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モアイに愛を込めて

 今日も外はザァザァと雨が降っている。

 ここ最近、ずっと私が住んでいる場所では雨が降っていた。雨の音は好きだけど、実際に雨の中でどこかへ行こうと思うとなかなか辛いものがある。室内から雨が降り荒ぶ景色を見ていたら、はるか彼方へと遠ざかった昔の記憶が思い起こされた。

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 私が小学校に入ったばかりの頃、世は第何次ブームになるかわからない空前のオカルトブームが到来していた。私が覚えている限りでも「ゲゲゲの鬼太郎」、「学校の怪談」、「花子さんがきた!!」、「地獄先生ぬ〜べ〜」、「世にも奇妙な物語」、「木曜の怪談」。たぶん他にも結構ある。

 とにかく私はこの世に見えないものがあるのだというのを、マスメディアによって脳裏に刷り込まれた人間なのである。そんなわけだから、気がついた時にはどこか現実にはありえない世界というのが好きになっていた。中でも長年の夢のひとつとなったのが、イースター島のモアイ像を見ることだ。

  モアイ像にはロマンがある。いったい誰が最初に作り始めたのか、なんのために作られたのかいまだに研究者たちの間では意見が分かれるらしい。

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 「イースター島へ行く」という夢が叶ったのは、数年前のこと。

 当時まだ学生だった私は、暇と時間を持て余し、アルバイトで一定額を貯めたら旅に出るという生活をしていた。そしてついに気がつけば人よりも長く大学に居着いてしまった。今でも時々親からその当時のことを折につけて言われる始末。その当時のことは親に対して申し訳なさでいっぱいである。でもあの時間は私の人生にとってなくてはならない時間だった。

 大学最後の春休み。あと数ヶ月経ったら自分も社会人かとどこか心が塞ぐ。そうした鬱屈した感情を霧消させるためにも何かせねばと考える。そして辿り着いたのが世界を見て回る、ということだった。

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 実を言うとイースター島への道のりはなかなかに険しい。

 そもそも片道数十万という金額がかかるし、しかも毎日飛行機が出ているわけではない。おそらく学生の時かあるいは会社を辞めてある程度まとまった時間が取れないと行くことのできない場所。今思うと、本当に行く決断をして良かったと思う。

 親からお金を借りて世界一周航空券のチケットを取得した。さまざまな場所を回る中で、途中1週間ほどついに念願の場所へと辿り着いたのだ。

 夢の場所は若干の波乱を孕みながらも、今も私の頭の中で渦巻いている。

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 最初辿り着いて1日目、これがまた災難な目に遭った。

 いざ島へ降り立って私を待っていたのは南国の穏やかな景色ではなく雨嵐。寒さに震えながら目星をつけていた場所へと向かう。なぜかこの頃キャンプに異様に興味を持っていた時期だったのだが、これが仇になった。予約場所へたどり着くと、目の前はキャンプが水の上に浮いている状態だった。

 次の日からは普通に晴れてホッと一安心。イースター島は地理的にはチリに属している。サンティアゴから出発するのだが、何せ往復便が少ない。そのためスーパーはあるものの、もう値段が高すぎるのである。これでは現地の人たちがどうやって暮らしているのか疑ってしまうレベル。そんなわけでイースター島に行く前に前もってスーパーで大量に食料を買って行った。

 今思うと、そうした「サバイバル」的な感じも好きだった。

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フリ・モアイ(モアイ倒し戦争)

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 さてまた話は脱線するが、18世紀中頃に「モアイ倒し戦争」というものが勃発した。なんじゃそりゃ、と訝る人もいるだろう。私も最初聞いた時、あまりにも驚きすぎて二度聞き返してしまったくらいである。

 話の筋としてはこういうことらしい。

 昔イースター島に住んでいた人たちは、モアイの製造や運搬を行うために島中の木を切り倒した。するとどうだろうか、土壌は木を失ったことによって痩せ細り、島民の主食であるさつまいもなどが満足に収穫できなくなってしまった。

