【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第39話-春、修学旅行2日目〜旅は眠気と共に

 修学旅行って、こんなにも怒涛の展開をするものだっけ?将来卒業アルバムを開いた時に、きっと彼らは1日目をそう言って振り返っただろう。
 裕に訪れた二度目の恋は見事に散った。瑞穂に至っては初恋が霞んで消えた。
 理美は頬を腫らして、貴志は消えた恋人とギリギリの一線で再会を果たせなかった。
 中学生…?の修学旅行とは思えない展開で迎えた二日目。
 貴志たちの班は、全員が必死に眠気と戦っていた。

「いやあ、炭酸水ってあんなに飲めるもんなんだなあ」
 大きく伸びをして、うめき声とともに漏らす裕の一言。貴志も隼人も黙って頷く。頷いた拍子に頭が、まぶたが、さらに下に垂れ下がる。かくんと力が抜けて、びくっとなり慌てて頭を上げる。
 もはや頷いているのか、寝落ちしかけているのか、自分たちでも区別がつかない。
 集合時間ギリギリにのんびり歩く三人を同級生全員が白い目で見ている。しかしこの三人には、そんな事にかまっていられる体力は、すでに残されていないのだった。
 修学旅行2日目の日程が始まろうとしていた。

「裕の目、真っ赤だね。ワオキツネザルみたいだよ」
 瑞穂が裕の顔を指差して笑う。瑞穂にだけは言われたくない。彼女も一晩理美と語り明かして、目がぱんぱんに腫れている。目の下のくまがまるで…。
「瑞穂だって目の周りがクマ牧場じゃないか」
 裕も負けじと返す。
「遅刻ギリギリのくせに人の話を聞かないとはずいぶんな態度だな」
 担任が、昔の少年漫画の、世紀末覇者を彷彿とさせる厳しい顔で睨んでくる。慌てて顔を伏せる二人。その伏せた頭の傾きでそのまま眠気に負けてしまう。ぐう…。自分の寝息で目が覚める。
 目覚めとともに見えたのは、怒りが体から滲み出そうな担任の姿だった。
「てめえらに今日を楽しむ資格はねえ!」
 やはり世紀末覇者のようなセリフで叱りつける担任。胸に7つの傷はない。いや…失恋7回の傷は持っている。もとい。担任の話が終わり、一行はバスに乗り込んだ。
 座った瞬間に五人は意識を失い、修学旅行ではなく、眠りの旅へと誘われた。
「夜も寝れないほど語り合ったんだな、青少年。大いに青春したまえ」
 席についた担任は口元を緩ませて独り言た。1年の頃から見守っている北村貴志が、こうして修学旅行に来て、今を楽しんでいる事は素直に嬉しい。過去に「あんな事」があったのに、良い友達に支えられている。ちなみにおじいさんみたいな話し方をしているが、担任はまだ41歳だ。

 日付をまたぐまで、裕は瑞穂への気持ちを吐き出し続けて、大泣きしていた。告白して、断られて、その瞬間から相手のことが記憶から消えてしまうなら、恋なんていとも容易いのに。振られたあとも好きなんだから、それはそれは苦しいものだ。それでも瑞穂の恋かも知れない気持ちを応援しようと、裕は決めた。
 その後は隼人も交えて3人で雑談に明け暮れた。
 空が黒から青紫に染まる頃まで語り明かした頃。貴志はようやく裕に、紗霧との顛末を告げた。同じ中華街にいた事。同じ店にいた事。そしてもう少しのところで会えなかったこと。
 話が進むにつれて、裕の涙はどんどん大粒になっていった。会えなかった話を聞いた時には、自分の話をしている時以上に泣いていた。
 それは悲しみの涙と…。
 もしあの時、瑞穂への告白に思考を取られていなければ、きっと自分が紗霧を見つけていたはずだった。店に入る紗霧にだって、普段の裕ならば気付いたはずなのだ。そして彼女を見つけたのが理美でなく裕だったら、きっと今頃二人は再会を果たせたはずだった。
 自分の気持ちばかりで、周りが見えなくなっていたことを、裕は心底悔やんで涙を流した。オレのせいだ。
 裕は一晩で2人分の涙を流していたのだ。ワオキツネザルと揶揄されるほど目が赤くなるのは、仕方のない話だった。
 隼人が買い出しした、小籠包と肉まんは部屋の電子レンジで温めた。完食だった。
 3人の周りには得も知れぬ餃子スメルが立ち込めており、バスの中は地獄のような空間になっていた。
 本来それにツッコミをいれる役目の瑞穂も、同じ匂いを漂わせて眠っているのだ。同級生たちは早く目的地につくことを祈るしかなかった。

