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裁判所に行き損ねた理由

私が中学生の頃だ。

 
中学時代、選択授業というものがあった。
理科か社会か選ぶんだと思う。
いや、五教科で選択だったろうか。
そこあたりの記憶が曖昧だ。
理科を選択した人がスライムや色付きの結晶を作っていた記憶はある。
私が当時好きだった人が理科を選択していて
それらの一部をもらったからだ。

 
私は社会を選択した。

五教科で一番理科が苦手だったし
仲が良い友達は社会を選択したし
私は理科の先生がちょっと苦手だった。
社会の先生の方が接しやすかったのだ。

社会を選んだ理由が「社会が好きだから」ではなく
どちらかといえば、人間関係が重要視されているのが面白い。
もしかしたら仲が良い子が理科を選択したら
私は理科を選択していたかもしれない。

 
理科と社会なら社会が好きだが
絶対的に社会でなければいけない理由はなかった。

 
 
選択科目が社会の生徒は、初回授業時は図書室に集まるように言われた。
理科の生徒は理科室だ。

私の中学校は図書室より奥に理科室があり
移動教室時、理科選択の人達と図書室前で別れ
何人かがゾロゾロと理科室を目指していた。

 
社会選択の人は図書室前に着いた。
人だかりができている。

 
…鍵が空いていない。

 
中学時代、図書室はいつも鍵がかかっていた。

小学生時代はしょっちゅう図書室に行き
毎月10冊以上借りていたのに
中学時代は先生から許可がないと図書室の鍵を開けてもらえず
私は中学生になった瞬間に図書室に行かなくなった。本も借りなくなった。

小学生時代の図書室の方が、本がたくさんあって品揃えがよかったこともある。

 
係の生徒が職員室まで図書室の鍵を取りに行った。

図書室は二階、教室も二階
職員室は一階だった。

係の生徒が鍵を開け
私達は一斉に図書室に入った。

私の中学校はチャイム着席という
チャイムが鳴り終わるまでに着席していないとペナルティがつくというルールがあり
私達は空いている席に適当に座った。

 
初回授業の為、座席は分からないし、まだ先生は来ていなかったが
ルールに則って着席して待った。

 
 
しばらくして、社会の先生が図書室に来た。

細身の女性で50代、研究所でホコリかぶった学術書を読んでいそうな雰囲気だった。
エキゾチックというか、ミステリアスな雰囲気がある先生だった。

 
 
社会を選択した人は調べ物学習だった。

図書室にある本や教科書を使い
何らかのテーマのものを、指定用紙にまとめる授業だった。

 
 
私は裁判所や犯罪について調べることにした。
昔から、犯罪について私は関心があった。

 
何故事件は起きたのか。
加害者はどんな人なのか。
被害者と加害者の関係は何か。
加害者は生まれつき異常なのか。環境要因がそうさせたのか。
犯罪者はその後どうなるのか。
罪を償い、その後は普通の人間として真っ当に生きられるのか。

 
私はそんなことに興味があった。

犯罪者になりたかったわけでも、被害者になりたくなかったわけでもない。
犯罪や事件のニュースを見るたびに
その背景が気になったのだ。

 
 
私は選択授業がきっかけで、触法少年と虞犯(ぐはん)少年という言葉を知った。

触法少年とは、犯罪を犯した14歳未満の子を指し
虞犯少年とは、保護者等に反抗的な態度が目立ち、将来高確率で犯罪を犯しそうな子を指す。 

 
私と同世代の子の中に、触法少年や虞犯少年と区分される人がいて
少年法により、どんな罪を犯しても軽い処罰で済む人がいて
被害者やその家族が無念でしかない現実がある。

そしてその被害者もまた、私と同世代の人がいる。

  
そんなことを思い浮かべれば浮かべるほど
私は調べ物学習に力が入り
街の図書館にまで繰り出して本を借り
提出物のクオリティを上げていった。

 
 
そんな中、先生から裁判所見学の話があった。
社会を選択している希望者は、夏休みに裁判所見学に行けるらしい。

裁判所見学!!!

私はドキドキした。
小学生時代に新聞社見学や工場見学はしたことがあるが
裁判所はまだ行ったことがない。

  
社会で散々裁判所について色々学んでいるくせに
裁判所を見たことさえなかった。

私はテレビで他の都道府県の裁判所を間接的に見るくらいしかしたことがなかった。

  
胸が高鳴った。
行きたい!私も行きたいなぁ……!

