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やることがないから

今日は母の日だ。

今日のnoteは、僕が毎年母の日に考えていることについて書こうと思う。

母の日にやること

僕はひねくれた性格をしているので、母の日のようなイベントがあると、母親がいない子ども達のことばかり考えてしまう。

街に出れば母の日用のプレゼントが売られ、華やかなPOPで彩られている。テレビを見れば、母の日特集。SNSには母親と旅行に行った、食事に行った、プレゼントをあげた、と煌びやかな報告で溢れている。

素敵なことだと思う。感謝の気持ちを行動で示すということは、他人の話であっても、見ていて気持ちのいいものだ。こうしたイベントを一つの機会に、親に何かしてあげるということは、素晴らしいことだと素直に思う。

でも。

親という当たり前を持たない子ども達はそれを見て、一体何を感じるのだろうか。

「自分には当たり前がない」のだと、改めて事実を突きつけられるような、そんな感覚に陥ってしまうのではないだろうか。

もしそうなのだとしたら、子ども達はきっと悲しく、やりきれない気持ちになっていることと思う。

僕にとって母の日はそんな「親という当たり前を持たない子ども達」に思いを馳せる日になっている。

親を持たない子ども達

何らかの原因で親と一緒に暮らすことができない子どものために、社会が用意する養育環境を「社会的養護」と言う。その社会的養護を必要とする子どもの数は「約45,000人」にも及ぶ。

でも、これだけじゃない。親戚や祖父母によって育てられたり、母子家庭、父子家庭など、「社会的養護を受けない」親のいない子どもだっている。

原因はいろいろだ。親との死別、親からの虐待、経済的理由etc...。

そんな子ども達は、母の日をどのように過ごしているのだろうか。

Living in peace

そんな想いから少しづつ芽生えていった課題意識を通じて、自分に何かできることがないかと模索していた時に出会ったのが「Living in peace」という認定NPO法人だった。

彼らは「すべての子どもたちにチャンスを」を合言葉に、国内の児童福祉施設の養育環境と児童のキャリア形成を支援する活動を行なっている。

僕は彼らのChance Makerというプログラムに継続寄付という形で6年前から参加している。彼らの団体に入り、実際に活動しているというわけではないけれど、寄付も一つの活動への参加だと思うから、勝手に仲間意識を持ってやっている。

もしこのnoteを見てくれた人がいるなら、彼らの活動内容だけでも知って欲しいと思う。

子ども達への直接的な支援も大切だけど、まず乗り越えるべき最初のハードルは、そういった「当たり前を持たない子ども達の存在を知ること」だと考えている。

こういった活動の良いところは、そんな子ども達の認知度を高めてくれることだ。だから僕は普段から周りの友人・知人に、このプロジェクトの話をするようにしている。(実際、そのうちの何人かは寄付までしてくれたから、僕は周りに恵まれているとつくづく思う)

どうしても書いておきたかった

多くの人が幸せを感じる日に、こんな真面目なテーマのnoteを書くのは水を差すようで、どうかとも思った。でも、親を持たない子ども達のことを想像した時、どうしてもこのnoteを書いておきたいと思った。

この国には、当たり前を持たない子ども達がたくさんいる。

大人として、そんな子ども達に何がしてあげられるのか。

今日はずっとそんなことを考えながら、1日を過ごした。

今日は母の日。

プレゼントをあげる相手がいない僕には、同じ境遇にいる子ども達に想いを馳せることくらいしかやることがない。

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