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青森県でりんごが食べたい

私は昔から、果物の中で一番りんごが好きだった。

生で食べる果物なら、りんごが一番だ。
ツヤツヤとした赤い色、手に持つとズッシリと感じる存在感や重さ、切ると白い中身が眩しい。
蜜がたっぷりのりんごを一口食べると
甘い蜜の味が広がり
噛むごとに軽快なシャリシャリとした音が響く。
噛みごたえもあるし、軽快な音もまた気持ちいい。

 
幼かった頃、私は父親に「りんごはどこでなってるの?」と聞いた。
父親は

「りんごは青森県だよ。」

と、言った。

 
私が生まれて初めて聞いた青森県という響きだ。
そして、初めて青森県を意識した瞬間だ。

 
「アオモリケンに行けば、りんごをたくさん食べられる!」

 
幼い私は単純にそう思った。
青森県がどこにあるかも分からなかったが、青森県に行けばりんごがたくさんなっていると分かった。

私は想像した。
アオモリケンには、とにかくりんごの木がたくさん生えているメルヘンの国のイメージがあったのだ。

 
「アオモリケンにはたくさんりんごがあるんだ!私、アオモリケンに行きたい!!」

 
何度私はそう思い、そう願っただろう。
まだ幼稚園に上がる前だったと思う。
私は青森県に強く強く憧れを抱いた。
自分の県の次に覚えた県は、青森県だったと思う。

 
 
 
成長と共に私はりんごはスーパーでもどこでも買えることを学んだ。
りんごは好きだが、わざわざ青森県に行くことはないと知ったのだ。

 
私のりんご好きは有名で、毎年お歳暮ではりんごが段ボール三箱届いた。
親戚様々だ。

母親はりんごが大好きというわけではなかったが
姉もりんごが好きだったので
私と姉は毎日毎日そのりんごを食べた。

冬はこたつでミカンを食べるが
食卓にはりんごが出ない日はない。

姉妹で子どもの頃からりんごジュースが好きだったので
りんごジュースもガブガブ飲んだ。

もはや、どれだけりんごを摂取しているか分からない。

 
 
小学生の頃、最初の調理実習は、りんごの皮むきテストだったと思う。
りんご好きとしては負けられない。
家で特訓をし、お陰で割と皮むきは早かったと思う。
 
 
 
りんごといったら白雪姫だから
たまに姉と白雪姫ごっこをして、りんごを一口かじったら倒れる真似をした。

一口かじったら、何故かりんごの価値はガクッと下がる。

残りのりんごをかじったり、切って食べる時は何故か侘しさを感じた。
自分は白雪姫ではないという現実を思い知らされるからかもしれない。

 
だから、成長と共に白雪姫ごっこはしなくなった。
りんごは普通に切って食べるに限る。
ウサギのカットなんていらない。
普通に食べやすくカットされていればいい。

 
そう思っていた私だが
中学三年生の時に劇でたまたま、おばあちゃんがりんごを作っていて、おやつでりんごをよく食べる女性の役を演じた。
渋谷のハチ公の前でりんごをかじって、「これ、おいしいですよ。」と、都会の不良少女に言う役だ。

 
ある意味、洒落にならない。
実際リアルでも、りんごをよく食べる中学生だったのだから。

 
 

 
  
私は青森県に行くことなく、すくすくと育っていった。
なんせ、我が家から青森県は遠い。
青森県に親戚は一人もいない。

 
北海道、沖縄、九州に旅行に行きつつ
母親の実家の福島にもよく泊まりに行っていた。
毎年12月は、親戚で那須に泊まることも恒例行事だった。

家族は仕事していたし、私や姉は習い事や部活でそれなりに忙しく
そうしょっちゅう旅行ばかり行っていられなった。
旅行先は厳正された。
休みや予算の関係もある。

 
「青森県に行きたい!」と私は言わなかったし
「青森県に行こう!」とも親は言わなかった。

 
青森県は私にとって、特別な場所ではあった。
だが、成長と共に私は、ディズニーランドや動物園や水族館に行きたがった。

青森県でりんごを食べる夢は
あくまで夢の一つ、小さな夢の一つで
今すぐ叶えたいものではなくなっていった。

 
 
 
私は学校を卒業した後、障害者福祉施設に入職した。

あれは、私が社会人三年目の頃だった。

 
私の施設はりんご狩りに無料で招待され、りんご園に行くことになった。
前年度は梨狩り無料招待だった為

今年はりんご狩りかぁ~楽しそう!

