鮭おにぎりと海 #62

<前回のストーリー>

1月の末ごろ、なんだかうまく眠れない夜が続く。おそらく気温が下がったせいもあるだろうが、なんだか気になることがいくつも頭の中に降って湧いてきて、考えているうちに気づけば時間がいつの間にか経過していた。

そんな中寝不足で免疫が下がってきたことが祟ったのか、体が妙に気怠くて授業を受けていても体がフラフラする。ちょっとこれはやばそうだと感じで、とりあえずその日は2時限目で早退して病院へ。熱を測ったら、案の定38度の高熱だった。診断は、インフルエンザだった。

普通に生活しているだけなのに、一体どこでかかったのかわからない。大学1年生の時に、過労で倒れてしまったことがあったのだが、今回はどうも勝手が違う。

もともと自分は高校の時まではそれほど大きな病気にかかったことがなかった。それがどうしたことか。自分は大丈夫だと過信しすぎるとろくなことにはならない。この世に絶対的な保証なんてものはないのだ。以前倒れた時に嫌というほど感じたはずなのに、慣れというものは怖い。

それと、インフルエンザという病気が、こんなにもしんどいものだとは思わなかった。歩くのもしんどくて、ベッドに寝ているだけでも身動きするのが辛い。そのため、何も食べようという気が起きない。

こんな時そばに誰かいてくれたら、という気持ちになるのだが生憎僕の周りにはそんな人はいない。病気になった時は、気持ちもなんだか弱くなるものらしい。結局インフルエンザに罹るとしばらく出席停止になるようなので、5日ほど学校を休んだ。

気は心の持ちよう、というのは本当かもしれない。

12月に好きだった女の子が突然大学で見かけなくなってから約2ヶ月が経過していた。なんだか心にぽっかりと穴が開いてしまったようで、何をやってもさっぱりうまくいかなかった。そもそも僕はもともと不器用だ。

これではいけないと思うようになり、暇があれば近くを散歩して写真を撮るようになった。そしてそこから貪欲に、写真というものの魅力にハマったのだった。一方的に撮るだけではダメだと思い、図書館でさまざまな写真集も見るようになった。芸能人がお決まりのポーズを取って笑顔で撮られているものではなく、もっと人間の根幹というか本質的なものを描いた写真。

この頃なぜか全ての世界の物事から色が消えてしまった感覚に陥った。

何を見ても、どこか心あらずと言った感じなのだ。常に見えない霞のようなものが、頭の中を覆っている。きっとそんなことは無いはずなのに、自分が一人どこかに取り残されてしまったような気持ちになった。

いくつかの写真集に触発されて、カラー写真ではなく白黒で世界を切り取るようになった。そうすると、なぜだか気持ちが落ち着いたのだった。色づく世界は、情報量が多すぎる。僕自身が見えている世界がそれほどカラフルではなくなってしまっていたので、白黒写真はしっくりきた。通常ではありえない世界だけど、それが逆に被写体を引き締めた。

ある時、近くの公園を通り過ぎたときに、たまたまベンチに佇むおじいさんを見かけた。年齢は70歳とかそんなものだったように思う。彼は、どこか焦点が合わない様子で空を見上げていた。

その瞬間突如として僕の頭の中に、閃いたものがあった。これまでどちらかというと風景ばかり撮っていたので、人がいる光景を写真に収めたくなったのである。背中を丸め、その年齢に相応しい年季の入ったカバンを膝の上に乗せて頬杖をつくその姿がとても絵になった。

何も言わずに撮影するのも失礼かと思って、老人に声をかけた。老人が僕に目を向けると、彼の瞳には鈍い光が宿っていた。

それが、ヤナセさんとの出会いだった。

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