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着ぐるみバイト2日間

「いつかディズニーランドでバイトしたい!キャストになりたい!」

 
高校時代、友達は熱く語っていた。

 
 
私が高校生の頃、学校でバイトは禁止されていた。
学校に隠れてバイトをするような子も周りにはいなかった。
仲の良い子は皆、大学受験を目標にしていたし
「高校時代までは、優先すべきはバイトじゃない。」と思っていた人が
私の周りには集まっていた。

 
だけど、高校生ともなれば、やりたいことや行きたい場所が溢れていて
お小遣いだけでは限界を感じる時期だ。
私や友達は、高校受験が終わった後にどんなバイトをしたいか、よく話をしていた。

 
  
ディズニーランドで働く。
それは確かに憧れだ。

もしランドで働くなら、衣装だけでいうならホーンテッドマンションがいい。
深緑色のロングワンピースに白いエプロン、ヘッドドレスが
どことなくメイドさんのようでかわいい。
私はメイド服が好きなのだ。

 
なりきって働くなら、ジャングルクルーズだ。
父が一番ランドで好きなのがジャングルクルーズで、家族でランドに行くと必ず乗った。
船に乗り込み、ジャングルを冒険する時のキャストの口調は見事で、「おぉーっと!あぶなぁぁぁい!」等と言いながらハンドルを切るあの動きに
どれだけワクワクしたか分からない。
私と姉はよく真似をしていた。
まぁあそこは男性限定だから私はなれないが
なりきるんだったらあそこは楽しそうだ(その数年後、女性もOKになった)。

 
仕事内容なら、掃除をやるキャストがいいな。
私は昔から掃除のおばさんになるのが夢だった。
パーク内に落ちたポップコーン等を箒で掃いたりしながら
お客さんに道案内したりするのだ。
一番お客さんから質問をされやすいポジションだろう。
何を聞かれても的確に判断し、身近で力になれる仕事もやりがいがあると思った。

 
 
だが、我が家からディズニーランドは遠いし
受験する大学もどこもかしこもディズニーランドは遠かった。
受験が終わればランドでバイトできるわけもなく
あくまで私の果てしない夢の一つだ。

 
 
大学受験が終わり、晴れて大学生になった私は
家庭教師のバイトとめがね屋さんのチラシ配りのバイトを始めた。
どちらも時給が高いことが魅力だった。
当時我が県の最低賃金は650円を下回っていたが
家庭教師は時給1500~2000円だったし
チラシ配りは時給900円だった。 
大学が遠方であり、また大学の講義の関係もあり、ガッツリ飲食店等でガンガンシフトを入れることは難しかった。
平日に週1~3日家庭教師をし、土日はチラシ配りをやり
私はWワークでバイト代を稼いでいた。

 
 
 
そんな私が大学三年生の頃である。 

母親が私に「お母さんの職場で2日間バイトしない?」と声をかけてきた。
私は「どんなバイト?」と尋ねた。

 
母「今度あそこに支店がオープンするから、オープン記念でイベントをやるのよ。着ぐるみを着てね、風船配ったりするの!どう?」 

母「お昼付きで時給850円。一日8時間。お母さんも責任者としてお店に顔出すから、バイト先まで送るわ。交通費0円。」

 
私「着ぐるみ着られるの!?やるやる!」

 
私は即答であった。

 
  
私は洋服が大好きだった。
メイクには興味がないくせに、色々な洋服を着たり、コスプレのような、普段着られない制服や衣装を着ることも大好きだった。
ディズニーランドのキャストに憧れたように、私は着ぐるみのバイトにも強く憧れていた。
小さい子が「一緒に写真撮りたい!」と言った時におどけたポーズをとるのも楽しそうだ。
こち亀で着ぐるみの基本的な動き等も読んでいたし
家庭教師やチラシ配りでは味わえない楽しさがあると思った。
着ぐるみは暑いのがネックだし、動きがハードなのも体力が心配だが
この時はちょうど冬である。
着ぐるみがポカポカあたたかいし、2日間だけならいいだろう。
 
 
それに時給も高いしな……(当時は800円以上の時給バイトは高いという認識。コンビニや本屋バイトで750円時代)。
母親が責任者だから、従業員も娘の私に強く当たったりはできないだろう(計算高い)。
お昼付きで交通費0円も魅力だ。
我が家からも近いしな………イヒヒ。

 
私は突然舞い降りたバイトに喜んだ。
お金が稼げて、しかも楽しそうな内容ならなお良い。

 
 
母親の仕事場には何度か行ったことがあるが、今回のバイト先はオープンしたてなので、さすがに行くのは初めてだった。
母親が勤めていた会社はいくつかの事業を展開していて
母親は本社勤務をしながら、色々な支店の様子を見たり、他県に出向くこともあった。