と、思っていた。
地元のりんご園に行くのは初めてだったし
人生初のりんご狩りだったのだ。

 
 
私はりんご狩りをワクワクルンルンしていたのに、りんご狩りの三日前に婚約者からフラれ、りんご狩りの次の日に合鍵を返すために会う予定になっていた。

ワクワクルンルンどころではない。
本当はりんご狩りの次の日に、デートで紅葉を見に行く予定だったのだ。

 
別れ話の三日前から連絡が途切れ
「話がある。」と電話があったら別れ話で
「日曜日に紅葉はもう見に行けないから、近場の公園で最後に改めて別れ話をしよう。」という話にまとまった。

その時に「合鍵は返すね。」という話になったのだ。

 
 
りんご狩りの一週間前から、婚約者から連絡は途切れるわ、別れ話はあるわ、りんご狩りの次の日は合鍵を返す予定だわで
私は仕事をこなしつつも、気落ちが凄まじかった。
眠れず、食べられず、りんご狩りの日の写真の私は笑顔だが、げっそりしている。 

休まずに一週間仕事をこなせた自分を自分で褒めたい。

 
私の中でジェットコースターのようなアップダウンがあったことを、利用者は何も知らず
いよいよ利用者お楽しみのりんご狩りの日がやってきた。

利用者は無邪気に笑い、その笑顔にどれだけ私は救われたか分からない。

 
りんご園の近くに車を停めた後、車椅子の利用者を押した。
ビニールハウスの中にはたくさんのりんごの木があり
足元はでこぼこしていた。
車椅子をウィリー状にし、蹴り上げるように前に押していく。

ちょうど手の届く範囲に赤いりんごがなった木があったが
「この木は撮影用だから、写真のみです。」と言われ
私は支援チームの利用者4人と共に撮影した。
例の、私がやつれている写真である。

 
その写真は一回り大きく、アルバムに入らない為、私はそれを写真立てに入れて部屋に飾った。
今でも飾ってある(退職を機に、裏返しにしたが)。
その写真を見るたびに、あの一週間は本当に大変だったとしみじみ思う。

 
 
赤いりんごは、なっていなかった。

どうやら、他の施設や幼稚園や小学校もりんご狩りに参加し
根こそぎとられてしまったようだ。
【一人りんご3個まで】と指定があったが
まず、りんごが見当たらない。

たまにある赤いりんごは手が届かない位置だったり
赤くないりんごを利用者がとろうとするから止めたりと

あれ?
りんご狩りってこんなにサバイバルゲームだっけ?

と思うほど

 
ウフフ~アハハ~りんご狩りって楽しいねぇ~!

 
という雰囲気ではなかった。

 
 
私は仕方なく、比較的ジッと待っていられるが、移動が要支援の利用者と車椅子の利用者に「ここで一緒に待っていてね。」と告げ
歩行ができる利用者と、りんご園の奥に突き進んだ。

「よしっ!赤いりんごあった!とるぞっ!一人3個!Aさん、ともかさんの分もとって!合計6個!」

そこは夢も浪漫もなく
とにかく、一人ノルマ3個をちゃっちゃと終わらせようということしか頭になかった。
他の職員……支援チームも、赤いりんご探しに悪戦苦闘していた。

