【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第40話-春、修学旅行2日目〜貴志①

 本栖湖湖畔で富士山を眺める。湖の碧と、富士山の青と、空の蒼。透き通るような景色の中、心を静かに鎮めていく。徹夜明けの眠気から開放されて、心も景色と同じように晴れ渡っていた。
 昨日会えなかった初恋の人。最愛の人。そして自分のせいで深く傷つけてしまった人。坂木紗霧を想う心。
 会えるかもしれないと思った昨日、久しぶりに触れた気がした。紗霧に伝えたかった、自分自身の気持ちに。
 俺は紗霧に会いたかった。そして、謝りたかった。そう、謝りたかったんだ。
 辛い思いをさせてしまったこと。最後の別れがあんな形になってしまったこと。謝って、そして伝えたかったんだ。あの、一言を。

 湖を見つめる貴志の隣に理美が並ぶ。初恋の人を想う気持ちを抱えた同士が隣に並ぶ。
「アイツらと喋ってたら朝になってた。朝から寝たもんだから、集合時間は本当にヤバかった」
 貴志の口調は少し暗い。昨日は昔の口調で話す時間が長かったから、まだ陰険な口調に戻りきってはいない。周りに人がいるので頑張って、暗さを演出している。
 紗霧と離れてから、人を寄せ付けないために演じてきた姿。北村貴志は根暗の嫌な奴。そんな仮面など、高島理美の前ではもう粉々に砕けてしまっている。
 彼女は偶然同じ日に横浜中華街に現れた、初恋の人を共に探して、そして見つけてくれた。
 仮面で本心を隠し始めてからも、自分を想い、告白してくれた人。その想いには応えられなかったけれど、報いたいとは思っている。そんな彼女が隣りにいる。
「私たちも、3時くらいかな…。結構遅くまで語り明かしたよ。その後も眠れなかったけど」
 その言葉に貴志の胸がちくりと痛む。理美の頬はもうすでに元の美しさを取り戻している。昨日は紗霧のビンタで赤く腫れていた頬。今は目が赤く腫れている。
「口の中は切れてないみたいだね。もう、痛みはない?」
 周りに聞こえないよう、小声でささやくように尋ねる。理美はともかく、周りの同級生達に自分の気遣いなど見られたくもない。
「心は痛いままだけどね。ごめんね、もう大丈夫だよ」
 昨日、二人の再会を阻んだのは自分の失敗。理美は、その責任と罪悪感から解放されずにいた。それも今晩までのこと。今晩、その思いの丈全てを貴志にぶつけて、全てが終わる。ちくりと胸が痛んだ。

「貴志くんは、富士山を自分の目で見るのは初めて?」
 唐突な理美からの質問に、貴志は「初めてだよ」と肯定で返した。
「貴志くんの初めて、ひとつもらったね」
 意図がわからず困惑する貴志の顔を、理美がじっと見つめる。
「貴志くんと初めて富士山を一緒に並んで見た相手は、これから先もずっと私なんだね」
 そう言って理美は寂しそうに笑った。
「でも、最後の人にはなれないね。お互いに」
 貴志への想いは届かなかった。そして彼女は一つの決意を胸に秘めた。
 理美は肩から貴志の胸に飛び込んだ。飛び込んだというよりは、タックルをしたように見える。
「どーん」
 ふざけて効果音を出してみても、それも控えめで、寂しげだった。貴志はぶつかった彼女の肩を両手で支えると、小さく「危ないよ」と囁いた。
 その手は震えている。その震えを理美は見逃さなかった。
 貴志と紗霧。二人共、辛い恋の傷を今も抱えているのが、その震えから痛みが伝わってくる。
「私だって何かひとつくらい、あなたの初めてになりたかったんだ」
 その一言は言葉にならず、本栖湖の青に吸い込まれていった。

 一人になった貴志はスマートフォンを取り出して、メッセージアプリを開いた。眠気と戦いながらも何とか書き上げた、紗霧への想い。眠気で鈍った頭で、書いてはいけない言葉を紡いではいないか、読み直して確認する。
 読まれるか否かはわからない。だけど送信ボタンを押せば、風に乗ってそれは運ばれてしまう。後戻りは、出来ない。
 昨日会えなかった初恋の人。離れた経緯から、連絡は取らないと決めていた。紗霧からの連絡もなかった。だけど昨日、自分の会いたいという心に従って、それでも会えなくて。
 そう、どちらにしろ後戻りは出来ないのだ。震える手で送信ボタンを、今、押した。

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