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若いからこその痛み

木曜日は、最近読んだ本に関する読書感想の日ということを制定。

なんかコロナになってから本を読む時間が増えるだろうな、と思いきや逆に時間がありすぎる!ということでなんとなく他のことに気が向きがちな今日この頃。
普段だったら、図書館で好きな作家さんの作品だったりとか適当に表紙を見て良さそうな本を選んだりすることが多いのだけど、今回は久しぶりに外出した折、ちょっと目に留まって本を買った。しかも文庫本ではなく、ハード本。

なんとなく夜の絵に三日月が浮かんでいるという景色が好きで、手にとった。カツセマサヒコさんの『明け方の若者たち』という本である。厚さ的にはそれほどでも無かったので、毎晩一章ずつ読み進めた。

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」
その16文字から始まった、沼のような5年間。

明大前で開かれた退屈な飲み会。そこで出会った彼女に、一瞬で恋をした。本多劇場で観た舞台。「写ルンです」で撮った江の島。IKEAで買ったセミダブルベッド。フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり。世界が彼女で満たされる一方で、社会人になった僕は、“こんなハズじゃなかった人生”に打ちのめされていく。息の詰まる満員電車。夢見た未来とは異なる現在。高円寺の深夜の公園と親友だけが、救いだったあの頃。

それでも、振り返ればすべてが美しい。人生のマジックアワーを描いた、20代の青春譚。

なんか各界での著名人から一言推薦文が書いてあって、ちょっとそういうのをみるとなんとなく忌避したくなるタイプのわたし。著者のカツセマサヒコさんという人は、Twitterで割と名の知られた人だったのか。知らなかった。

いざ読み始めると、まあそれはよくありがちな恋愛小説なのかもしれないけれど、わたしが数年前に感じたことのある胸の痛みとわかりやすく紐づいていた。これを「若気の至り」とか「青臭い」とかそうした平易で単純な言葉で一蹴できて仕舞えば良かったのだけど、妙に共感している自分がいた。まだまだわたしも「青二才」なのかもしれない。

大切な人は、いつも突然いなくなる。でも実は「突然」でもなんでもなくて、きっと行動や表情には見えない心の機微が積み重なって、「突然」のように見えているだけなんだ。それに気付けなかった僕にこそ、問題があった。残される側の人間に、彼らを引き止める権利は持たされていない。

自分ではまだまだ若い、と思っていても自然と新しいことに挑戦する気概も失われてきて、何か自分が振り回されるような要素があれば、そこに積極的に介入しないように最近は生きてしまっているような気がする。恋愛も含めて。

そう考えると、昔感じたどうしようもない胸の痛みだったりとか切なさとか、言葉にしてしまうとすごく陳腐に聞こえてしまうけれど、そうした想いを引きずっていながら前を向き続けることって案外大切なのかもしれない。

30歳手前の段階は割と自分が何もしなくても、自然と人間関係が広がっていくような節がある。もちろん中にはネットワークビジネスだとか何やら得体の知れない肩書を携えて不器用に近づいてくる人たちもいる。そうした人たちとはこちらから自然と距離を置くようになるのだけれど、歳を取れば取るほど周りの人間関係もより洗練されていくような気がする。本当に気の合う奴としか会わないようになる。それは時間の概念を唐突に思い起こされるようになることが原因かも知れない。

そうやって自然と、胸の疼きに鈍感になっていく。
読み終わって感じたことは、そうこれ割と現実的な線を行っている話だと思う。一点の機会やタイミングを逃すと、歯車が空回りしてしまう。

そんな痛みを経験して、ときには切り捨てて、何かに思い耽ってしまう蒸し暑さの残る夜の時間。

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