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父と母が出会った日

私の家はオープンで
祖父母の出会いや馴れ初めだけでなく
父と母がどのように出会ったのかを
小さい頃からよく聞いていた。

 
その話に出てくるのは
決まっておならであった。

 
 
母は東北の出身で
五人きょうだいの四女だったという。
下に弟がいた。

 
東北は東北でも、周りは山に囲まれたようなド田舎で
周りには緑しかなく
小川がサラサラと流れていた。

 
隣の家は見えないくらい遠く
家の前の道路には一時間に一回車が通ればくらいだった。

 
周りの山々は非常に安く
今から数年前に買い取り
家から見える景色の山や緑は全て母の実家のものになった。

 
母の話によると
もともと祖父母は東京生まれで
ご先祖様はお殿様の刀持ちだったらしい。
だからよく「お母さんの血筋は、ただの田舎の者ではないのよ!刀持ちよ!」と言っていた。

 
母の実家は酪農家で
牛舎には乳牛がたくさんいて
畑でも色々なものを作っていた。
山には山菜もよく育っていた。

 
母方の祖父母は、戦時中に東京から東北に来た。
開拓をしたようだ。
だから東京育ちの祖母は本当に苦労をしたらしい。

今でさえ自然以外何もないところだ。
引っ越し当時は本当に何もなかったに違いない。

軌道に乗るまで時間はかかったようだ。

 
きょうだいで家業を手伝い
母は小学校三年生から料理を担当していたそうだ。
牛の出産にも立ちあったりした。

 
母は進学希望だったが
母方祖父は「女に学歴はいらない。」という主義で
母の進学に反対だった。

 
そこで母は家を出て
栃木にやってきて
働きながら学校に通っていたらしい。
この時代は苦労が多いのか
母はあまり話さないし
父も「お母さんにはあまり聞かないように。」と言った為
私も姉も積極的には聞かなかった。

 
母はやがて幼稚園で働き出すようになる。

 
 
一方、父親は栃木出身、在住で
四人きょうだいの三男として生まれる。姉が一人いる末っ子だ。

 
実家は農家を営んでおり、祖父母は一時期親戚の会社でも働いていた。

 
父方祖母は教育熱心で
子どもを農家で終わらせたくなかったそうだ。
汗水流して働き、進学に積極的だった。

 
実際、叔父や叔母は
起業により社長、校長、助産師と輝かしい経歴である。

 
父は教員を目指して大学に行く。
最初は中学校の教員を目指したが
卒業後、一年間他の教育コースも履修し
小学校教諭の免許も習得し、栃木で教員として働き出した。

 
父は母の一歳上だが 
このような経緯があり
母の方が先に社会人として働き出していた。

 
 
母が23歳、父が24歳の頃の話だ。

当時、幼稚園の保護者で子どもを何人も預けている方がいた。
その方は父方祖母の遠い遠い親戚だった。

 
「誰かいい人いないかしら?」

 
園長の母にあたる人に、その人は声をかけた。

 
当時、父は結婚を意識していた。
今から約40年前はそれくらいが適齢期であるし
父のきょうだいの長男、次男、長女は全員家を出ていた。
家業を継ぐ予定だった長男は
お嫁さんが実家に馴染めず
早々に本家を出ることになってしまった。
父は跡継ぎを心配する祖母を安心させたかったのもあるだろう。

 
中学生時代に付き合っていた彼女がいたが
次男から勉強の妨げになるからと別れさせられていた。

 
先日、見合いをしたが
父曰く、年上の気が強い人で
先方は気に入ってくれたらしいが
父は断っていたところだった。

 
幼稚園の先生は若く、独身の先生が多いが
白羽の矢が立ったのが母だった。

 
母は就職先というだけでなく
実家をあまり頼れない状況だった為に
住まい等園長先生にお世話になっていた。
幼稚園の先生の中ではより園長先生と近しい間柄だっただろう。

 
母は、乗り気ではなかった。

 
幼稚園の仕事は行事や持ち帰り仕事も多いし
母は仕事に燃えていて
恋や結婚は二の次だった。

 
だが
お世話になっている園長先生の母親からの頼みならば
一度くらいは会わないわけにはいかない。

母は了承した。

 
初めて会った日
母は父とどこに行ったのかは覚えていない。

 
ただ、スラッとしたスーツが似合う体型や公務員であること、また父の住まいから学校が近いことに母は惹かれた。

 
母は実家が学校から遠くて大変だった為
結婚するならば、学校が近い場所に住みたかったらしい。

 
また、父も母も親は家業に忙しく
どこかに連れて行ってもらうことが乏しかった子ども時代を送って寂しかったことが共通していた。
子どもができたら、色々な場所に連れて行きたい。
そんな価値観が一致したらしい。

 
母は小柄で痩せていてかわいらしい顔立ちだった。
また、父にはない明るさやおおらかさがあった。

 
父は初日で母にぞっこんだったらしい。

 
「だけどお父さんったら、おならしたのよ、おなら。」

母は言う。

 
デートの終盤
父の車でドライブしていると
「ちょっと失礼。」と父が言い
おもむろに窓を開け
おならをしたらしい。

 
乗り気ではないデートでおならをするなんて最悪だと思うが
「生理現象なら仕方ない。」と母は言う。
この父にこの母あり、である。

 
それからの父は猛アタックで
電話をしまくり、デートを誘いまくり
仕事が終わった後は待ち伏せをし、と
半ストーカーだった。
おならをする半ストーカーなんて私なら嫌だ。

 
昔は父が母にぞっこんなのに
母が父の好きなところが「公務員。スーツが似合う。」「お母さんを好き。」だったところが侘しかったが
大人になると分かる。

 
恋愛と結婚は違う。
人生で一番好きな人と結婚することばかりではないし
好きな人と結婚したからといって幸せになるわけではないことを。

 
付き合いだしてしばらく経ち
両親は結婚し、実家で父方祖父母と暮らすようになった。

入籍してからほどなくして妊娠が発覚し
第一子である姉が生まれた。
そしてその後
第二子である妹の私が生まれた。

 
大恋愛の末の結婚ではないし
両親は二人揃って結婚して早々に結婚指輪をなくす不吉さがあったが
両親は今でもそれなりに仲良くしている。

 
基本的に夕飯は家族揃って食べるし
休日の朝ご飯もみんなで食べる。
たまには外食に行く。

両親は今でも二人で出掛けたりもする。

 
私が23歳の頃は
初めて付き合った彼を忘れられないまま
次の人と付き合いだした年だ。

 
姉はといえば
母と同じく、幼稚園教諭としてバリバリ働いている頃で
その頃はお付き合いしている人はいなかった。

 
だけど結果的には
姉は母と同じ年に結婚し
子どもが二人生まれた。

 
姉は母に似た生き方をしていると思う。

 
一方私は30代になっても結婚の気配すらなく
たび重なる恋愛や婚活の疲れや不信感から
恋愛に積極的になれずにいた。

 
いつか私もパートナーができたのなら
出会った日を綴っていきたい。

 
 
 
 
 

#出会った日

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