 
りんご狩り終了をした利用者を集めた。
一人の職員を集合地点にし、利用者の様子見を任せた。
まだまだ取り終わらない人がいるし、「車に先に乗って待ってて。」レベルには到達しない。

 
「お待たせー!車椅子組、行くぞー!!」

 
私は先ほど、動ける利用者とりんご狩りをしながら、車椅子の手が届く範囲にりんごがなっている木を探しておいた。

一気に近道で攻める。

私は車椅子をウィリー状にしながら、蹴り上げて一気に進む。
汗が止まらない。りんご狩りはもはや体育会系イベントだ。

 
枝をなんとか引っ張って、利用者の体を支え、車椅子の利用者は自分の手でりんごをゲットできた。
要領がいい職員は、車椅子の利用者や移動要支援の利用者に、自分がとったりんごを配るだけだったが

あくまで、りんご狩りなのだから
利用者が自分の手でりんごをとらないと、イベントの意味ないやん!?

と、考えた私は
汗だらけになりながら、りんごを探した。

 
りんご狩りの間はただただりんご捕獲で頭がいっぱいで
失恋のショックを忘れていた。

仕事はいい。
利用者はいい。
何も考えずにいられる。

 
なんとか全員、りんごを3個確保でき、りんご狩りは幕を閉じた。
利用者は楽しかったようだが、車椅子の方々が自力で移動できないことやりんごの数の件で色々課題が見られ
りんご狩りはその年を最後に、もう二度と行われなかった。

 
 
りんご狩りは体力勝負で疲れているはずなのに、その日の夜、私は次の日の別れ話を思うと、ほとんど眠れなかった。

「今までありがとう。」だとか
「三年間、楽しかった。」だとか
そんな優しい言葉や笑顔は
もう私に切なさしか与えなかった。

 
だから私は同じ切なさを味わわせてやりたかった。

  
合鍵を返した際、「ともかの荷物はどうする?送る?」と言われ、私は言った。

「全部捨てていいよ。送り返してこないで。もう全部、いらない。」

 
私は彼を傷つけたかった。

私が彼の家に置いてきた物を捨てる際に、少しでも傷ついてほしかった。
私を思ってほしかった。 
もし捨てられないなら、それを見て私を少しでも忘れないでほしかった。

他の人を愛しても、だ。

捨てる時に何も感じないなら、私達が付き合った三年間も婚約破棄も、それだけのことだっただけだ。

 
彼「ともかはいい子だから、俺よりもっといい人見つかるよ。でも、俺はともかを嫌いになったわけではないから、友達でありたい。」

 
私「あなたは本当に残酷だね…。私達は婚約破棄したんだよ?私はあなたと結婚したかったんだよ?

私以外の女性を選んだのはあなたの自由だけど、私はそんなあなたと友達なんか、できるはずはない。」

 
 
それからは、戦いだった。

日中や深夜に、元婚約者から電話やメールが続いた。
本当に男は勝手だと思った。
他の女性を選んでフッたくせに
私をなんだと思っているのか。

私は連絡があるたびに辛くて、辛かった。 

 
情がある人を拒否するほどの強さもなくて
何が何でも新しい彼女から奪い返したいと思う強さも
無視する強さもなくて
ただひたすらに、「新しい彼女を大事にしてあげて。私には連絡しないで。」といい女ぶって、私はメールをしていた。
電話は出なかった。

 
別れてから一年後
「彼女がアレをしてくれない。」とメールが入った。
私は体を求められたのだ。
元婚約者をセフレ扱いしても何も思わない彼の言動に
私は心の糸がブチ切れ
それを機に、彼の電話もメールも着信拒否にした。

 
そして、新しい彼女がSNSごしに、私に何度も嫌がらせをしたことにも心底嫌気がさしたこともあり
今まではスルーして我慢していたが
私はその彼女に彼の行動をチクッた。

「私はあなた達二人が私にやったことを一生許さない。」

私は泣きながら、そうメールを送った。
二人とも、精神科で働いていた、心を仕事で取り扱うプロだった。
プロも所詮、この程度だ。

 
 
