【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第42話-春、修学旅行2日目〜瑞穂①

 奥河口湖の湖畔に今宵の宿がひっそりと佇んでいる。近くにはコンビニすら見えない。だけど夕日に染まった河口湖はとても美しかった。残念なのは、宿から富士山が見えないことくらいか。
 和洋室の部屋に、男女分かれて二班ずつの6人構成で振り分けられ、生徒たちは一息つく時間を得た。
 洋室のベッドは二つ。和室に6人分の布団が敷かれる予定だった。
「ベッドの取り合いで部屋を壊されたら大変だもんね〜。中学生集まったら宿側も気が気じゃないね〜」
 窓から見える河口湖を眺めながら、瑞穂は他人事のように呟いた。彼女ももれなく中学生である。
「瑞穂ちゃんが一番はしゃぎそうだけどね」
 口に手を当てて理美が笑う。昨日はほとんど見ることができなかった笑顔だった。
「サトちゃんの笑顔は美しいね〜。オジさんいけない気持ちになっちゃいそうだよ〜」
 瑞穂の言葉だからコミカルに聞こえるが、本物の「オジさん」は絶対に言わないほうが良いであろうセリフが飛び出した。
「なぁ、ええやないか、ええやないか」
 鼻息荒く、理美の脇腹をくすぐる瑞穂。それはアカンやつやで。
 コンプライアンスの問題でこれ以上は書けないので、赤面しながら悶える理美だけ妄想していただけると作者も助かる。

 夕食は絶品だった。こんにゃくのピンチョスや、エビのワイン煮は、味がしっかりと染み込みながらも素材の風味がしっかりと生きていた。刺身の甲斐サーモンが口の中でとろける。
「デリシャス、もずく酢、もうないっす」
 柚子の風味が香るもずく酢をつるんと飲み込んで、舌鼓どころではない歓声を上げながら、瑞穂は食事を全身で楽しんでいた。一口ごとに味が脳天から足先まで突き抜ける。それを、毎度毎度、体をピンっと伸ばして表現していた。
 席を挟んで向かい側で、パイシチューを口に運ぶ貴志の口元に笑みがこぼれた。こちらも富士桜ポークを使用した逸品だった。ほとんど歯を使うことなく、口の中で溶けていくそれを口内の感覚全てを集中させて、味を覚える。その間も口元は緩みっぱなしだった。
 ふと瑞穂の視線に気がついて、不機嫌そうなへの字口を装う。
 もう、遅いけどね。北村くんの笑顔、いただきました。
 出来れば目元も含めて笑顔を見たいものだけど、それは前髪に隠れて見ることが出来ない。奥河口湖からは、山に隠れて富士山が見えない。そんなもどかしさを貴志に感じながらも、その顔を再び眺めてみる。一口運ぶごとに口元が綻ぶ貴志が、かわいく思えて仕方がなかった。
 瑞穂は知らない。貴志が顔を隠す理由も、本心を隠して陰気な嫌われ者を演じ続ける理由も。
 それでも、たまに見せる表情から滲み出てくる彼の本性はやはりかわいらしくて、優しくて…。もっと彼の心に触れてみたい。そう思えるのだった。
「北村くん、めっちゃ集中して食べてるけど、まさか作るつもり?」
 何気なく。そう、何気なく聞いてみただけだった。瑞穂の問いに貴志が首を縦に振る。
「へえ…。もし作れたらさ、試食させてくれる?」
 そう言ってから瑞穂は顔を真っ赤にしてうつむいた。そんなつもりもないまま、手料理が食べたいアピールをしてしまった。
 自分が貴志に感じている気持ち。それが「恋」と呼べるものなのか、まだわからない。
 しかし裕の告白を断る時に、言葉にしてみて初めて意識した気持ちだった。意識してみたら、何気ない一言すら、何やら恥ずかしく思えた。
 裕と目が合うと、瑞穂に親指を立てて、うんうんと頷いている。裕は笑顔だった。嬉しそうな笑顔。
 昨日告白を断ったところなのに、彼はもう悲しそうな顔は見せてこない。目を真っ赤に腫らしながらも「応援する」と言ってくれた。その言葉通り、暖かく見守ってくれている。それがとても心強かった。
「ちゃんと作れたらな」
 その返事に一番驚いたのは、言葉を発した貴志自身だった。前髪の奥に隠れていても、戸惑った目をしているのが伝わってくる。
 貴志の隣で裕がふふんと鼻を鳴らしていた。貴志の肩をバンバンと叩いて、
「またお茶会しないとな」
 その裕の言葉に、隼人が目を閉じて頷き、瑞穂が目を輝かせた。
 理美だけが、寂しそうな目をして俯いていた。