 
母親が仕事着に着替え、私は母の車に乗り込む。
高校時代は本社が高校の近くであることから、出勤がてら高校まで乗せてもらうこともたまにあったが
高校を卒業してからはこんな機会はなくなっていた。

家ではちゃらんぽらんな明るく面白い母だが
仕事ではやり手だと周りから噂を聞いていて
そのたびに私や姉は首をかしげた。

 
レレレのおじさんの物真似をしながら掃除している母親が、やり手、ねぇ………。

 
 
 
思えば、母親の職場に行くことはあっても、母親と仕事をすることは初めてだった。
バイト先まで向かう車内で会話する間は親子関係だが、駐車場に車を停め、降りてからは空気が変わる。

母親は「おはようございます。」とキビキビした動きで店内に入っていく。
仕事モードになった。
すでに他の従業員の方が仕事をしていた。
母親の姿を見て、次々に従業員の方が頭を下げて挨拶をする。
私も母親に続いて後ろを歩き、「おはようございます。」と挨拶をした。

 
母「娘のともかです。色々ご迷惑おかけしちゃうかもしれないけど、皆さん、よろしくね。」

 
私「いつも母がお世話になっています。2日間だけですが、よろしくお願いします。」

 
A「あらっ噂のともかちゃんね!本当だ~全然似てないね。お父さん似かな?おしとやか系。」 

 
母「あーら♪私に似て肌が雪のよ~~~に白いし、私もおしとやか系よ♡うふ♡」

 
A「嘘おっしゃい(笑)」

 
 
Aさんは、母親と仲が良さそうに笑った。
Aさんは母親が一緒に働く仲間のうちの一人で、母が職場で一番仲の良い人だった。
自宅にいても、仕事の打ち合わせでたまにAさんから電話が入った。
今日のイベントにはAさんも来ると聞き、それがバイトの決め手の一つでもあった。
Aさんは40代で茶髪で、メイクが濃いめなチャキチャキした人だった。

なるほど、この人が噂のAさんか。

  
従業員の方に一通り挨拶した後、私は控え室で母親から渡された衣装に着替える。
キティちゃんである。
母親から渡された衣装は着ぐるみとはいっても、つなぎタイプのもので、顔が出るタイプだった。
フードに耳や顔がついていて、ドンキやしまむら等で売っている、ハロウィン用のようなものだ。

 
顔出るのー( ̄□ ̄;)!!

 
私は衣装を見た時に真っ先に思った。
鈴木雅之の歌が頭の中を流れる。
違う違うそうじゃそうじゃなーい♪
着ぐるみバイトの何が重要って、顔が見えないことじゃないか。
だからこそ演じやすいというか、なりきりやすいというか…。

 
頭の中でちゃりら~んとなりながらも
とりあえず着替えた。
ええぃ、ままよ、だ。
もうここまで来たらやるしかないのだ。
いいじゃないか。
キティちゃんの服だって初めて着るし、うん、これはこれでかわいい!
今でこそハロウィン仮装が日本でも大々的になり、しまむらやアベイルでも安価で
なんちゃってコスプレ衣装は売っているが
当時はハロウィンはあくまで外国の行事だし
こういった衣装もまだまだ高額でなかなか着る機会はなかった。
せいぜい、文化祭で陽キャが揃う運動系サークルの中のリーダーやマドンナポジションくらいしか
着ないイメージだった。

 
私はキティちゃんに変身した。
かわいいかわいいと従業員の人達がチヤホヤする。

 
 
私は母に連れられて店の外に出た。
駐車場エリアにはAさん達がいて、焼きそばや豚汁を作っていた。
今日販売するらしい。

 
私の仕事は以下の三つだった。

①「本日オープン」と書かれた看板を持ったり、店名が書かれた旗を振って、道行く人にアピールをする。
②来店者がいればミニゲームを行い、ゲームの勝敗に合わせて景品を渡す。うまい棒など。
③来場者記念に大人にはボールペンを、子どもには赤い風船を渡す。

 
初日であることもあり、暇な時はとことん暇で道行く人に旗を振りまくり
来店者が一気に来れば途端に忙しくなった。
オープン初日はちょうどいい天気で
着ぐるみは寒くも暑くもなく、快適だった。
むしろ従業員の方の方がお揃いのユニフォームだったので
暑かったり寒かったりしたかもしれない。

 
A「ともかちゃん、お昼にしよう。」

 
走り回っている母に代わって、私の面倒を主に見てくれたのはAさんだった。
労働の後のご飯の美味しさよ!
私は焼きそばや豚汁等販売していた料理を色々タダでもらった。
Aさんから母親がすご腕であることを聞き、また走り回っている母親の姿を見て
家と外ではこんなにも違うのかと関心したところで
母親も一区切りついたらしく、お昼を食べに来た。 

