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初めての文通は小学一年生

私の初めての友達はAちゃんである。

 
小さい頃の私は大人の後ろに隠れているような内向的な性格で、消極的な女の子だった。 
Aちゃんは明るく元気な女の子だった。

「一緒に遊ぼうよ。」

と笑いかけ、私の手を引っ張ってくれたあの日を
私は未だに忘れられない。

 
私はとにかくAちゃんが大好きだった。
幼稚園ではAちゃんと一緒に過ごしてばかりだった。
AちゃんにはもともとBちゃんという仲良しの子がいて
三人グループではあったが
私はとにかくAちゃんが大好きだった。

 
Bちゃんは父親がお寿司屋さんだったということを記憶しているが
それ以外の記憶が薄い。
あまり活発な子ではなかったと思う。
私とBちゃんは仲良くはあったが
特別仲良しではなかったと思う。

三人グループだったが
別の友達の方が私は仲が良くて
別の友達の家には遊びに行った記憶がある。
幼稚園にして、既にグループ化があるのだから
女子は面白いものだ。

 
 
私の初めての友達とは、卒園と同時に別れが決まっていた。
私が母親の仕事の都合で、遠くの幼稚園に通っていたからだ。
Aちゃんどころか、私は全員と離れ離れになる。
実質、転校みたいな気分だ。
幼稚園のみんなは同じ学校に行くが
私と同じ小学校の子は
同級生では一人もいなかった。

 
卒園とは、「友達全員と離れ離れになること」「Aちゃんと毎日会えなくなること」と知った私は
小学校入学も新しいランドセルも喜ばしいことではなかった。
母親含め家族はハイテンションだが
友達と離れることの何がそんなにめでたいことなのか
私はサッパリ分からなかった。
先生だって幼稚園だって私は大好きだった。

卒園したくない。
みんなと一緒にいたい。

それが私の正直な気持ちだった。

 
 
AちゃんとBちゃんは同じ小学校で
小学校の話題を二人がしているのを見ると
私はなんとも言えない気持ちになった。
取り残されたような気分になった。

 
 
 
私は徐々に文字を覚えてきたので、在籍時にAちゃんに年賀状を書いて出した。
おそらく、初めての年賀状はAちゃんだった。
初めてもらった年賀状もAちゃんからだったと思う。

 
Aちゃんとの別れを寂しがる私に、「卒園してからも手紙を書けばいいじゃないか。」と家族が提案した。
私はそれまで、文通という概念を知らなかった。
文通があるならば、Aちゃんと繋がりが消えないと知った私は
卒園の寂しさをいくらか和らげた。

文通の存在を知ったのは、6歳の時だった。

 
 
 
 
6歳の春、私はみんなと離れ離れになり、小学校に入学した。
寂しいとかなんだとか言っていられない。
ピカピカのランドセルを背負って学校に行くのは義務であり、逃れられない現実なのだ。

 
母親から「友達がほしかったら、自分から話しかけるのよ。話しかけられるのを待っていても始まらないわ。」と言われた。
クラスの子は誰も知らなかったし、早く友達がほしかった私は
勇気を出して、隣の席の女の子に話しかけた。

 
私「あの、私と友達になってくれない?」

隣「いいよ。」

 
友達はアッサリできた。Cちゃんである。
机には各自の名前が貼ってあり
自己紹介をしなくても名前は分かったが
私はCちゃんとお互いの名前を言い合った。

 
「友達がほしかったら、自分から話しかけるのよ。」という母親の教えと
Cちゃんと友達になれた成功体験は
私の中で大きく残った。

 
私はその教え通り、中学校や高校、大学、専門学校で新たな環境になるたびに
自分から積極的に周りに話しかけた。
そしていつも、アッサリ友達はできた。
オリエンテーションや入学式といった、初めてのクラスの顔合わせの際に 
私はぼっちということはなかった。
必ず誰かに話しかけたからだ。
もしくは話しかけられたからだ。  

 
結果論だが、6歳の時に周りに知っている人が誰もいないという体験が
私を強くしたし、社交的にしたとも言える。

 
 
