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ビロードの掟 第40夜

【中編小説】
このお話は、全部で43話ある中の四十一番目の物語です。

◆前回の物語

第七章 ビロードの掟(6) 

 元の世界に帰ってきた時、外は大雨が降っていた。

 突然のことに凛太郎は呆然ぼうぜんとする。再び色の反転した猫が、寒そうに体をぶるぶると震わせ、雫をそのまま払い落としていく。

「ああ、地球が涙を流してるね」

 横にいる優里が言葉を発した。その言葉のチョイスがなんとも彼女らしいな、と思った。

「これ、どうしようか。俺、雨降るとは思ってなかったから傘持ってきてないわ。そういえば、優奈ってどうしたのかな?」

「優奈は一足先に帰ってるから大丈夫。彼女と私は文字通り心のつがい、この世で唯一無二の親友よ。きっと今頃炬燵こたつにくるまって眠りについているはず。それより、この雨どうしようか」

 優里はガサゴソと自分のカバンの中を探る。

「あ、奇跡的にあったよ、折り畳み傘」

 彼女が取り出したのは、深い藍色に染まった傘だった。

 丁寧に留め金を外し、そのまま鉄骨を上に押し上げて傘をパチンと開いた。海の近くなので風が強く、傘を開いた瞬間ひっくり返りそうになる。思わずと言った感じで凛太郎は優里の腕をおさえ、傘の形が歪になるのを阻止しようとする。

「あの日を思い出すね」

「あの日?」

「うん、初めてあなたと目が合った日のことだよ」

「ああ」

 芹沢さんと目が合う前に一瞬、眼鏡をかけた優里と目があった。初めて見た彼女が、ハラハラした顔をしていたことを思い出す。

 二人と一匹は雨の中を突き進んでいく。傘をさしているが、横殴りの雨でみんなずぶ濡れだった。地球が泣いている、か。地球に限らずみんな見た目とは裏腹に、何かを抱えて時には涙を流しているのだろう。

 葛藤に折り合いをつけて、何とかして前に進もうとしている。抗えないものやどうにもならないことがある中で、いかに自分の芯を見つけるか、確固とした自分を保てるか。

 あ、と今思い出したかのように優里は口を開いた。本当に忘れていた、というような素振りで。

「そういえば、改めてだけど姉がお世話になりました。私たち別の世界で暮らしてたけど、あなたと会った時のこと何となく伝え聞いてた。優奈、楽しい時間を過ごしたって言ってたわよ」

「──姉?」果たしていったい何が真実なのか、頭の理解が追いつかない。

「いつだったか優奈が言ってたでしょ。私は、アリスのようになりたかった──ってね」

 悪戯いたずらを見つかった子供のように、彼女は妖艶ようえんな表情を浮かべて笑うのだった。

*

 そのあと果たしてどのように自分の部屋に帰ったかわからない。時間的に、電車が動いていたとも考えられない。

 気がつけば凛太郎は自分のベッドに寝ていて、次の日に四十度の熱を出して三日間寝込んでいた。うつろな頭で、自分は何をしてこうなったのかと記憶を探る。

 あの夜のことはいつかの夜の遊園地へ行った時のように幻かと思ったが、スマートフォンを起動するとなんと優里と優奈から連絡が来ていた。

『リンくん、昨日はありがとう。どうやら長い長い悪夢から無事目覚めることができたみたいです』

 優里からのLINEにはご丁寧にも白猫のスタンプが添えられていた。

 そういえばあの猫はどうなったのだろうと思って周りを見渡したら、テーブルの上に小さな白い招き猫がコロンと転がっているではないか。これでまた元通りか、と凛太郎は思った。


『凛太郎くん、妹が大変お世話になりました』

 今回の件で最も不可解なのはやはり優奈である。彼女はおそらく優里から全て聞いた上で凛太郎に近づいたに違いない。優奈との出会いがなければ、凛太郎は優里を見つけることが叶わなかったはずだ。

 今の彼女である奈津美からは何件もメッセージが来ていた。

『凛太郎、お疲れ。近々会えないかな?話があるの』

『おーい、今仕事忙しいの?LINE見てー』

『ねえ、凛太郎。なんかあった?ちょっと話したいんだけど』

 電話も何件か来ていた。ああ、返信しなきゃなと思っていたらそのまま再びすぅっと意識が遠のいていった。どうやらまだ熱は下がっていないらしい。

 自宅の布団で眠れることがこんなにも幸せなことだとは思わなかった。大雨の中歩くのは流石に寒くてしんどかった。ありふれた日常は普段ありがたさを感じないけれど、いつでも崇高だ。

<第41夜へ続く>

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