 
母親の職場で、すご腕らしい母の隣で、キティちゃんの格好で外でご飯を食べる。
なんだかそれは不思議で滑稽な気になった。

 
 
子どもによっては着ぐるみが怖いと泣かれたが
初日はキティちゃん
二日目はクマのプーさんに扮し
特に大きな問題もなく、バイトは無事に終わった。

 
 
私「2日間ありがとうございました!」

 
Aさん達「ともかちゃん、2日間ありがとう。またいつでも遊びに来てね!」

 
 
 
私は皆さんに頭を下げて、母親と共に車に乗り込んだ。
これで私の役目は終わりだ。

母「2日間バイトお疲れ様。バイト代は家に帰ってから払うね。疲れた?」

  
私「気は遣ったけど、着ぐるみも着れたし、楽しかった!それに……お母さんの働く姿も見られてよかった。」

 
 
車内では母親が母親に戻っていた。
プライベートモードだ。

小さい頃と二十歳を過ぎた今、母親の働く姿を見ることは感じることが違かった。
お金を稼ぐ大変さが段々と分かってきたからこそ
外で一日中働いて
家では本家の嫁として動く母親は
私にとってとても誇らしく、かっこよかった。

 
母はいつも優しく明るい。
注意されることはあっても、怒られることはなかった。
感情的になり、アップダウンが激しい私と異なり
母親は大らかで、器が大きかった。

 
お母さんのような女性になりたい。

明るく優しくありたい。
バリバリ働いて、あたたかな家庭を築きたい。
子どもを産み、育てたい。

 
 
その、母親への憧れや思いは
年齢を重ねるごとに大きくなっていった。
母はいつでもいつだって偉大な存在で
私は勝てない存在だった。

 
着ぐるみの憧れから始めた2日間だけのバイトで
私は思いがけず、母親への尊敬をより深めた。 

 
 

 
  
母親だけでなく、父親の仕事ぶりを見てみたいと小さい頃から願っていたが
私が大きくなる頃には部外者立ち入り禁止になってしまい
父親はやがて定年退職となってしまった。
定年退職後も別の仕事をしており、偶然勤務中の父親が私を見掛けたらしいが、私は父に気づかなかった。
悔しいことこの上ない。

 
姉の仕事をしている姿は、私も両親も見たことがあった。
姉は母親によく似ていた。
母と同じ年で結婚し、子どもを育てながら正職員でバリバリ働いている。
根性があった。
両親はよく、姉の頑張りを褒めていた。

 
 
私は仕事をしている自分が好きだったし、誇りを持っていた。
私も仕事をしている姿を両親に見てもらいたかったが
あいにく私の職場も部外者は立ち入り禁止のため
私は働いている姿を両親に見せることなく
退職となってしまった。

 
私も学生時代に様々なバイトをしたし、10年以上施設で正職員として働いていたが
働いている姿を親に見せられたのは
結局この着ぐるみバイトだけであった。

 
そして今はただただ
無職独身彼氏なしという姿しか親に見せられない。

 
 
 
思い切り働きたい。
結婚したい。
そして両親に安心してもらいたい。

 
その思いは強いけれど
それに反して現実は、どこまでもちっぽけで、できそこないの娘でしかない。
姉との差は開くばかりなのである。

 
 
「ともかなら大丈夫だよ。きっといい人見つかるよ。」
「資格たくさんあるし、きっと転職できるよ。前の職場はブラックだったんだし、今は休んでもいいんだよ。貯金だってあるから生活に困らないでしょ。」

 
言われれば言われるほど
確かにその通りだけど、未来に確かな保障は何もなくて 
不安で怖くてたまらない。
これからどうなってしまうのだろうと思い
他の人はキチンと生活しているのにと思い

それなのに私は…
それなのに私は……

と、自分を責めてしまう時がある。

 
 
前向きに考え、行動し
今できることをやる。
周りは周り、自分は自分。
比較すべきは過去の自分。

あのまま働いていたら廃人になりかねなかった。
これでよかったんだよ。
大丈夫。
賃貸アパートじゃないし、貯金だってあるでしょ。
体さえ丈夫ならまだ働ける。
心をやられたら、体もやられる。
今やるべきは心身を整え、チャンスが来た時に万全の体制で臨めること。

 
大丈夫。
焦るな。
大丈夫だから。

 
私はそう、自分で自分を慰め、励ます。

 
 
 
未来は分からない。
良くも悪くも、分からない。

だから今
正しくありたい。
優しくありたい。
楽しさを忘れずにいたい。
心身を大切にしたい。

今どう生きるか。
それが未来へ繋がるのだ。

 
努力は必ず報われないが
努力した先で何らかの道が開けたり、何らかのきっかけには絶対になる。
無駄にはならない。絶対にだ。

 
そう信じて、私は今日も生きる。

 





 






 
 
 

 
 




 







 





 

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