運がよかったことに、Cちゃんはヒエラルキーでいうと一番上の女子グループの、ナンバー2のポジションだった。
ナンバー1の子は、敵も何人かいたし、やがて転校もしたので
実質ほぼ、Cちゃんは女子のリーダーだった。

 
私の小学校は6年間クラス替えがない。
ずっと同じメンバーだ。
だからまず最初に、Cちゃんの隣の席だったことは
本当にラッキーであったといえる。

 
 
自分から声をかけてCちゃんと友達になれた私は調子に乗り、休み時間に校庭で遊んでいた女の子達に声をかけた。
その女の子達はクラスメートで、顔に見覚えがあったのだ。

私「私も一緒に遊んでいい?」

 
クラスメート「なんで私があなたと遊ばなきゃいけないの?あっちいってよ。」

 
私はシュンとした。
声をかければ上手くいく訳ではないことを、入学早々に私は知った。
強いて言えば、初めて声をかけたのがこの子ではなかったのが本当によかった。
もし、小学校入学初回に声をかけてこんな言い方をされたら
私の心は折れていたかもしれない。

 
 
私はシュンとしながら、Cちゃんにそのことを話した。
Cちゃん曰く、そのクラスメートは私相手に意地悪なのではなく、元々そういう気質だから気にしなくていい旨を話してくれたし
その子がヘコヘコしても、Cちゃんは彼女をグループに入れなかった。

 
Cちゃんはリーダー格である。

 
Cちゃんをきっかけに、女子ナンバー1の子とも仲良くなれた私は
着々と友達を増やしていった。

 
半面、小学校一年生の時にCちゃんに不躾なことを言ってしまい
初めて友達を泣かしてしまったりもした。
なんせCちゃんはリーダー格なので
「ともかちゃんがCちゃんを泣かした~。そういうこと言っちゃダメなんだよ。」とみんなから責められ
平謝りすることもあった。

すぐ許してもらえたが、女子というものはなかなかなかに大変なものだと
小学校一年生の時に私は学んだ。
口は災いの元、ということも。

 

  
 
友達はでき、小学校も慣れてきて、すぐに好きになった。

だけど私は、Aちゃんが忘れられなかった。
親友はAちゃんだと揺るぎなかった。

 
Aちゃんは明るくてかわいい子だったから
私をどう思っていたかは分からない。
幼稚園の頃から友達はたくさんいたし
小学校でもきっと友達はたくさんいただろう。

  
私は友達の一人でしかないだろう。

 
私はそう思っていた。
Aちゃんへの想いの方が強いと私は思っていた。
それでも構わなかった。
ただ、私はAちゃんが好きだから追いかける。
それだけだった。

 
 
「Aちゃんへ」

私は親から書き方を教わり、便箋に手紙を初めて書いた。
小学校に入学して、一ヶ月経たないくらいである。
親はかわいらしい便箋や封筒をたくさん買ってくれた。

 
「元気?小学校は楽しい?
私は友達がたくさんできたよ。
Aちゃんは幼稚園のみんなと過ごしてるのかな。私もみんなに会いたい。」

 
最初はそんな、簡単な文章だったと思う。
 
私はまだ住所が書けなかったので
最初は親に住所を書いてもらっていた。
切手は私が貼った。

 
 
ポストは自宅のそばにあったので
家族と共に投函した。
これで後は郵便屋さんがAちゃんに届けてくれるはずだ、と家族が教えてくれた。

 
 
私は手紙を投函してから、
ポストに自分宛の手紙が入っているか毎日気になり
ポストを何度も覗いたり
家族に「Aちゃんからの手紙、届いた?」と尋ねた。

小学生の頃に国語で「ふたりはともだち」という
カエル2匹の友情物語を知ったが
まさにあんな気分だった。
手紙を私は待ち続けていた。

 
 
数日後に届いたAちゃんの手紙からは、元気な様子が伝わった。
私は何度も読み返しては
Aちゃんを思い浮かべた。

Aちゃんに、会いたかった。

 
 