 その当時島には大きくわけて二つの大きな部族が対立していた。食糧飢饉が発端となり、もともと貧困の原因となった「モアイ像」を倒すという事態へと発展する。

 ちなみにモアイ像は後の世代になると、目が埋め込まれたものも作られるようになったそうだ。ところが今現存しているものは殆どない。それはなぜか。その話は後半に譲ろうと思う。

生きることについて

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 このイースター島で学んだことはたくさんある。大きくは二つだろうか。

 ひとつ、時間について。これまで私はどちらかというといつも落ち着きないタイプ。できる限り時間を有効に使うにはどうしたら良いか、そればっかりを考えていた。この島に来て、正直そんなことどうでも良くなった。島の人たちはとても大らかで、時間なんてあまり気にしない。その日いかに満ち足りた生活をするか、そのことを考えている人が多かった気がする。

 バスなんて存在しない島だったので、ときにはヒッチハイクもした。通常日本だと、同じことをしてもなかなか止まってくれない。ところがこの島の場合は、なんと3台に1台くらいは止まってくれる。たぶんそれだけ平和なことである証拠なんだろう。そして島の人たちはとにかく外から来た人々との交流に飢えていたのかもしれない。

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 もうひとつはお金について。前の文章でお話しした通り、この島では基本的にたくさんの物資が流れてくることがない。当然何か購入しようとすると値段が高くなる。では島の人たちはどうやって暮らしているのかというとなんと「物々交換」なのである(なんて原始的な仕組み…!)みんなが足りない部分を補い合って、自分が必要でないものを必要とする人に分け与え、逆に自分が欲しいものを相手からもらう。そんな関係性が成り立っていた。

 一度島の人に宴に誘われた。もしかしたら一匹狼的に行動している人間が珍しかったのかもしれない。「Amigo! Amigo!」と言って手招きされたのでついていくと、思いがけないもてなしを受けた。日本では絶対に警戒心で心を許さないのに。

 今思うと不思議な体験だった。

原住民は踊る

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 私はたまたまイタリアから来ているテッツィーノとオランダから来ているアンドレイという人たちと知り合いになり、彼らが借りている車に乗せてもらえるという幸運に巡り逢えた。これも今振り返ると本当についていた。基本イースター島をまわるには車が必須である。

 やがて15体モアイ像が立っている場所に訪れると、何やら原住民らしき人がいた。話しかけてみると、普通に英語が喋れる人だった。周りには4、5人ほどの女性が楽しげに歩いている。どこかみんなヒッピー然とした様子である。どこか浮世離れした光景に私はいったいどこへ来てしまったのだろうと呆然とした。よもやあれは妖力を秘めた妖怪…?(今見ると合成写真みたいだ)

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 なぜかボブ・マーリーの「One Love」がどこからか聞こえてきた。いや、たぶん幻聴のような気がする。

 後で撮影した写真をメールで送ってくれと頼まれた。イースター島ってそれほど通信環境が良くないと勝手に思っていたのだがどうやら私の先入観だったらしい。後日写真を送ったら、ありがとうとだけ返ってきた。まあ旅での出会いなんてそんなものさ。

海の中に眠る

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 イースター島の海は恐ろしいほど透明度が高い。南国の雰囲気にすっかり酔ってしまい、テッツィーノとアンドレイと一緒に海へ勢いで飛び込んだ。だが私は自分が泳げないことをすっかり忘れていた。足を攣り、危うくその場でそのまま沈んでしまいそうになった。

 海の中は美しかった。浅瀬であるというのにたくさんの魚が泳いでおり、どこか別の世界に来てしまったような気がした。ディズニーの『リトル・マーメイド』の世界を彷彿とさせる。後日その光景があまりにも目に焼きつきすぎて、スキューバダイビングの体験を申し込んだ。体験だとせいぜい水深10mしか潜れず、かつ運悪く魚がいない時に当たってあまり幻想的な世界を見ることができなかった。

 でも、その時の経験があまりにもセンセーショナルでメキシコでライセンスを取った。格段に見える世界が広がっていった。

頭上の星に祈る

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 イースター島での最後の夜、テッツィーノとアンドレイと合流して一緒にお酒を飲んだ。二人の話は面白くて、いつまでも飽きることがなかった。所詮旅人との出会いなんてその場限りのものになってしまうことが多い。それが前提で一日一日を過ごしている感じなんだけど、その時はこれまでにない高揚感があった。

