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はじまりへの旅

こんにちわ!だいちです。

今日は映画「はじまりへの旅」について話していきます。

この映画は資本主義・現代生活への生活に幻滅し、社会から離れ森に住んで6人の子供にサバイバル・哲学を教え『教育』『倫理』『常識』について考えるキッカケになる映画です。


あらすじ

アメリカ北西部の山奥にこもり、電気も水道もガスもない環境の中で、一家は自給自足で生活している。

サバイバルナイフや弓矢で狩りをして獲物を仕留め、野菜も育てている。

一家の主人のベンは子供たちが自然の中で生き抜いていけるよう、厳しい訓練をさせていました。

文明社会とは距離を置き、学校すら行かない子どもたちでしが、ノーム・チョムスキーを信奉する父親自らの型破りな熱血指導により、子供の知識レベルは六か国語を話し、アスリート並みの体力も兼ね備えていています。

ベンは教育にも熱心で、難しい古典文学や哲学書、さらには物理学の専門書なども子供たちに読ませています。

学校に通っていなかったが、本から様々な専門知識を習得し、数カ国語を話せる語学力まで身につけていた。

夜になると、一家は焚き火を囲んで読書をしたり

唯一の娯楽とも言える音楽を楽しみます。


そんなある日、数年前から入院生活を送っていた母親レスリーの訃報が届く。

レスリーの家族と折り合いが悪いベンだったが、彼女の葬儀に出席するため、子どもたちちともに2400km離れたニューメキシコへ向け自家用バスを走らせる旅にでます。

森での生活でしか経験してこなかった子供たちは街に出て、初めて経験する事柄により子供たちがカルチャーショックを受けつつも成長していく姿を描く成長物語でもあります。

ベンは「食べ物救出作戦」と称してスーパーで食材を盗み、子供たちにチョコレートケーキを振る舞う。

そこで敬愛するノーム・チョムスキー(アメリカの哲学者)の誕生日を祝う会を催し、子供たちにサバイバルナイフなどの武器をプレゼントする。

みんなは新しい武器をもらって喜んでいたが、レリアンだけは笑顔を見せない。レリアンは、常識はずれなベンの生き方に反発していました。

一家はベンの妹家族の家に到着する。妹夫婦は、はるばるやってきた一家を歓迎してくれる。

しかし、破天荒すぎるベンの教育方針についていけず、子供たちの将来が心配になります。

妹は、子供たちを学校へ通わせるべきだと忠告するが、高校生になる自分の息子よりもサージの方がよっぽど知識豊富なのを見て、黙り込んでしまう。

一家はキャンプ場へ移動し、そこで一泊する。年頃のボウは、同い年くらいのクレアという少女と出会い、彼女に恋をします。

初めて女の子とキスをしたボウは、いきなりクレアにプロポーズして笑われてしまいます。

そしてボウの初恋は、あっけなく幕を閉じる。

いよいよニューメキシコの教会に到着し、ベンと6人の子供たちは派手ないでたちで教会に乗り込み、レスリーの意に反する葬儀を阻止しようとする。

しかしジャックの怒りを買い、教会から追い出されてしまう。

それでもベンは埋葬場所へ行こうとするが、父親が逮捕されることを恐れた子供たちに止められ、泣く泣く諦めます。

長男ボウは、このままでは社会に出られないと感じており、密かに有名大学を受験して合格通知をもらっていました。

ボウは意を決して、大学へ進学したいという意思をベンに伝える。

レスリーがボウの大学受験を後押ししていたと知り、ベンはショックを受ける。

レリアンは、書き置きを残してジャックの屋敷へ行ってしまう。

ベンはすぐにレリアンを迎えに行く。

しかしレリアンは帰ろうとしない。

ジャックは、子供たちを学校へ通わせず、危険な訓練までさせているベンのやり方は、児童虐待だと指摘する。

そして孫の養育権を争うと言い出す。ベンは必死で食い下がるが、ついに警察が呼ばれ、屋敷を追い出される。

それでもベンは諦めず、子供たちと「レリアン救出作戦」を実行する。

狩りの得意なヴェスパーが、屋根からレリアンのいる2階の部屋へ忍び込もうとするが、瓦が割れて地上へ落下してしまう。

ヴェスパーが並外れた身体能力だったため、大事には至らずに済むが、ベンはすっかり落ち込んでしまう。

そして、自分がやりすぎたことで、愛する妻や子供たちを不幸にしてしまったのではないかと、思い悩むようになる。

ベンは今までのやり方を反省し、子供たちのことをジャックに託す決意をする。子供たちは家へ帰りたがるが、ベンは「自分と一緒にいると、お前たちの人生がダメになってしまう」と言って、独りぼっちで去っていく。

バスを運転しながらひとしきり泣き、ベンはスーパーのトイレでヒゲをそる。ところが、河原で野宿をしていたベンの前に、子供たちが現れる。子供たちはバスの床下に隠れていたのだ。ずっとベンに反発していたレリアンも素直に謝り、親子は仲直りします。

子供たちは、この旅の目的を果たそうとベンを説得し

それは「大好きなママの願いを叶える」という、一家にとってとても大切な任務でした。

ベンは、また子供たちを危険に晒すのではないかと躊躇していたが、彼らに励まされ、夜の墓地へと向かいます。

一家は埋葬されたレスリーの棺を掘り起こし、バスに乗せる。ようやく母親と会えた子供たちは、母親の亡骸を囲み、それぞれの思いに耽る。

ボウはバスの中で、長い髪をバッサリ切る。

一家は海の見える気持ちのいい高台に木を組み、その上に母親の亡骸を安置する。ベンは愛するレスリーに生涯の愛を誓い、亡骸を荼毘に付す。

一家は母親の愛した歌を歌い、大好きなママを見送る。

ボウは広い世界を知るため、旅に出ることにする。


その後、一家は学校へ通える場所に引っ越し、そこで新しい生活を始める。ベンは、ここでも変わらず黙々と勉強に励む子供たちを見て、満足げに微笑む。

最後に

教育とは何か?


そもそも論をいうと学校に行くことの意味ってなんだろか?

勉強を学んだり、集団生活を学んだりすること

学校の役割って学歴が必要になるもの……つまりサラリーマンや公務員、あとは医者とか弁護士とか、

そういう組織の中で生きるには重要な修行の場になっていると思う。

つまり『サラリーマン(組織人)養成学校』の要素もある。

そして職人、漁師、農家などは別に学校に行く必要があるかというと、必ずしもそうではないとも言える。

義務教育』の意味は、これは『子供が教育を受けたいと思ったら教育を受けさせる義務を親が負っている』という意味であって『勉学は子供の義務である』という意味ではない。

この映画で「教育、倫理、常識」について改めて考えるキッカケを得られるかと思います。

この記事を読んで面白い!と思った方はぜひ「はじまりの旅」をご覧なって下さい♪

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