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鮭おにぎりと海 #78

<前回のストーリー>

神保町にある「ガヴィアル」というカレー屋さんにて、「神様」こと大学の先輩である神木蔵之介さんが、ネパールのヒマラヤ山脈を登った時のことを話し始める。

「最初は至って順調なトレッキングだった。ところが、同行しているガイドがちょっと抜けたやつでな。途中で食べるための食糧と水を忘れたとか言い出すわけよ。次の街にたどり着くまで、まだ半日以上あるわけ。その間、バックに入っている食糧を節約しながら先に進むハメになるわけ。」

「それは、大変ですね。」

「そうだろう?その日の夜はほんの少ししか飯を食うことができなかった。一晩明けて、歩き始めるんだけど前日のような元気はなかった。とにかくいつになったらご飯食えるんだって、それしか頭になかったわけ。」

「その後無事に、街にはついたんですか?」

「おう、なんとかな。それで街に着くまでに不思議な体験をした。空腹と喉の渇きでだんだん歩くのがしんどくなってくるんだけど、なぜだか誰かが俺の背中を押してくれる気がするんだよ。」

「なるほど。」

「その後も、普段運動不足の俺からしたら決して楽ではない山道が続いた。そしてその度に、軽くポンと誰かが後ろを押してくれる感じがするわけ。」

「それが、神様ってことですか?」

「うーん、それはどうかな、俺にもよくわからない。気配を感じただけだから。でも確かに最後まで山を登り切った時、澄み切った風が俺の前をふっと通って、誰かに祝福された気がしたんだよ。」

「なんだかちょっと確かに不思議ですね。」

「そうだろう?それでな、山を無事登った後に来た道を再び戻って最初登る前に立ち寄った街に到着した。また長老が出迎えてくれた。そして言うんだ、ほら、神様は確かにいただろう、ってな。」

「神様」の話は、どこかありきたりなような気もした。仮に神様が存在するのであれば、もっと公平な世界になってもおかしくないような気がする。それなのにいまだに世の中では悲惨な事件がたくさん起きているし、不平等な社会を生きている人がたくさんいる。「神様」が疲労困憊の中で作り出した妄想と流してしまえるような話だ。

「まあそれでもそんなことがあっても、俺は神様がいるということに対して懐疑的でな。実際に会ったことがあるわけではないしなあ。でも、そこで俺はふと一つのことに思い至るわけ。」

「何ですか?」

「いや、それがさまた話が変わるけど、ネパールに行く前にシカゴに行ったんだ。その時にタチの悪いホテル業者の対応を受けて、その日の夜極寒の環境の中に放り出されてしまった。」

「それは大変ですね、、」

「うん、そうめちゃくちゃ大変だった。」

「神様」は、どこか遠い目をする。

「それでもずっと彷徨っているうちに、途中で立ち寄ったコンビニで地方から出稼ぎにやってきた少年に施しを受けてさ。ああ、きっとこれが神様の正体なのかもと思い至ったわけよ。」

正直なんだか抽象的な言葉の連なりで、文章の流れがわからない。

「ちょっとまだ話の筋が読めていないのですが。」

「なんか、人との関わりかな、と。神様の正体は。出会った人に対して、何かをしてあげたいという気持ちが、何となくこの世の中を作り上げているような気がしてな。」顔に似合わず、「神様」は再び神妙な面持ちになる。

「だからな、南海ちゃんももう我慢しなくても良いと思うんだよ。」

正直、「神様」の言葉は詭弁だと思った。そんな、人との関わりくらいで世の中が平和になるのだったら誰だって苦労しない。

「そんな、怖い顔するなよ。今日会った時から南海ちゃんは強張った顔してるなあ。美人が勿体無い。」

気持ちが緩んでしまった。母との別れの日にも一滴も出なかった涙が、なぜかその時一筋流れた。「神様」が話す言葉なんて、ただの綺麗事にしか聞こえないのに。

「ほんとうに、ほんとうに突然だったんです。」声が震えた。

「うん、いつだって出会いと別れはいつでもやってくるんだよ。」

そう話す「神様」は、これまで会った人のどの言葉よりキンキンと私の脳を刺激する。

わたしは何だか胸が詰まって、運ばれてきたカレーを最後まで完食することができなかった。

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