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看取り人 エピソード3 看取り落語(1)

(心臓が壊れそう)
 先輩は、動悸を飛び越えて口からまろび出そうになる心臓を押し込めるように水を飲んだ。
 そんな様子をカウンターの奥にいる背の高い若い男性……店長が見てくすりっと笑う。
 先輩がいるのは地元でも桜の隠れた名所として知られる大きな公園の近くにある古民家カフェだ。
  七年前、ちょうど先輩が叔母さんに引き取られた直後にオープンし、家から近いこともあって公園で遊んだ帰りに叔母さんによく連れてきてもらったことを覚えている。
 名物はフレンチトースト。
 牛乳と卵、そして蜂蜜だけで味付けした何の混じり気のないフレンチトーストは、雲を食べているみたいに柔らかく、噛めば噛むほど味が染み込んでくる。
 タウン誌にも紹介された為、名物の桜の時期以外にもたくさんの客が訪れ、ペットの来店も可ということもあって平日は犬の散歩連れや高齢の夫婦、今日のような休日は子ども連れだけでなくカップルでの来店も多く、テーブルを囲んで名物のフレンチトーストを食べながら桜よりも淡い空間を作り出していた。
 そんな中、一人で四人掛けのテーブルを陣取って水だけを飲んでいる先輩が浮いており、お客さん達はチラチラと彼女を見ている。
 特に男性客達が。
 しかし、先輩にはそんな視線を気にする余裕はなく、気付け薬のように水をチビチビと飲み続けた。
 そんな先輩の前に鮮やかな橙色のオレンジジュースが置かれる。
 先輩は、驚いて顔を上げる。
 いつのまにかカウンターから出てきた店長が横に立って微笑んでいた。
「あの……っ」
 先輩は、困った顔で口を開く。
 頼んでませんっという前に店長が口を開く。
「サービスだよ」
 店長は、和かに笑う。
 この店のもう一つの名物とも言われるイケメン店長の笑みに他の女性客の目が一瞬で奪われ、彼氏達がやっかむ。
「一人来店のお礼」
 そう言って先輩の髪を優しく撫でる。
 お店の開店当初から叔母さんと一緒に通っていたので小さい頃から先輩のことを知っている。それこそ痩せ細って暗い顔をしていた頃から金髪で耳に痛いくらいピアスを開けていた頃まで。
 しかし、そんな事を知らない女性客達は一瞬にして痛いくらいの嫉妬の視線を送るが先輩はまるで気づかず、むしろセットした髪型が崩れてないかを心配した。
 ちなみに店長は既婚者で昨年、学生時代から付き合ってきた彼女と籍を入れた。
 どこかの大きな病院の看護師として働いているらしく、小柄で可愛らしい、見るからに才女という感じの素敵な女性だった。
「今日はどうしたの?一人で来るなんて。しかもそんなにめかし込んで……」
 店長は、面白そうに先輩の服装を見る。
 黒い髪を丁寧に編み込んで整え、春らしいパステルイエローの花の蕾のようにふわっとしたワンピースに白いカーディガンをまとっている。それだけでは寒いから隣の椅子には少し厚めの水色のコートがかけられ、着物デザイナーの叔母さんの手作りと思われる着物の生地で作られた花柄のポシェットが置かれている。左目の大きな眼帯は変わらないが元々が可愛いのでまるで気にならない。
 この装いはどう見ても……。
「デート?」
 その瞬間、先輩の切長の右目が泣きそうなくらい震え、頬が真っ赤に染まる。
 そのあまりにも分かりやすい反応に店長は吹き出しそうになるのを堪える。
 デート!
 この子がデート!
「いや、別にデートって訳じゃ……」
 先輩は、両手を組んで指をモジモジしだす。
 しかし、その顔は間違いなく恋する乙女の顔だ。
「昨日の夜にこの店で会えませんかって急に連絡が来て……特に予定もなかったし……」
 つまり友達以上恋人未満ってところか。
 それに敬語を使ってくるってことはひょっとして年下?
 この店を選ぶってことはよく来るお客さんの一人か?それともデートの為にわざわざ選んだのか?
「どんな子なの?」
「えーっと……その……」
 先輩は、恥ずかしそうな肩を揺らして唇をモゴモゴさせる。
 その仕草があまりにも可愛くて店長は頬が緩みそうになる。
「えっと……ちょっと変わってます」
 それはまあ……この子も変わってるから許容範囲内か。
「とても目が綺麗で、正直で」
 それは及第点。
「無愛想で素っ気なくて」
 んっ?
「お昼一緒に食べてもパソコンばっかで相手にしてくれなくて」
 んんっ?
「大好物の卵焼き作っても甘いしか言ってくれないし」
 んんんっ?
「後……同級生が言ってたんですけど……彼、担任の先生のことが好きなんじゃないかって噂が流れてて……」
 んんんんっ?
「一度、その事を聞いたら"先輩の勘違いです"と言ってくれたので安心したんですけど……」
 それのどこに安心要素が?
「一度、もう昼友しないぞ!って言ったら"今までありがとうございました"ってあっさり言われた時は泣きそうになりました」
 店長の顔が青ざめる。
「でも、直ぐに先輩の卵焼きが食べれなくなるのは嫌だって言ってくれたので次の日に気合い入れて作りました!」
 間違いない。
 弄ばれてる。
 都合の良い女扱いされている。
 今日だってきっと何かしらで彼女を利用、なんだったらデート費用とか自分の欲しいものとかを買わせるつもりだ。
 そしてあわよくば……。
 店長は、拳をぎゅっと固め、顔を引き締める。
 もし、自分の考えている通りだったら今直ぐにでも別れさせない、と。
 この子のことは小さい頃から知ってる。
 彼女の叔母からもそれとなく事情も聞いてる。
 これ以上,彼女を傷つけさせない。
 そう決意した時だ。
 お店の扉が開く。
 その瞬間、先輩の表情が陽だまりの花のように輝く。
 店長が顔を向けると彼女と同じ歳くらいの男の子が立っていた。
 柔らかそうな光沢のある髪、ブラウンのパーカーと濃いデニムを着込んだ身体つきは細いが背は高く、まだ発展途上中と言った感じだ。顔つきも整っており、三白眼と呼ばれる造形の目からは他者を惹きつける魅力のようなものを感じる。
 何というか……彼になら心の内にあるものを話してもいい。そう思わせてしまうような……。
 彼だ。
 店長は、本能的に彼が先輩の恋する相手であると理解した。
 彼……看取り人は先輩を見つけると表情を変えずにゆっくりと近寄ってくる。
 隣にいる店長に目も向けず、先輩だけを見ている。
「お待たせしました先輩」
 看取り人は、小さく頭を下げる。
「ううんっ全然待ってないよぉ」
 先輩は、さっきまでの緊張はどこへやら嬉しそうに小さく手を振る。
 そして彼の手に大きなペット用のピンクのバッグが握られているのに気付く。
「猫?」
 キャリーバッグの中には翡翠の目の茶トラ猫がいた。身体を丸めて警戒するように先輩を睨む。
「はいっ猫です」
 看取り人は、定型文のように答え、先輩の座るテーブルの上に置く。
 うちはペット可だけどテーブルには置かないで欲しいと店長は注意しようとしたが二人の雰囲気に入れずにいた。
「先輩」
 看取り人が呼びかけると先輩は嬉しそうに切長の右目を輝かせる。
「なに?」
 看取り人は、三白眼を細める。
「僕の落語を聞いてください」
 彼の言葉に店長だけでなく店の中にいたお客さんにも動揺が走ったのは言うまでもない。

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