Aちゃんとは、それから文通が始まった。
毎月1~2通送り合っていたと思う。

私やAちゃんはお互いの趣味や学校のことを便箋に綴った。

 
私はやがてAちゃんと自分の住所が書けるようになった。
漢字でも書けるようになった。

Aちゃんがいたから
Aちゃんと文通していたから
私は手紙力がメキメキ上がったのだと思う。

 
私は内向的な女の子だった。
本を読んだり、絵を描くことが得意で、クラスの中心的な存在では決してなかった。
私は明るくしっかりとした優しい女の子の陰にいつもいた。
でしゃばったり、目立つことが嫌いで
自分の気持ちを上手く伝えることが苦手だった。

 
 
だけど私は、小学一年生の時に日記と手紙を知った。

日記は、自分の気持ちを整理することに役立った。
手紙は、自分の気持ちを家族や学校関係者以外に伝えることに役立った。

 
趣味が読書だったこともあり、私は表現力や漢字を学び、この形のない気持ちをどのようにしたら言語化できるかを考え
知っている言葉を組み合わせたり、自分なりの言葉を使い
昇華しようとしていた。

 
手紙の楽しさや文通の大切さはAちゃんが私に教えてくれた。

 
 
手紙には、時々プレゼントも添えた。
私は旅行のお土産や誕生日プレゼントを郵送したし
Aちゃんからも同じように届いた。

  
 
一年に1~2回の割合で、Aちゃんと遊んだ。

自転車で行ける距離ではないから
いつも親に送ってもらった。
親を頼らないと、Aちゃんには会いにいけなかった。

Aちゃんちに行ったり、我が家に来てもらった。
学年が上がり、小学校の友達がいてもなお
Aちゃんは私の中で特別であり続けた。 

 
今は電話が大好きだが、昔は電話が苦手で緊張してしまい
Aちゃんに遊びの誘いをすべく、電話をする時はいつも緊張した。

基本的に、遊びの誘いは全て私からだった。
だから本当に、当時Aちゃんは私をどう思っていたのか
私はよく分からない。

 
私を嫌いではなかったが
断る口実がなかったから付き合ってくれていただけだったのかもしれない。

 
 
 
 
文通は、小学校六年生になっても続いていたが
思春期に突入し、私は段々とズレを感じてきた。

  
Aちゃんを嫌いになったわけではない。
価値観のズレと、距離感である。

 
小学校はクラス替えがなく、何年間も同じ顔ぶれで
学校の思い出を共有していた。
ちょっとした話や悩みを話せる関係だし
約束しなくても毎日一緒に下校したり、習い事に行ったり、遊びに行けた。

 
だけど手紙は、タイムラグがあった。
一ヶ月に1~2回のやり取りでは、例えば何か悩み相談をしても
返事が来る頃には解決していたし
私とは価値観や性格の違いから、共感は得られなかったと私は受け取った。

 
手紙の返事も、遅かった。

私は手紙が届いたら次の日…遅くとも三日以内に返していたが、Aちゃんからは数週間後だった。
それは昔から変わらないし
それがAちゃんなのだろうが
私は段々とその温度差が辛くなってきた。

 
遊びに誘うのもいつも私からだった。
誘えば断られはしないけど
本音を言えば、たまには誘われたかった。

 
 
連絡の頻度がイコール愛情ではないのは分かっていたが
もうAちゃんへの気持ちだけで、価値観のズレや距離感を乗り越えられなくなっていた。

ケンカは一回もしていない。
だけれども、違和感は拭えない。
溝は埋まらない。

私はそう感じていた。

 
  
中学生に上がり、私は中学生活のことを手紙に書いた。
中学校は先輩後輩の縦社会や中間期前テスト、制服、体や男女関係等、色々変化が出てくる。

 
私はそれにまつわる諸々を手紙にぶつけたつもりだったが
Aちゃんは私とは解釈が異なった。
性格の違いで意見が異なるとか、そういったレベルではなく

理解されていない

と私は感じた。

 
 
