看取り人 エピソード3 看取り落語(11)
茶々丸は、息を吐くように口を開ける。
師匠は、黄色く濁った目から涙が掠れるように流れていた。
「それからしばらくたったある日のこと。男は家の近くの公園に足を運びましたにゃ。高速道路が近くにあり、野鳥が見えることで地元でも有名な公園ですにゃ。娘が幼い頃、家族でよく遊びに来た公園。設置された遊具で遊び、囲いに覆われた池に集まる野鳥を見て興奮し、妻の手作りのお弁当に喜ぶ娘の姿が蘇る。そしてそんな娘を嬉しそうに、夫を愛おしそうに見る妻の姿が蘇りますにゃ」
茶々丸は、翡翠の目を細めて涙する師匠を見る。
「男は、公園の中をゆっくりゆっくりと歩き、高速道路に面したフェンスに出ましたにゃ」
違う。
フェンスじゃなくて公園を横切る為に高速の上に設置された橋だ。
「男は、フェンス越しに高速を眺めます。娘も幼い頃、高速を走る車を見て喜んでおりましたにゃ」
その通りだ。
娘は、車を見て喜び、帰りにショッピングモールでミニカーを強請った。
「男は、フェンスに手をかけてよじ登りますにゃ。加齢と酒で衰えた身体ですが昔から取った杵柄、力の限り登り切り、反対側に降り立ちます。猫のような華麗にとはいきませんがそれでも最後の力を絞れたことに喜びますにゃ」
ああっ喜んだよ。もうすぐだ。もうすぐ逝けるって。
「男は、高速の壁のヘリに立ちますにゃ。下を覗けば自動車が弾丸のように走ってます。ここを飛び降りれば娘のところに逝ける。娘と同じように首を吊って死ぬなんて高尚な方法ではなく、即死出来ずに苦しみ、のたうって死ねば娘も少しは許してくれるかもしれない。迎え入れてくれるかもしれない」
ああっそうだ。
この世のあらゆる苦しみと痛みを味わった上で死ねば許してくれるかもしれないと本気で思っていた。
「そして男は、娘を想い、妻に謝り、道路に飛び込もうとしましたにゃ」
茶々丸の翡翠の目が開く。
「その時」
その時。
茶々丸と師匠の心の声が重なる。
「ニャア」
それはまるで空気を読んだかのように茶々丸本人の喉から発せられた。
「突然、聞こえた可愛らしい声に男は目を向けますにゃ」
その時の光景は今でも忘れない。
「そこにいたのはなんとも麗しい栗色に輝く優雅な毛を蓄えた愛らしい茶トラの子猫でございましたにゃ!」
自殺しようとした自分を見守るように翡翠の目でじっと見ていた子猫のことを。
子猫は、翡翠の目でじっと自分のことを覗き込んだ。
その目とその顔が何故か娘と重なった。
「それが男と猫との出会いでございましたにゃ」
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