「甲州牛、うま〜!牛だけど…。もう、ぎゅうってしたい!」
 瑞穂さん、どうして君はそんなにオジサンなんだい?こういうところ、本当に好きなんだよな。
 瑞穂を見る裕の目は、相変わらず温かい。
 溶岩プレートの上で心地よいサウンドを奏でながら、焼き上がる甲州牛は抜群の口溶けだった。旨味が口の中に広がっていく。
「ここのご飯、すごいね〜。口に入れたらあっという間に溶けていくものばっかりだね〜。歯がいらないね〜」
 瑞穂は陽気だった。いつも以上に陽気だった。食事の途中で気がついたのだ。理美が途中からほとんど喋っていないことに。
 ちらりと横目で見ると、彼女からただならぬ緊張感が溢れ出している。
 つん…。そんな理美の脇腹をそっとつつく瑞穂。くすぐったさに、理美は甘い吐息を漏らした。
 いや、アカンて。男子たちはその甘い吐息を聞き逃さず、あらぬ妄想を展開させていく。隼人も、裕も、貴志ですら。思春期の少年のスケベ心をなめてはいけない。
 それで我に返った理美も、会話に復活して楽しい夕食時が戻ってくるのであった。
 男子たちの心拍が戻るまでは、もう少し時間がかかったが、それは女子にはナイショの話。

 夕食が終わるとクラスごとに入浴の時間がやってくる。宿の構成上、男女の浴室は隣り合っているので、男子たちは風呂上がりの女子に遭遇しようと、いつもよりも長く湯船に浸かっていた。
 この宿はワイン風呂を提供しており、上がる頃には、肌がすべすべに仕上がっている。
 脱衣所を出ると廊下にサーバーが二つ置かれていた。水と、ぶどうジュースだった。
「何これ、めっちゃおいしい!」
 風呂上がりの真っ赤な顔をさらに輝かせて、瑞穂は真っ赤なぶどうジュースを飲み干した。おかわりしたいが、さすがにマナー違反か…。泣く泣く諦める。比喩ではなく、本当に涙がちょちょぎれている。
「何これ、めっちゃいい匂い」
 裕の声が聞こえて振り返る。そうでしょ、そうでしょ、いい香りで美味しいでしょ?
 しかし裕が嗅いでいたのは、ジュースではなく、瑞穂の残り香…。
 ペチンと軽快な音を立てて裕の額を平手打ちする。
「気持ち悪いわ!」
 確かに振られた相手にすることではない。いや、基本してはいけない。
 あれ?裕が一人だ。あ、後から、ナンちゃんがついてきた。しかしその後ろに続いてくると思った人は、中々出てこない。
「貴志は髪を乾かしてるぞ」
 長髪の貴志は色々と時間がかかるらしい。
 理美も同じ理由で遅れていた。理美を待つうちに貴志も出てくるだろう。しかし理美をダシに貴志を待つような形になるのも変だなと、一旦その場を離れることにする。
「もしサトちゃんが出てきたら飲み物買ってくるって伝えといて」
 そう言って瑞穂はエントランスに向かった。ホテル駐車場に見えた何台もの自販機。その中に千円ガチャの自販機もあったので、好奇心が刺激されていた。
 ちゃんと飲み物も買って、部屋に戻ろうと振り返る。
 そこに貴志と理美が、並んで歩いて来た。瑞穂には気づかず、湖畔の庭園に向っていく。二人は庭園のテーブルを見つけて席についた。柔らかい照明の下並んで湖に反射する灯りを眺める二人。
 見てはいけない。でも…。
 瑞穂は二人を見つめて、そこから動くことができずにいた。

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