 
あれほど好きだったのに、あんなに仲がよかったのに、私はAちゃんを遠くに感じて

私から手紙は止めた。

中学校一年生の春である。

 
 
Aちゃんからは、それ以上手紙は届かなかった。
電話も鳴らなかった。

Aちゃんも私と同じようにズレを感じていたかもしれないし
ただ私が求めていたから、応えていただけに過ぎないのかもしれない。

 
 
ほとんど会えなくて、文字のやり取り中心では限界があることを知った。

今ならばまた違う付き合い方もできたのだろうが、携帯電話がない時代
自分一人で会いに行くこともできず
電話も上手くかけられず
相手が受け身の場合
私はあれこれと不安になり、ネガティブに受け取ってしまった。

 
良かれと思ってAちゃんは手紙にAちゃんとBちゃんのツーショット写真を入れたのだろうが
私はそれで寂しさを感じてしまった。

Bちゃんとは今でも同じ学校で、仲良くやっているんだな…
と嫉妬や寂しさを感じてしまった。

 
Aちゃんからしたら、幼稚園三人組だから
良かれと思って写真を同封しただけだったとは思うが
私は器が小さかった。

 
 
実際はAちゃんはAちゃんで私を大事に思っていたからこそ
七年も文通は続いたのかもしれないが
自然消滅なので、それはいまだに分からない。

 
 
 
 

18歳の頃、Aちゃんの名前を偶然見つけた。

Aちゃんは私の小中校時代仲良かった友達と、同じ高校に進学していたらしく
その高校に遊びに行った際、掲示物で名前を見つけたのだ。
今でも元気にやっていると思うと嬉しかった。

姿を探したが、見つからなかった。

 
 
 
21歳の頃、SNSでAちゃんを見つけた。

私は懐かしくなり、Aちゃんにメッセージを送ったが、返事はなかった。
私がメッセージを送った時点で、しばらくログインしていなさそうだったし
メッセージは未読なのかもしれない。

メッセージを見た上で
返す気は起きなかったのかもしれない。

 
それはやっぱり未だに分からないが
Aちゃんがどこかで元気ならそれで良いと思った。

 
 
 
こんな形になってしまったのに私がこう言うのもおかしいかもしれないが
幼稚園時代、私を支えていたのはAちゃんだった。
そして小学校時代でさえ
手紙で私を支え続けてくれたのはAちゃんだった。

 
年に数えるほどの再会や電話が嬉しかったのは本当だし
Aちゃんからもらったハンカチやキーホルダーはボロボロになるまで使って
壊れてもしばらく捨てられないほど
私には宝物だった。

 
Aちゃんにとって私はどんな存在だったかな。
私はAちゃんが本当に大好きだった。

 
ただ、距離を超えられなかった。

 
 
 
 
実際、小学校時代にクラスリーダーの女の子を私は大好きになり、転校してからも手紙を送った。
だけど、返事は一度で終わった。

他の子には返事が届いていた。

それが答えだった。

 
転校前までは仲良かったのに、髪の毛をしばってもらったり、放課後遊んだりしたり
何年もクラス一緒だったのに
転校してしまってから三ヶ月も関係はもたなかった。

 
大人にとっても距離は大きいが
小学生にとっての物理的距離は更に大きく感じる。

 
 
うん…そう考えると
あれだけ社交的で明るく友達の多かったAちゃんが
卒園してからもしばらく私と繋がっていてくれたのは
自信を持ってもいいのかもしれない。

AちゃんはAちゃんで、確かに私を好きだった、と。

 
卒園アルバムでは、Aちゃんが私の隣にいる写真が二枚採用された。
写真が苦手で仏頂面の私を和らげるように、Aちゃんは手を繋いでくれたり
隣に寄り添ってくれている。

 
本当に大好きで、ずっとそばにいたかったのに
どうして人はいつまでもそばにいられないのだろう。
距離を超えられないのだろう。

気持ちは変わってしまうのだろう。

 
 
今、Aちゃんがどんな大人になっているかは
私には分からない。

どこかで元気で幸せに過ごしていたら
それでいい。
 

 

 


 

 

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