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靴と鴨スープ(2)

 男の人と店に2人きりで入るのは初めてだった。

 それもこんな形で。
 リサは、メニューと睨めっこするようにしながら改めて男を観察する。
 坊主に近いくらいに短くかられた髪、色白で彫りの深い顔立ち、初めて見た時はとても怖い印象を与えられた三白眼だがよくよく見ると白目が多いだけで目の輝きはとても穏やかだ。張りのある紺色のストライフのジャケットの下には黒い無地のTシャツを着ており、それが品の良さをさらに際立たせている。
 それらを統合して俗に言うイケメンの類いであるに間違いない。
 そしてそんな人に自分から声を掛けてしまった私。

 頬から炎が出そうだ。

 しかし、それは男も同じだった。
 自分から蕎麦でも食べませんか?と誘ったのに店に入ってから一言も発しない。メニューに目を通しては眉毛を弄ったり、人差し指をこれでもかと触ったり、リサと目が合ったと思ったら顔を赤らめて思い切り目を逸らしたりと挙動不審なことこの上ない。
 側から見ると初のお見合いに緊張している初々しいカップルにしか見えず、本人たちは気づいてないものの店員や周りの客たちは微笑ましく見ていた。
「こ・・・」
 男がようやく声を振り絞る。
「この店・・・鴨南蛮が美味しいらしいですよ」
「そ・・・そうな・・・んですか・・?」
     リサもドギマギと答える。
「お嫌いですか?」
「いえ、鴨を食べた事ないので・・・」
 リサは、申し訳なさそうに言う。
「そう・・・でしたか」
 男は、がっかりしたように肩を落とす。
 恐らく相当、勇気を振り絞って言ったのだろう。
 リサに罪悪感が振り注ぐ。
「では天麩羅とかは・・」
「いえ、鴨南蛮にします!」
     リサは、力強く答えた。
 そして2人は、鴨南蛮を注文する。
 鴨南蛮を待っている間も2人は無言のままだった。
 無理もない。
 つい10分前にあった2人に話しの共通点など皆無なのだ。
 しかし、2人の間には沈黙の門を開ける鍵があった。
「靴・・・」
 男は、ぼそりっと呟く。
「えっ?」
 リサは、顔を上げる。
 男は、気合を入れるように唾を飲み込み、言葉に出す。
「貴方は、この靴のことをご存じなのですか?」
 この靴とは男の履いている修繕の痕だらけのビスの抜け落ちて傷んだ革靴に相違ない。
 おかしな日本語だ。
 出会って10分の相手の革靴のことなど知っているはずがない。
 しかし、リサは、テーブルの下から男の革靴を覗き込む。
 そして顔を顰める。
 最初に見た時、天からの落雷がツムジに落ちてきたくらいの衝撃と確信があった。
 しかし、改めてじっくりとそれを見ると分からなくなる。
 自分の思い出の中にあるものと相似しているのに実際に目の前にあるのはあまりにも草臥れてくたび見窄らしかった。
 正直、目の前に座る男に合っているとはとても思えない。
「・・・分かりません」
 リサは、申し訳さなそうに、そして正直に答えた。
「私の知っている靴に似ていると思ったのですが改めて見て分からなくなりました。凄く良く似ているんですけど何かが違うんです」
 自分でも何を言っているか分からないままに口にしてしまい、さらに身を縮こませる。
 しかし、男はそれに呆れた様子はない。むしろ答えない答えを探すように髭のない顎を摩る。
「それは・・・ひょっとしてですけど僕が履いているからではないでしょうか?」
 リサは、男の言葉の意味が分からず、小首を傾げる。
「ああっすいません。意味が分からないですよね。つまり本来の持ち主ではない僕が履いてるから違ったものに見えるのではないでしょうか?」
「?それはどう言う?」
 男は、足をテーブルの下から出して靴を彼女に見せる。
「この靴は僕のではないんです。僕の祖父がどこかから拾ってきたものなんです」

                つづく
#短編小説
#蕎麦
#靴
#ドギマギ

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