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孤独と空虚が隣り合わせ

 最近、名作といわれている作品を日がな時間がある時に鑑賞している。その中で先日観た作品が、『タクシードライバー』という映画。本作品は、映画.comの評価を見ると星が3.7となっており、ALLTIME BESTにも選ばれている。


でも、わたしはどうしてもこの作品が好きになれなかった。

 単純に作品の雰囲気が嫌いなのだという感想で終わってしまうと、そこで思考停止だ。そこで、改めて自分の中でなぜ好きになれなかったのかということを問いかけてみた。

 まずは、『タクシードライバー』のあらすじから。

■ あらすじ

 本作品は、ニューヨークにおいてタクシードライバーを営むトラビスという男に焦点が当てられている。

 彼はタクシードライバーとして働く中で、だれにも見向きもされず、大都会の中で孤独感を強めていく。勤務中一目ぼれした女の子ベツィをなんとかデートに誘うことが叶うが、初デートで失敗しそのまま振られてしまう。その出来事があってより一層陰鬱な感情に苛まれたトラビスは、あるとき知り合いの伝手をたどって拳銃を手に入れる。


■ 大都会に根を張る孤独病

雨は人間のクズどもを歩道から洗い流してくれる

 主演ロバート・デ・ニーロ、監督マーティン・スコセッシという映画界の一世代を築いた大物たちが本作品の制作にかかわっている。冒頭部分、何とも耳に残る今は亡きバーナード・ハーマンの音楽とともに、雨の中を進むタクシーの描写は割と好きだったが。テーマは全体的に暗い。

 主人公のトラビスの心情として理解できたのは、都会に一人で住んでいることで、ひどい孤独感に襲われることだ。何をやっても満たされない虚無感。誰かが、「人間は生まれてからずっと一人だ」と言っていたことを思い出す。特にコロナ禍になってからは、わたし自身その状況をまざまざと感じることになった。

 緊急事態宣言が発令され、家に一人で籠って人に会えない日々が続くと、虚しさだけが募る。時にはわたしはなぜ生きているのだろうか、という思いにも駆られる。「家にいると精神衛生上よくない」ということを何かの雑誌で読んだことがあるが、まさしくその通りだと思う。

 その点、現代ではSNSが発達したおかげで、家にいても外の世界と関わることができるようになった。もちろん弊害もあるが、わたしはつくづく現代に生まれてよかったと思う。LINEやFacebook、noteやinstagramを通じて確かに、わたしは救われたのだ。

■ 空虚が行き過ぎた結果

どこにいても俺には寂しさが付きまとう

 トラビスの心理は多少なりとも理解できる部分はある。そう、共感したといっても過言ではない。わたしがトラビスに対して嫌悪感を抱いたのは、孤独を突き抜けて空虚になった結果、彼が起こした行動の結果だ。

 彼は拳銃を手に入れた後、真っ先に計画したのがバランタイン大統領候補の暗殺。バランタイン大統領候補は、当初トラビスが惚れていたベツィが応援していた人だった。

 きっとバランタイン大統領候補を暗殺しようとした心理としては、かつて惚れた女性が敬愛する男を目の前で殺害することによって、自分の強さや豪胆さをベツィにわからせたかったのかもしれない。

 とはいえ、自分自身の理不尽な考えで、他人を傷つけてよいという理由にはならないはずだ。誰も彼もが多かれ少なかれ、「孤独な感情」を持ち合わせている中で、トラビスの取った行動はあまりにも安易すぎる。

 かつて日本でも秋葉原や京都で悲惨な事件が起こったが、あれも犯人の心情を考えると孤独と空虚が行き過ぎた結果であるように思う。誰か近くに寄り添ってあげる人がいたならば、あんな悲惨な事件も起こらずに済んだかもしれないと思うと、胸が痛む。でも、同情はできない。決して。

■ どこか黒人を差別する描写

 もう一つ受け入れることができなかったのが、あまりにも黒人に対して差別的な描写が多かったこと。

 『タクシードライバー』が作成されたのが、1976年。1963年にキング牧師が「I have a dream」と言って、黒人の地位を高める運動を行って以来、アメリカにおいても徐々に黒人の人権が認められる風潮になりつつあった時代。

 そんな中で、本作品の中では徹底した黒人風刺が行われる。黒人がいかにも街の景観を貶めるような存在として描かれたり、タクシーに乗車した男が自分の妻と黒人男性が関係を持っているのだと痛烈に批判したり。

 その描写を見ている中で、どうしようもない気持ち悪さが生じてしまった。なんの分別もなく、ある種族を一つの価値観に追いやって非難するのは、違う気がする。

■ 楽しめなかった原因 : 「ものさし」の問題

 ああ、他人が持っている行きすぎた狂気やそしてある一定の人々に対する差別といったものが、自分の中では許せないのだな、と改めて自分の中の「ものさし」を見直した結果となった。

 でも、一方で思ってしまうことがある。これが仮にトラビスと同じような状況に陥ったときに、果たして自分は同じことを行わないといえるのだろうか、と。

 よく「環境が人を作る」、という言葉を耳にする。もし仮にわたしが誰からも相手にされず、すげない態度をとられて、おまえはこの世界でだれからも必要とされていないんだ、と言われたときその空虚の末に待っているのはおそらく破滅という選択肢しかない気がする。

 ちなみにべツィというトラビスが惚れた女性も、個人的には苦手なタイプ。その人の背景や経緯を知ろうともせず、突き放す。最後のトラビスとのやりとりもいかにも世の中の世論に従って生きているようで好きになれなかった。

 ちょっと『タクシードライバー』を見て、どんよりした気分になってしまった。次は明るい映画を見ることにしよう。


 ちなみに今回執筆にあたり、『ジョーカー』という作品とスタイルが似ているという批評を見て、確かになるほどと思ってしまった。それにしても、ロバート・デ・ニーロのモヒカン姿はなかなかに新鮮である。


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