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花束を持った彼女とスタバであしたばの話をした

現実のような、作り話のような、夢みたいな話。

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「先輩、写真撮ってもらえませんか?」

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 私が大学に入ったばかりの頃、高校の後輩と一度だけ一緒に出かけたことがある。彼女とはふとした拍子に連絡を取り合うようになり、自然とどこかへ遊びに行こうかという流れになった。

 なぜかその日はクリスマスイヴで、確か二人とも予定がなかったので、寂しいクリスマスを過ごすのも嫌だし、じゃあどこか出かけようかということになった気がする。

 彼女とその日会った後、結局それっきりしばらく会うことはなかった。時々連絡は取り合うものの、なんとなくその後の人生でお互い一緒に顔を合わせることがなく、時間がゆるゆると過ぎていった。彼女は彼女の人生を歩み、そして私は私で自分の人生を歩んでいた。必死に荒波に抗いながら。

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 それから数年経って、ある日突如として彼女から連絡が来た。

 私が写真を撮っていることを SNS経由で知り、連絡してくれたのだそう。最後に会ったのはいつだろうかと私が自分の指を折って数えているうちに、気がつけば彼女と再開する当日を迎えていた。待ち合わせの場所に私が時間ぴったりに到着すると、そわそわしながら待っている後輩の姿が見えた。

 目が合うと、大きく私に向かって左手を振ってくる。

 開口一番、彼女は私に向かって「先輩、昔の面影そのままだからすぐわかりました!」とあっけらかんとした様子で言った。私は多少引き攣った笑みを浮かべつつも、撮影場所として目星をつけていた海へと向かう。

「私今日、花束を持ってきたんです」と言って彼女はドライフラワーの花束を取り出した。水分を失い、カラカラに乾いた花束。命を失いながらも、依然としてその美しさを保つ花たち。彼らは今何を思っているのだろうか。そもそも考えるほどの余力があるのだろうか。儚いからこそ、美しさが際立つものなのかもしれない。

 どこか照れくさそうにする彼女に対して、「それじゃ、早速撮りに行こう」と言って私はその先頭を歩く。

 海の前に立った彼女と、目の前の海がうまく同化していた。私はそれを見て、奇妙な感慨を覚える。数年会わないうちに、お互いさまざまな時間の潮流の上を歩いてきたはずだ。彼女は彼女なりにこれまで生きてきた空気感を纏っていただろうし、私自身も年齢を重ねてきっと前よりも感覚が研ぎ澄まされていたことだろう(そうだと信じたい)。彼女は私の中にある記憶と間違いなく被る部分があったが、確実に違う人間だった。 

 海はやけに静かで、押し寄せる波の音だけが聞こえてくる。その音を聞くたび、いったい私は何をしているのかという気持ちになってくる。だんだん心も静まり返るような気配さえある。砂とともに波が自分が抱える小さな悩みなんてどこか消し去っていく。確か、彼女と砂浜に文字を書いた。何てことない他愛のない言葉だった気がするけれど、なぜか全く思い出せない。

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 ひと通り撮影が終わると、折角だから少し話しましょうということになった。あたりをキョロキョロ見回すと、おあつらえ向きにスターバックスがあるではないか。早速お店に入ると、彼女は迷わず抹茶フラペチーノを注文した。

 横には、彼女が持ってきた花束が控え目に置かれている。

「ねえ、スターバックスの由来って知ってる?」

「え、知らないです。何ですか?」

「昔ハーマン・メルヴィルというアメリカ人がいてね。その人が書いた『白鯨』っていう本に航海士のスターバックスっていう人が出てくるんだ。その人が由来の元なんだってさ」

「ふーん」

 彼女は大して面白くなさそうにストローから抹茶フラペチーノを啜った。ずずず、という音が微かに聞こえてくる。彼女は何てことない感じでお店のトレードマークを見た。数年前にいつの間にか人魚の姿が大きくなった。最初違和感しかなかったのに、もうすっかり慣れてしまった自分に戸惑う。

「先輩、私ね、最近料理するんです」

「料理?」

「うん、そうです。最初はいやいややってたんですけど、なんかやってるうちにはまっちゃって」

「へー」と言った後、どう話をつなげたものか私は逡巡した。

「それで、最近は何を作ったのさ?」

「天ぷらですよ、天ぷら。これがね、結構難しいんです、油の配分がね。ごま油は香ばしいけどクドいから、他の菜種油とバランスを取りながら混ぜ合わせるんです。美味しく揚げられるまで大変でしたよ。天ぷらやると、周りに油跳ねるし後処理もね」

「へー」

 私は天ぷら鍋の中でパチパチと弾ける天ぷらの姿を想像した。

「色々食材を試してるんですけど、最近のお気に入りの具材は『あしたば』なんです」

「『あしたば』?」

 うまく漢字に変換できなかった。私の頭の上にはきっとはてなマークが浮かんでいたことだろう。

「明日の葉っぱ、で明日葉です」

「ああ、『明日葉』か」

「これが絶妙な味わいで。前に伊豆に行った時に、すっかりはまってしまったんです。ほんのりした香りと苦味のアンバランスがまたクセになるんですよね」

「へぇー」

 彼女の話を聞いて、無性に明日葉の天ぷらが食べたくなってきた。恥ずかしながら私はこれまで生きてきた中で一度も食べたことがなくて、具体的な明日葉のイメージがつかなかった。

 明日葉ってなんで明日葉なんだろう。と思って後で調べたら、葉を摘んでも次の日には新しい芽が生えてくることが由来らしい。花言葉は「未来への希望」。私がこの先生きていく上で、希望なんてものはあるのだろうか。

「それでね、私」

 ふと彼女が先ほど咥えていた抹茶フラペチーノのストローを見ると、少し平らにひしゃげていた。

「その時一緒に旅行しに行った人と結婚することにしたんです」

 彼女は、なんてことない素振りで口にした。

「へぇ、よかったじゃないの」

 ずっと、気になっていた。彼女の右手がずっと気になっていた。つけている位置が違うな、と気になっていた。もしかしたら私に配慮してくれていたのかもしれない。

 彼女は再び人魚の方へ目線を向けた。

「そのスターバックスもきっと幻の人魚を追いかけていたんですかね」

 私は「いや、彼が追いかけていたのは白い鯨だよ」と言おうとして、口にするのを止めた。何だっていいじゃないか、だってどちらにせよ幻の生物であることに変わりはないのだから。

 私はそのまま彼女と別れた。最後右手を控え目に振る彼女はどこか寂しげながらも、幸せそうな顔をしていた。きらりと光る銀の指輪が眩しかった。

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 いつかはすべて、幻。

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