「幸せになりたい。早く幸せになりたい。」

と、思っていたのに
元婚約者の次に付き合った人は女癖が悪い人で
私はどんどん自分に自信を失い
恋愛不信、男性不信になっていく。

 
恋愛で私が幸せになることはない。

 
そう当時思っていたし
婚約破棄の後にあった恋愛のあれこれはあまりに複雑で、悲しいものばかりで
やっぱり私はその気持ちのまま生きている。

結婚はできない人生だろう、と。
 
 
 
 
 
今から5年前くらいだろうか。

私はたかぎなおこさんのファンになり、たかぎなおこさんの「おまつり万歳!」という本を読み
毎年東京で「ふるさと祭り東京」というイベントをやっていることを知った。

全国各地のグルメやお祭り、ゆるキャラを楽しめるイベントで
東京ドームでやっているらしい。

 
私は友達を誘い、ふるさと祭り東京に行った。
中は想像以上の熱気と人で
活気があり
日本全国のグルメが楽しめた。
何を食べるか本気で迷うくらい、何百という料理が選べた。

そのイベントでは、全国各地の有名なお祭りをステージで見せてくれるのだが
私が行ったその日は、ねぶた祭りをやっていた。

 
それは迫力があり、見事な動きでエネルギッシュで

 
私は一目で虜になった。

 
 
ねぶた祭りを生で見に行きたいと思った。

青森県はいちいち、私のツボだった。

 
りんごも魅力だが

津軽三味線
ねぶた祭り
弘前城の桜
大間のマグロ
太宰治記念館
恐山

と、私は青森を知れば知るほどキラキラした。
ワクワクも止まらなかった。

 
数年前、りんご娘というアイドルの王林ちゃんをテレビで見て惹かれたり
同じくたかぎなおこさんの「浮き草デイズ」に出てくるももせさんが、青森県でお店を開店したので行ってみたかったりと
私は再び青森愛を強めていった。

 
三年前からテレビでねぶた祭りを放送するようになったのも大きかった。
ふるさと祭り東京でのねぶた祭りは、あくまで簡易版で
テレビで見るねぶた祭りはそれはもう…それはもう素晴らしく
私は生で見たかった。

 
五年前から毎年ふるさと祭り東京には必ず行っていたし
そこでねぶた祭りを見られたり
青森料理は楽しめたが
やはり一度は本場に行きたかった。

 
 
父親も青森県に魅力を感じ

「2020年夏は、家族でねぶた祭りを見に行こう。」

と、話していた。
私も有給で休んででも、青森県に行きたかった。

 
 
2019年、私はいよいよ来年、青森県に行こうと予定していたのだ。

 
 


 
 


 
2020年1月、毎年一緒にふるさと祭り東京に行っている友達が
退職を考えていると言っていた。
友達の事業部がなくなり、人事異動になって、今までとは違う仕事をしていたり
それにより先輩方も辞めたので
私も退職を考え出した、と。

ふるさと祭り東京で全国各地のお祭りやグルメを楽しみながらも
私は友達からの意外な話にビックリした。

私「人事異動か…違う仕事ってなると、考えちゃうよね。まして同じ事業部の先輩が次々に辞めるのはキツい。人間関係大切だしね。」

 
友達「ともかの仕事はどう?」

 
私「相変わらず人手不足で、今年度は改悪により大変だけど、辞める気はないかな。私は環境変えるの苦手だし、給料まぁまぁもらえるし、利用者はかわいいし、同僚や保護者はいい人だしさ。

パワハラはひどいけど、世の中ホワイト企業なんてないし、人間関係恵まれているから、まだ辞めるまでのレベルではないね。」

 
 
そう、1月は、友達の話を私は他人事として聞いていた。
まさかこの一ヶ月もしない内に人事異動の話があり、それが決定打で私が辞めるしかない状況に追い込まれ
友達は事業部がもう一度立ち上がってまた同じ仕事ができるようになったので、退職はしないことになった。

