【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第28話-春、修学旅行1日目〜貴志③

 結局貴志と二人で歩いても、瑞穂は彼に聞きたいことの半分も聞けないでいた。横浜中華街の土産物全般を取り扱う、横浜大世界の前で班のメンバーと合流する。
 そこに矢嶋の姿はなかった。理美と裕で他の班に合流するように勧めたようだ。彼女は喜々として班から離脱したらしい。
 集合は2時間後に関帝廟前。まだまだゆっくりと過ごせそうだ。ひとまず晩御飯を食べることにする。
 誰もが初めて来たため、お店の選択は貴志に委ねられた。貴志の家に横浜の旅行誌が置いてあったからだ。
 内科医である貴志の父が、学会などで横浜を訪れる事が多いため、直接お勧めの店舗を聞くことができたのも大きな要因だった。
 夕食の場所は、横浜大世界のすぐ近くにある、スープチャーハンが名物の店になった。
 なぜか貴志は浮かない顔をしていた。候補の中から、この店に決まりそうな時も、貴志だけは最後まで首を縦に振らなかったが、その理由は誰にもわからなかった。

 スープチャーハンは最高の一品だった。皿に広がる高菜スープの海。その真ん中に浮かぶ島は、パラパラのチャーハン。スープとしても、チャーハンとしても最高の一皿だった。それを同時に口に放り込むと…。
「テーレッテレー!うまい!」
 瑞穂が満面の笑みで放った一言に、店にいたすべての客が振り返る。思いの外大きな声が出たようだ。理美が周りに会釈をして謝罪の意を伝えている。
「お菓子のCM音は、あまり料理に合わないんじゃないのかな」
 瑞穂の奇行に関しては、理美がツッコミ役になっているらしい。本来その役目を果たすべき裕も、一緒にふざけるものだから、収拾がつかないせいだった。
「せめて練って食べる料理の時にしてくれ」
 貴志のツッコミはやはり冷たい。スープチャーハンと同時に頼んだ四川麻婆豆腐を口に運んで、ハフハフと息を漏らしている。
 態度は冷めていても、麻婆は熱々だったらしい。
 5人は信じられない早さで二品を完食してしまう。あまりにも美味しそうに食べているので、店のスタッフは至福の表情だった。
 締めのジャスミンティーを満喫して、5人は店を後にした。いや、貴志が店に戻っていく。
「ごちそうさまです。父がここを好きだと言っていたのでお邪魔しました。大人になって自分で来れるようになったら…必ずまたお邪魔します」
 そう言い残して再び店から出てきた貴志を、班の皆が迎えてくれた。

 店を出た貴志を迎えた瑞穂は、満面の笑みだった。しかしその笑顔は食事中の至福の表情とは全く別物だ。ひどいイタズラを思いついた。そんな雰囲気を漂わせる、子供のような笑顔だった。
 思わずたじろいで後ろに下がる貴志。店の入口に背中をぶつけてしまった。もう逃げられない。
「なんだよ」
 見渡せば全員が、同じ表情で貴志を見ていた。
「ずいぶんと礼儀正しいじゃないの、貴志く〜ん」
 真面目にしていたらキリッとしているはずの裕の目尻が、唇の端に引っ付きそうなくらい垂れ下がっている。ふふーん。ふふーん。と繰り返し鼻で笑っている。
 貴志が人前であることを忘れて、昔のように振る舞っていたことが裕にはたまらなく嬉しかったのだ。
 瑞穂と隼人は珍しいものを見た感動に、目尻が下がっている。
 しかし瑞穂のいたずらっぽい笑みは、それだけが理由ではなかったのだ。
「ん〜ふふ。あれ見てよ、あれ」
 瑞穂がまっすぐに指を指したのは、道を挟んで向かい側。
 そこには「占い師」が座っていた。机には、手相10分1000円の貼り紙。
 嫌な予感が背筋を這い上がっていく。貴志は全身から汗が吹き出てくるのを感じていた。
「面白そうだねえ〜北村く〜ん」
 やっぱりか。貴志は頭を押さえてため息をついた。理美も今回は瑞穂に一切ツッコミを入れることなく、悪戯な笑顔を見せている。隼人も興味津々らしい。ふふーんと笑っている。鼻息が荒い。
 裕でさえ満面の笑みを浮かべていた。裕だけは鼻で笑うのでなく、全身を使って大笑いしていた。
「逃げられないぞ、貴志く〜ん」
 裕の言葉に貴志はもう一度大きなため息をついた。嫌だとは言わせてもらえないらしい。

