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地獄のサイクリング

我が家のハロウィンパーティーの裏側である。
いつものことではあるが、ハロウィンパーティー当日。
その日僕はお腹が痛かった。


時は事前準備の日に遡る。
ハロウィンパーティー開催の5日ほど前だ。

我が家のハロウィンパーティーは、仕込みが重要である。

ハロウィンパーティーでは通常、仮装した子供たちが「トリックオアトリート!お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ?」と言う、理不尽な条件を大人達に強制し、こともあろうに家にあるお菓子を根こそぎ奪っていくものだろう。

そんな我が家ではトリックオアトリートの言葉を言われることも、菓子の強奪も発生させない。

何故なら、言われる前に必要な分のお菓子を宝探しゲームの感覚で探させるからである。

何だそれは、そう思う人もいるだろう。
一度試してみてほしい、とても楽しい遊びである。

少し話が逸れた。
要はその、ゲームを開催するための事前準備が必要で、そのためのお菓子調達活動から我が家のハロウィンパーティーはスタートしている。

その日は妻と2人で、ハロウィンパーティー開催材料の調達に向かった。

まずはお菓子だろう。
そう考え、2人はお菓子のまちおかに向かった。

これ懐かしいなぁ、なにこれ?貰ったら笑いそう、子供達このお菓子絶対好き!など言いながら金額見ずに個数は適当にとにかくカゴに入れる作業を繰り返した。
懐かし話に花が咲き、気がつけば一時間位の間お店に滞在していた。

「お会計、56点で2,683円です」

安い。
いや、安いのは良いが56点が問題だった。
レシートはまるで大蛇の様だった。
物を沢山買った時の達成感たるやとてつもない。
持ってきたショッピングバッグは鮨詰め状態。
これだけ買ったのだから、帰りの道は2人とも意気揚々だ。
沢山購入したことで、ドーパミンが溢れ出ているのを感じた。

しかし、これがまずかった。


そしてハロウィンパーティーの当日を迎えた。
朝から部屋の飾り付けをしていた。

が、明らかに部屋飾りの量が足りない。
あるのは、手のひらサイズのかぼちゃと、HELLO WEENというアルファベットが並んだ、あまりにセンスのない紐飾りだけだった。

事前準備。
お菓子で満足をし、部屋飾りまで頭が回らなかった。
ドーパミンの大波に押し流され本来の目的を見失っていた。
お菓子を買うこと=事前準備完了ではない、ハロウィンパーティー開催材料の購入=事前準備完了だ。

焦った僕らは、100円均一の店で飾り付けを調達することにした。

が、出かけようとしたその直前。
僕はお腹が痛くなった。
僕は不器用だ。
いつだって何をやる時もタイミングが悪い。
そして、肝心な時にパフォーマンスを発揮できないときている。
そう言うやつだ。もう慣れた。

そして僕はトイレに駆け込み何かを託す様に「先に行ってくれ!後で必ず追いかける!」
と、刑事ドラマに出てきそうなセリフを放っていた。
この言葉が妻に届いていたかどうかは分からない。

妻は子供と駅前の100円均一に買い物に、
僕はトイレに篭りきり。
そんな昔話の様なシチュエーションであるが、大きな違いは男が家に引きこもっていることだろう。
芝を刈りに行ける状況でないことは火を見るより明らかである。

そして、何を隠そう僕はトイレが長い。
想像する10倍はきっと長い。

それは、胃と大腸と小腸と尻の仲がとにかく悪いことに関係するためだろう。
全くと言って良いほど呼吸が合わないのだ。

物を食べれば胃が消化不良、消化したと思ったら水分を取り逃がす腸たち、そして尻はよくキレる、ときている。

だから脳から強制的に指示を出して呼吸を無理やり合わせる。

全集中、便の呼吸、壱ノ型 滝。

そう滝をイメージし、全身で滝を体現する。
全ては上から流れ身を任せる様に。
一気に放出するイメージだ。

この技を使うのに毎回毎回、長い時間がかかっている、とそう言うわけである。

そんなどうでもいことを頭で考えていると、刻々と時間だけがすぎていった。
失態は取り戻さねば。
責任感だけは一丁前である。
僕は本気で焦っていた。
焦れば焦るほどお腹の痛みは増す気がした。
ただ呼吸を整えるのに必死だった。
体から冷や汗が噴き出てくるのを感じた。