 お酒を飲んで多少足元がふらつきながらも、気分良く二人と別れた。ふと空を見上げると「満天」と表現できるほどの星のかけらが浮かんでいた。思わず息をすることを忘れる。イースター島は光が少ない。それだけにはっきり星が見えたのだと思う。そのまま地上に落ちてきそうだった。

 その後アンドレイとは不思議と縁が続き、その二年後に日本へ妹と一緒にやってきたので、日程が合った時に主要な観光地を案内した。そして今でも私の数少ない文通相手となっている。

モアイに愛を込めて

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 なぜモアイの目がくり抜かれてしまったのか。

 島の人に聞いてみたら、どうやら昔の人たちはモアイの眼に神通力が宿っていると考えていたらしい。たぶんモアイ像は島の人々にとって「神様」のようなものだったのではなかろうか。自分たちが畏怖をもって接していた「神様」を倒してしまうことによって祟られることを恐れたのかもしれない。

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 そういえば昔タイの寺院を訪れたときに仏像の首から上が全て破壊されていたことを思い出す。今も昔も人は人智を超えた存在を心のどこかで信じ続けているのかもしれない。

 私自身、今もあの優美なモアイ像の姿を思い出すと、なぜだか見えない何かに守られている気分になってくる。

 そう、私たちにはきっと見えないだけだ。

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こちらの企画に参加させていただきました。

 ◎【オススメマイカルチャー】
本でも、漫画でも、音楽でも、映画でも、考え方でも、推しの人物でも、なんでもいいです、ご自身が薦めたいマイカルチャーをnoteに書いてください!表現や書き方は、もちろん自由です!

とのことです。

 桃子さんからバトンを頂きました。

 恐れ多い。そして改めてありがとうございます。桃子さんは学芸員をされており、美術に非常に造詣が深い方です。美術を見ることで培われたのか、物事の捉え方もどれも秀逸で思わず胸にグッとくる記事ばかりです。

 この場を借りて、というわけではないですが桃子さんの紡ぐ文章に私自身はとても憧れを抱いておりまして。どこか柔らかくて暖かい雰囲気の記事を拝読させていただき、私自身もじんわりと心が温まる気持ちになります。それはイラストや写真にも表れていて、その世界感を私自身は絶対に表現することができないので単純にとても羨ましいです。

 今回のバトン企画にあたり書き下ろされたと思われるヴェネツィアの記事もとても楽しく読ませていただきました。かつて一度だけ訪れたことがありますが、桃子さんのような見方はできませんでした。それだけにとても目から鱗でしたね。

 いつか美術についても教えてもらいたいです。奥が深い世界だとは思いながらも、その片鱗をいつか掴めるといいな。

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 そして次のバトンでございます。

 足りない頭でいろいろ考えましたが、yuca.さんにお渡しできればと思います。(勝手に指名してしまいすいません!)

 バトンを企画主さんにお返しすることも可能ということですので、難しければまた別の機会に、ということでも全然問題ないです。どうかyuca.さんの負担にだけはなりませぬように…!

 普段は「花」をモチーフにしたショートショートを始めとして、ご自身の経験談を生かした記事をたくさん掲載されております。

 どれもほっこりする上に、かつて自分が思い悩んでいたことにピッタリ符合する内容もあり、思わず記事を読むたびにふむふむと唸っている自分がいます。

 それと以前「お花見企画」を立ち上げていらっしゃってそれが印象に残っています。このコロナ禍でなかなかお花見が難しい中で、他の方々の記事を通じてお花見をしようという催しが新鮮で、かつ楽しかったです。桜一つ切り取っても本当にいろんな捉え方があるんだと気づかされました。

 重ね重ねとなりますが、ご無理をせず気が向いたら書く形でお願いできればと思います。 

 どうか優しい世界が、少しでも多くの人に届きますように。

末筆ながら、応援いただけますと嬉しいです。いただいたご支援に関しましては、新たな本や映画を見たり次の旅の準備に備えるために使いたいと思います。