【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第36話-春、修学旅行1日目〜貴志⑤

「坂木さん見つけた」
 貴志は、理美からの連絡を受けて駆けつけた。しかし初恋の人、紗霧との再会は叶わなかった。そこにいたのはたった一人。赤く腫れた頬を押さえ、茫然と立ち尽くす高島理美だけだった。
「貴志くん…ごめんね」
 その一言が、赤く腫れた頬が、全てを物語っていた。紗霧はもうここにはいない。
「ごめん…なさい」
 目の焦点が合わないまま、理美はただただ謝罪の言葉だけを繰り返していた。
 まただ。また取り返しのつかない罪を重ねてしまった。
 それなのに…。
「頬が腫れてる…痛む?」
 貴志が優しく声をかけてくる。そうじゃない。
「痛いよ…」
 痛むのは頬ではなく、心。今はそんな優しさなんかいらない。その優しさは、向ける相手を間違ってる。
「痛いよ…貴志くんが坂木さんと、こんなにもすれ違っているのが」
 こんな事を言えた筋合いではないけれど、それでも理美は声を振り絞った。
「私なんかどうでも良いから追いかけて!まだ見つけられる!」
 しかし貴志は動かない。
「出来るわけ無いだろ。その頬、紗霧が叩いたんだろう?俺たちのせいで高島さんが怪我するなんて、ほっておけない」
 だから…それは私のせいなんだって!理美は頬を押さえたまま反対の手で、貴志の胸を突き飛ばした。
「良いから行ってよ!これ以上惨めにさせないで!」
 あれこれ言い訳している時間も、説明する時間もない。今は1秒でも早く貴志を送り出さないと。
「石川町駅方面…ごめん、これしかわからない」
 理美に背を押され、貴志が再び走り出す。しかし、人が多い。この中から一人を見つけるのは至難の業だった。
 それでも、理美はそれをやってのけたのだ。やってのけて、くれたのだ。
「ありがとう!ごめんね…」
 走り去る貴志の背中を見送って、理美は関帝廟へと向かった。
 待ち合わせの時間まで30分を切ってしまった。今できることは、貴志の邪魔にならないように、大人しく待っていることだけだった。
 きっと買い出しを済ませた隼人も待っているはずだった。

 電話。通信アプリでの通話。紗霧に繋がりそうな通信手段を片っ端から試してみる。
 どれも繋がらない。しかし、どうやらアカウントは生きているようだった。
 小さく「既読」の文字が灯った。だが返信は無い。貴志は小さな路地裏の人影まで気を配り、慎重に石川町駅に向かっていた。
 もう日が暮れる。
 紗霧が向かいそうな所を考える。記憶の中にある、二人の約束を辿る。ランドマークタワーの夜景。コスモワールドの観覧車。
 その可能性はほぼゼロに近かった。修学旅行の自由行動だ。いくら自由に行動できたとしても、一人で動ける範囲には限界がある。
 それに、もう日が暮れる。
「坂木さん、怯えてた」
 理美からの通知が入る。その一言で確信した。紗霧はまだこの街にいる。日が暮れてしまうと、恐らく紗霧は動けない。

 石川町駅にたどり着いた。左右に首を巡らせる。駅前に紗霧はいなかった。
 改札まで向かうが、それでも紗霧はいない。もう一度駅前に向かい、駅前のショッピングビル一階に目を向ける。カフェがあった。他のクラスメートと待ち合わせるには、ちょうど良い。店内に目を向けたちょうどその時…貴志のスマートフォンが裕からの着信を知らせた。
 時間切れだった。
 眉間にシワを寄せ、貴志はカフェに背を向けた。入口から見えないように座る紗霧には気づかないまま。
 二度と会えないかも知れない恋人たち。その天文学的な確率をくぐり抜けた、運命としか言えない奇跡の再会。それは叶うことなく、こうして幕を閉じたのだった。

 関帝廟の人だかりの中に、理美と隼人が並んで立っていた。合流した貴志に、二人共声はかけず、心配そうな視線を送るだけだった。
 貴志はそっと首を横に振った。
 
 沈痛な面持ちで理美はその場に座り込んでしまった。両手で顔を覆う。
 自分が演じてしまった数々の失態。紗霧に声をかけてしまったこと。話した結果彼女の恐怖心に触れてしまった事。そして…最悪な失言をしてしまった。
「ごめん…二人を会わせられなかった」
 顔を覆う両手はそのままで、理美が漏らした言葉を、貴志が受け止める。
「高島さんに背中を押されなければ、俺は紗霧を探しもしなかった。高島さんが謝ることなんて、何もないよ。
 それより、頬は大丈夫?」
 痛い。その優しさが痛いよ。私の失態を聞いたら、貴志くんは絶対に怒るよ。
 また懺悔がひとつ増えてしまった。

 元々貴志も理美も、二人で話す時間は欲しかったのだ。宿についてから、時間を合わせて話す機会を作ろうと決めた。
 そこに人影が二つ合流してくる。二人共陽気に笑いながら、止まることなく喋っている。あまりにも大きな笑い声だから、遠くからでも誰だかよくわかった。
 裕と、瑞穂だった。

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