そして、僕は何かを吹っ切った様に、奥の手を使うことにした。

全集中、便の呼吸 弍ノ型 堅忍不抜、参ノ型 無

この合わせ技である。
これで大抵の場合は、一時間程度の時間を稼ぐことができる。
大急ぎでトイレを断ち家から飛び出た。

駅までは愛車である、ブリヂストン6段ギアのママチャリで向かった。

ここで予想外のことが起きる。
今回は大抵の場合、から対象外となるような事案であったことだ。
腹の痛みと便意が再発した。

しかし、呼吸は続けている。
一方で道中の振動が呼吸を乱れさせる。

ただ、そんな事を考えている余裕はないのだ。
僕の失態により、子供達のハロウィンパーティーへのモチベーションが、下がってしまうと言う家庭内の一大危機だ。

脳裏には米国ドラマ24の4分割画面とタイマー表示が浮かんでいた。
ダイナマイトが自分に仕掛けられている、そんな危うい環境にいるのだと錯覚していた。

走り続けるとこと10分、僕は駅前に到着した。

素早く自転車を降り100円均一に向かおうとした。
すると、ありえない光景に呼吸を乱された。

妻と子供が大荷物を持って100円均一から出ていた。
「あー、来たんだ、子供達が飾りたい飾り付け選んで買ってきたよ」

その一言を僕に放つと、さっさと自分の自転車に跨った。

「待ってくれ、これじゃ僕はただのサイクリングに来ただけじゃないか!」

その声は届いていたのか分からない。
ただ妻は、ニヤリと笑った。
妻は僕をいじるのが好きである。
今回も漏れなくその対象だったのだろう。

そして子供を乗せ、颯爽と走り出した。

悔しさを滲ませている場合ではない。
呼吸を乱された僕は、我慢の限界に達しようとしていた。
ただここで、散らかしてしまっては人間の尊厳を失う、そんな気がした。

急ぎ僕も妻の背中を追いかけた。

振動が体を襲う。
戻る道は行く時の3倍は辛かった。
そして、5倍長く感じた。
つまり15倍の苦痛を味わった。地獄だ。
年収300万円だったはずが一気に来年から60万円ね、と言われた衝撃である。
想像を絶する苦しみなのは分かってもらえるだろうか。

そのため帰り道は妻にやたら話しかけた。
この、追い込まれた状況を何とか誤魔化すにはこれしかなかった。
僕は雑談が好きだ。
いくらでも話ができることは、こう言う時にこそ役立つ。

妻はやたら話しかける僕に、鬱陶しさを感じていそうだった。
それはそうだ、1人か2人並んだらいっぱいになってしまいそうな道ですら、話しかけるものだから、世間体を考えたのだろう。
明らかに邪魔になる様な僕の自転車を振り解く様に、妻は加速した。

ただ僕はそれどころではない。
出るのか出ないのか、いや、出すのか出さないのか、選択を迫られている瀬戸際なのだ。
使える手段は遠慮なく使う。
マキャヴェリズムの思想を初めて理解できた、そんな気がした。

妻の姿を必死に追いかけ、やたらと話しかける。
これをずっと繰り返した。
一度「あ、散らかしたところで僕が人間の尊厳を失うだけならそれで良いか」と、謎の結論に達しようとしたこともあった。
しかしそこだけは何とか死守した。
子供の目の前で生き恥を晒す訳にはいかない、そう歯を食いしばった。
すると、本当に歯の詰め物が欠けた。
不器用である。力加減を間違えたのだろう。
僕は歯医者に行く事を決意した。

いや、そんなことはもはやどうでも良い。
とにかくペダルと雑談に集中した。
夢中で別のことに意識を飛ばして誤魔化し続けた。

走ることおよそ11分、家の姿が見えた。
僕がそれにどれだけ安堵したことだろう。
全身に鳥肌が立った事はきっと忘れない。

自転車を止め、玄関を通り急いでトイレに向かう。
トイレに座り込み、そしてまた、壱ノ型を続けた。
30回位続けたところで、便ノカミカグラを使える事を察し、一気に相手を制圧した。

しかし、その代償は大きく、戦いが終わると呼吸が浅くなっているのを感じた。
もうゆっくりと休もう、そう思ってトイレを立った。

そして、机の上にある荷物を横目に手を洗っていた。
そんな僕に妻は、
「私忙しいから、飾り付けお願いね」
と言った。
子供達も待ち遠しい顔をしている。
このスクラムだけはやはり崩せない。
妻はニヤリと笑った。
様な気がする、この時ばかりは被害妄想かもしれない。

「よーし、やっちゃうぞー!」
僕は観念した。
から元気もいいとこに、そんな返事を口が勝手に放っている。
そう僕はドMだった。忘れていた。

僕の答えはいつも決まっている。
「イエス」か「はい」か「喜んで」である。

さあ楽しいハロウィンパーティーの幕開けである。
その裏では、地獄のサイクリングを乗り越えた僕がいる事を忘れないでほしい。
と誰かに伝えたいが、僕の心にだけそっとしまっておくことにする。

頑張った、僕。

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