 
 
私「ねぇ、裁判所行く?♪」

 
友達A「別にいいかなぁ~。」

  
友達B「私も~。」

  
私「そっかぁ……。」

 
私はシュンとした。
仲良しグループの子は裁判所見学に興味を示さなかった。
他のグループの仲が良い子も同様だった。
それどころか、私の苦手な人は見学を希望していた。

 
今の私ならば、ぼっち行動はなんとも思わないし
むしろ一人は気楽だし
自分がやりたいならやるし
行きたいなら行くのだが   
当時の私は中学生だ。

学校と家が世界の中心で全てに近い。

仲良しの子が行かないというならば
私も行かない選択しかなかった。

 
選択科目を選んだ理由に人間関係が関わっていたように
裁判所見学に行かない理由もまた、人間関係が関わっていた。

 
「なかなか裁判所行く機会はないから、いいチャンスよ。」

  
そう先生は言ったし
そう私も思ったし
胸がドキドキしたのは確かだった。

だが、私は不参加と伝えた。

 
 
結局、裁判所見学は社会選択をした生徒1/3以下の子が行ったようだ。

 
 
 
私はやがて私立高校を受験した。

その高校は裁判所の近くにあって
私は高校受験の時に初めて、バスから裁判所を見た。
立派な厳かな建物に生唾を飲む。
何も悪いことはしていないのに、裁判所は威圧感が半端なかった。

 
希望者はここに行けたんだ…。
この中まで入ったんだ……。
やっぱり、行きたかったなぁ………。

でもまぁ、こうして見れただけでもよかった。

 
私は裁判所をジッと見つめた。
受験へのもやもやした気持ちとは別の複雑な感情が
私を襲った。

 

 
私は県立高校受験に失敗し、私立高校に入学することが決まった。

中学時代に焦がれた裁判所を毎日見ながら通学した。
あんなに行きたくて堪らなかった、見たくて堪らなかった裁判所前を
まさか高校時代になって幾度となく通るとは思いもしなかった。

 
更に、母が当時その近くで働いていたので
母の職場に行く用事があったり
母が仕事のついでに近くまで送ってくれる時も
やたらと裁判所は目に入った。

  
 
手の届かない存在のはずの裁判所は
もはや身近な存在になった。

裁判所は私とは無縁で、非日常的な厳かな存在だったが
まさか高校の通学途中にあるものであり
母の職場近くにあるものになるとは思いもしなかった。

日常生活の景色に、裁判所は溶け込んでいった。

 
 
 
やがて私は大学生になり、裁判所から遠く離れた大学に進学した。

母は母で同時期に異動になり、職場は変わったので
親子共々裁判所に無縁な生活になった。

 
 
そんな私は大学三年生になり、犯罪心理学のゼミに入った。

犯罪者の心理がどうのこうのと学び、論文を書き
大学四年生になっても犯罪心理学のゼミを希望し
卒業論文もそっち系なのだから面白い。

 
三つ子の魂百までというか
私の根本は結局変わってはいないのだろう。

 
 
 
 
大学を卒業した後は障がい者施設の福祉職に就き
犯罪とはほぼ無縁の生活に突入した。

ほぼ、というのは、利用者が罪を犯し
警察のお世話になることはたびたびあったり
前科のある利用者が施設を利用するケースがあったからだ。

完全に無縁とは言えなかった。

 
 
社会人になった私は相変わらず
何かしら気になる事件が起きるとネットニュースや新聞を読みあさっている。

場合によっては被害者家族や加害者、加害者家族が書いた手記を購入し
読んでいる。

犯罪心理学の本も相変わらず読んでいて
私の興味関心はそこにあった。

 
 
私が二十歳を過ぎた頃、裁判員制度が始まった。

任意で選ばれた一般人が罪を裁くという制度だが
私含め周りの人は選ばれないことを祈った。
基本的に辞退はできないようだし
責任や負担は重いし
私は選ばれないようにと今でも全力で祈っている。

 
 
裁判員として、裁判所の中に入りたくない。
かといって、犯罪者として裁判所に入りたくない。
被害者やその関係者として入るのもごめんだ。

 
やはり中学時代に先生引率での見学はありがたかったと思うが
行かないと決めたのは当時の私なのだから仕方ない。

 
大人になると、裁判所に行ったことがある人が何人かいた。
調停離婚だと裁判所にお世話になると知ったし
私の両親は土地や遺産の件で裁判所に行っていた。

 
必ずしも、犯罪に関わる人だけが裁判所に行くわけではない。

 

 
 
 
この前友達が、「今裁判所」とLINEをしてきた。
会話の流れから、「今、裁判所前の道にいる」という意味合いでこう言ったのは分かるが

「今裁判所」

というパワーワードに私は憧れを抱いた。
一度使ってみたい単語だ。

 
 
犯罪関係以外で裁判所の中に一度入ってみたいというのが
私の長年の夢の一つである。

数日前の友達とのLINEがきっかけで
誰かにさり気ない会話で「今、裁判所にいるんだ。」と言うことも
夢リストに新たに追加された。




 





 
 


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