ

オンラインでプロ家庭教師をしている勝又です。

 今回は僕が仕事をするときに意識しているポイントをまとめてみようと思います。
 僕は、家庭教師をメインに仕事をしてきました。集団指導の塾や個別指導塾で教えていたこともあります。生徒の進学実績や体験記を見てもらえれば分かる通り(https://daikatsumata54.wixsite.com/dai-katsumata/seitonokoe)業界でトップレベルの実績を残していると思います。(というか実績残しているということにしないと、今回の偉そうな記事の趣旨が成り立たなくなるので、実績残してることにさせてください笑 今からカリスマ家庭教師になったつもりで偉そうに教育論を語ります。)
初めてアルバイトとして家庭教師や個別指導塾で教える大学生などを念頭に置きつつ書きます。勉強以外でコーチングをする方には、具体例の部分を自身の領域に置き換えて読んでいただきたいです。
 普通のコーチングのコツ(信頼関係を作って傾聴するなど)を書いても面白くないので、僕自身の考えを書いていきます。


教えるのが上手いとはどういうことか

 まず一番最初に考えたいことは、教えるのが上手な家庭教師ってどういう人かということです。
 説明が上手い?話が面白い?やる気にさせるのが上手い?教科の知識が豊富?
 僕はどれも二次的なことだと思います。
 教える・教わるとはどういうことか、学力が伸びるとはどういう現象なのかということを正しく理解している人が、教えるのが上手な人だと思います。そこの勉強観、教育観のようなものが合っていれば、具体的な教え方の技術は自ずとついてくるものだと思います。一方で、そこがズレていると表面的なテクニックをいくら身につけても教え上手にならないと思います。教える仕事というのは経験を積めば上手くなるとは限らないものです。指導経験の浅い大学生でも上手な人は上手です。

私の勉強観

 では、僕がどういう勉強観を持っているかを説明していきます。

教える仕事は本来必要ない

 まず、「教える仕事というのは基本的に不要」だということです。(https://note.com/daikatsumata_54/n/n3c91e9977fb6)
 人から教わってできるようになることって意外と少ないんです。趣味とか日常の雑務などは、自分で学んだり他人を見て学んだりして自然とできるようになりませんか?お金を払ってサービスを受けて何かが上達するケースって実は意外に少なくないですか?
 僕は実は人に教わるのが嫌いです(笑)独学の方が楽しいですから。でも、そのことによって、「人に教わる意味ってほとんどないけど、あるとしたらどこにあるんだろう?」と自分に問うことで何を教えるべきが見えるようになってます。
 教育業界にいる人というのは、「教わって楽しかった」という体験を持っている人が多いので、「教えるのはいいことだ」と思っていて教えすぎちゃう傾向があると思います。教えるってのは余計なことなんだと自戒を込めて考えておくと教えすぎを防げます。知識は学校で誰かに教わることで身につくものだと思い込んでいる人が多いです。でも、実際は誰でも独学する力を持っています。


やれば伸びる

 次の勉強観にいきましょう。「誰でも正しいやり方でやれば伸びる」です。当たり前のことのようですがいくつかポイントがあります。
 まずは「正しいやり方」です。小中高生の段階で自分のやり方を確立できている人なんてまずいないので、誰でも勉強法の部分には改善の余地があります。だから、そこを改善すれば成果が上がります。
 そして「やればできる」ではなく「やれば伸びる」です。褒めるとか生徒の可能性を信じるとかは大事ですけど、過度な期待もよくないです。誰だって練習すれば足が速くなるけど、誰もが100メートルを10秒で走れるようになるわけではありません。努力か才能かという議論に対して、僕はどちらかで決まるのではなく、ある程度は努力で、ある程度は才能で勝負が決まると考えています。これが教え方にどうつながるかというと、教師が過度な期待をしたりするとかえって可能性をつぶすことだってあるということです。高すぎる目標も可能性を奪うことがあります。また、誰にでも伸び代があるので、こちらの勝手な判断で生徒の目標を否定してしまうのも当然良くありません。「やれば伸びる」部分を見つけて、そこを一緒になって伸ばしていけば、生徒は自信をつけていきます。

知識の伝達は無意味

 3つ目の勉強観は「教えることは知識の伝達ではない」ということです。教師が生徒に対して知識を渡し、生徒がそれを受け取ることで学力が伸びるという勉強観を持っている人が多い印象を受けます。でも、僕はそういうモデルからどこまで離れられるかが勝負だと思っています。先ほど書いたように、人は誰でも独学する能力を持っているので、知識の伝達は必ずしも必要ではないのです。ただ情報を得るだけだったら参考書や映像授業を見ればいいわけです。ただ問題の解説をするだけの授業は個別でやる意味がほとんどないと思います。上手く例えられないですけど、ただ問題の解説をするだけだったら、適切な映像授業を見つけてきてそれの再生ボタンを押してあげるのと大して変わらないと思います。個別で教える意味は他のところにあります。
 また、質問対応もあまり意味がありません。ある1問の問題の解き方が分かることだけで成績が伸びることってありますか?そんなことないですよね。加えて、上手な質問をするにはそれなりの実力が必要です。質問に来る人の質問はどこか的外れであることが多いです。だから、質問にそのまま答えても意味がないことが多いです。それよりもどうしてそういうズレた質問をするのかを考えた方がいいです。質問にそのまま答えるよりも、そのズレた考え方を修正する助けになるような回答をする方がいいです。
 とにかく大事なことは、知識の伝達ではなく「学びが立ち上がる場をデザインすること」です。そのための方法には、課題のレベルを適切にするとか、上手な質問をするとか、生徒と信頼関係を築くとか色々あるけれど、大事なことは学びが自然と生まれるような場を作りさえすればいいということです。そして、学ぶのは生徒だけではありません。教師の側も常に学ぶのです。教えることで人間というものについての理解を深めたり教科の知識が増したりするのです。こちらが望む変化を相手に起こそうというスタンスもよくないかもしれません。「教える」という行為には相手をコントロールしようとする気持ちが伴いがちです。こちらも予想しない変化が起こり、そこから教える側も学んでいくという形が理想的かもしれません。
 生徒に伝えるべきことは「勉強の知識」よりも「勉強法」です。勉強法が改善されれば、独学できるようになるからです。でも、もっと大事なことは生徒の「勉強観」を改善していくことです。例えば、勉強とは教えられたことを疑問を持たずに丸暗記することだと思っている生徒がいるとします。こういう生徒に、どういう知識や勉強法を教えても成果は出ないです。こちらの勉強観と生徒の勉強観が違うと、どんなに説明の仕方を工夫しても、こちらのメッセージが違う形で伝わってしまいます。根本にある勉強観を時間をかけて修正していく方が、遠回りに見えて実際は近道です。

生徒はできなくて当たり前

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