人生とはこれだから、何が起きるか本当に分からない。

 
 
辞表を出した私は何度も言っていた。

私「有給休暇消化期間に入ったら、青森県と広島県因島に旅行に行ってくる。

転職したら、今年の夏にねぶた祭り行けないだろうしね。」

  
周り「ただ、コロナがね……。」

 
私「今ならギリギリ行けるかもしれない。まだ青森県はコロナ出てないし。広島県は東京経由だから危ないかもしれないけど、せめて青森県ならば……!」

 
 
私は青森県と広島県のるるぶを買った。
貪るように読み、どこに行きたいかを調べ、ルートを決めていた。

  
私には時間とお金はあるが
実質許された時間はもうない。

 
私が辞表を出した頃、既にダイヤモンド・プリンセス号のニュースは連日報道されていた。
私が有給休暇消化に入る3月には、旅行はどこまで許されるか分からないくらい、日本はあまりいい状況とは言えなかった。

 
 
実際、私が有給休暇消化期間に入った時、旅行は自粛が妥当だと思われた。

広島行きも青森行きも家族に止められたし
私も行くに行けない状況なのは十分に分かっていた。

 
「ずっと働きづめで!ようやく、ようやく休みが長くとれるのに!貯金はあるのに!やっと青森に行けると思ったのに!因島にも行けると思ったのに!

なんで!?なんで今コロナなの!?なんで旅行に行けないの………!?」

 
私は荒れた。
悔しかったし、苦しかった。

 
転職したら休みはまずとりにくくなるだろうし
休み中はグッタリ寝て過ごすだろう。

 
旅行に行くなら今!だし
平日に旅行に行き放題なのも今!なのに
まさか旅行に行けないなんて思えなかった。

 
2019年、私や他の職員がサービス残業や休日出勤に追われている時
上は国内外に5回も旅行に行っていた。

「いつ死ぬか分からないし、今のうちに旅行に行っておかないとね。」

散々パワハラをして、私達を苦しめている上は
2019年に旅行をしまくって、いい思いをしていた。

 
 
結果的には、上は英断だった。

2019年に、何が何でも旅行に行っておくべきだった。
仕事が忙しすぎて、人生初四国旅行をキャンセルした日が走馬灯のように蘇る。

どうせ仕事をやってもやらなくても怒られるし
辞めるしかない未来が待っているのなら
去年、四国旅行行っちゃうべきだったかな…。

そう思っても今更遅いし
実際去年の旅行時期は年間で一番忙しなかったので
冷静に考えても、やはり旅行は行けなかった。
私は仕事をほったらかしで旅行を楽しめるような性分ではない。

 
 
やがて、2020年のねぶた祭りは中止が発表された。

青森県どころか
3月から、自分の県から出られない状況になり
そしてそのまま事態は悪化の一途を辿り

12月になった。

 
 
 
今年もお歳暮で、次から次へとりんごが届く。
毎日毎日りんごを食べられることは冬の楽しみだ。

蜜がたっぷりのりんごは今だからこそで
私は毎日毎日食べても
りんごは一向に飽きはしない。

   
今は旅行に行きたいという気持ちは諦めに変わり
それどころではなくなってしまった。
とにかく今は転職したいが
世の中は失業・倒産・不景気・感染者増加のニュースばかりで
何かを新たに始める時期としては
タイミングが非常に悪い。

だが、進むしかない。
やるしか私には道はないのだ。

 
 
 
いつか転職したり、恋愛が上手くいったりしたら
コロナウィルスの特効薬が見つかったなら
また青森県に行く機会はあるだろう。

もはや未来にかけるしかない。

  
 
今はりんごを食べたり、りんごジュースを飲むだけでなく
りんごエキスの入ったお風呂にさえ使っている。

冬の私の体は、だいぶりんごの成分が強い。










 





 


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