 占いの館の入口。露天の席に貴志を無理やり座らせた一行は、それぞれに小銭を取り出していた。誰が言ったわけでもなく、割り勘のつもりらしい。
 本音を話すことのない貴志が占われる。きっと大手サブスク動画サイトでも、見ることのできないエンターテイメントが繰り広げられるだろう。
 全員からそんな期待感がオーラとなって滲み出ていた。いやむしろ、オーラが見える。
「いらっしゃい。
 おや…若いのにずいぶんと苦労してきたみたいだねえ」
 占い師の第一声に、裕が感嘆の声を上げる。
「お兄ちゃんみたいなお客さんはめずらしいからね、おばちゃん全力でアドバイスさせてもらうよ!
 何を知りたい?」
 中学3年生だから、それなりに苦労はある。しかし大人がその苦労を慮ってくれるだろうか?もし貴志の苦労を看破できるとしたら、この占い師は本物かもしれない。裕は内心かなり期待していた。この場合の知りたいこと…そんなの決まってるじゃないか。
「そりゃあ、恋愛運かな」
 裕自身は真面目だったが、その一言を聞いた他の面々は、再び悪戯っぽい笑みを浮かべている。もはや貴志はおもちゃと化していた。
「お兄ちゃん、むしろ…今の状況が一番苦労してるみたいだね」
 占い師は周りの態度に戸惑っているようだった。貴志が無言で頷いて肯定の意を表している。
 気を取り直して占い師は、貴志に両手を差し出すように伝えた。貴志の手相をしげしげと観察していく。
 裕は貴志の真後ろで、彼の手相を覗き込む。理美と瑞穂が貴志の両脇を固め、同じく手相を覗き込む。隼人も裕の隣で固唾を飲んで占い師の言葉を待っていた。
貴志はその中央でヤレヤレとため息をついた。
 全員が占い師の方に体を向けていた。
「ふんふん。貴方の運命の人は意外と近くにいるかもしれないわね」
 占い師の言葉。彼女がそう言ったとき、その場の全員が占い師を見ていた。後ろを向いているものなどいなかったのだ。
 だから誰も気づくことはなかった。
 彼らの真後ろを通り過ぎた少女の存在に。
 占いの館から道を挟んで向かい側。貴志たちがつい先程までいた店に、その少女が入っていったことに。
 そしてその少女の名前が「坂木紗霧」であることに、誰も気づくはずがなかったのだった。

 貴志の「運命の人」が近くにいる?その言葉に、裕の目が一瞬泳いで瑞穂を捉えた。
 裕がこの時後ろを向いていれば、「運命の人」に気づいたのかも知れない。いつもの裕ならば、絶対に振り返って紗霧を探したはずだった。しかし今の裕には瑞穂しか見えていない。
 瑞穂は理美の表情を確認していた。バスでの二人を思い出す。あの距離感はやっぱりそういう事なの?
 理美はじっと貴志の顔を、見ていた。見てしまった。驚いている、困惑している貴志の顔を。
 この時、理美も「運命の人」が周りにいないか見回すべきだったのだ。

 貴志一人が、まさかと思い周囲を見渡した。
 貴志にとって運命の人など一人しかいないのだ。必死に首を巡らせ周囲を探る。
 そして真後ろの店に入ろうとしている少女の人影を捉えた。裕の体が視界を塞いで、一瞬しか見えなかったが。その少女に想い人の姿を重ねてみる。
 しかし雑に伸ばされた髪。違う制服。刹那に通り過ぎただけの少女に、2年前の恋人の面影など重なるはずもなく…。
 貴志と紗霧は誰も気づかないまま、すれ違ってしまったのだった。 

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