 2日目の午前は、八景島シーパラダイスの自由行動。
 アクアミュージアムに足を踏み入れ、青い薄明かりに包まれた。その瞬間に、睡眠に適した照度と色に囲まれ、全員が頭を垂れた。立ったまま寝落ちして、瑞穂が倒れ込む。
 それに手を差し伸べて瑞穂を起こす裕。手を、握ってしまった。
 裕の鼓動が早くなる。鼓動が早くなればなるほど、苦しさも加速する。それは瑞穂も同じことだった。
 ひとまず目を覚まそうと、一行はコースターを嗜み、急流すべりを楽しみ、立体巨大迷路を闊歩する。
 さすが若者。徐々に体力を取り戻し、なんとかアクアミュージアムは一通り見ることが出来るくらいまで回復した。イルカショーは結局寝落ちして、飼育員を泣かせてしまったけれど。

 バスで移動し、鎌倉で釜揚げしらす丼を頬張る。修学旅行の昼食としては豪華だが、これは学年主任の希望らしい。
 あまりの美味しさに、急いで口にかきこんだ裕が、しらすを誤飲して豪快に咳き込んだ。背中をさする瑞穂。
 いや、無邪気に追い込むのはやめてやれ。貴志が無言のまま、目線でツッコミを入れる。
 バスは学生たちを乗せてゆらゆら揺れる。貴志達の脳もゆらゆら揺れる。そしてまた眠る。
 鎌倉を出たバスは箱根に差し掛かる。箱根駅伝のコースを辿って、芦ノ湖まで向う。
 本来ならばそこで観光を挟むのが王道だろうが、如月中学校御一行様は短い休憩の後に、すぐ再出発することになる。
 今回の観光目的は移動そのもの。教師たちが、ある自転車漫画を好きすぎるため、その大会コースをたどることが目的になっている。
 教師たちの目は輝いている。少年たちの熱い戦いに想いを馳せて。目の前の少年少女の気持ちは、置き去りのまま。
 貴志は何気にこのコースをただ眺める時間を楽しみにしていたが、眠気には勝てなかった。今は自転車漫画のインターハイ2日目コースを移動している。大ピンチからの復活劇を主人公が演出したであろう道のり。
 しかしその道のりも眠気には勝てなかったのだった。

 次の目的地、本栖湖に到着する。
 千円札に描かれる富士山は、この本栖湖から見える富士山なんだよと、新札発表後に言われても生徒たちには響かない。
 ただ某キャンプ漫画の聖地だという言葉には、一定数の賛同が得られた。
 思い思いに写真を撮る生徒たちを見ながら、教師陣はほっと胸をなでおろしていた。
 生徒たちに寄り添わない、大人たちの欲望にまみれたプランには自覚があったらしい。

「オレはともかく、瑞穂もひどい顔だよな」
 裕と瑞穂は並んで写真を取っていた。心なしか昨日よりなぜか距離が近い。
「女の子にひどい顔とか言わない〜」
 言葉とは裏腹に瑞穂の声は明るい。しかし目の周りのクマが取れ始めるに連れて、目の周りが赤く腫れているのが見えるようになっていた。涙を拭き続けて荒れたらしい。
「結局明け方までサトちゃんとお話してからね」
 理美の呼び方が「サトちゃん」に変わっている。よほど腹を割って話せたらしい。
「色んな話を聞いちゃった」
 裕の心臓がどくんと跳ねた。まさか坂木さんのことなのか?
「へえ、どんな話を聞いたんだ?」
 探りを入れた裕に、瑞穂が人差し指をぴんと立てる。その指が裕の唇に触れたあと、ちっちっちっと指を振る。
「それを聞くのは野暮ってものよ」
 ノリはともかく、振った相手の唇に触れるのは罪だろう。ともかく裕はそれ以上聞けなくなってしまう。ドキドキして平常心を失いそうだったのだ。
「サトちゃんの昔の話だよ。ただの恋バナ。これ以上は言えない」
 文節ごとにくるくると一回転しながら、明るい声で瑞穂が答えてくれる。
「裕には嘘をつきたくないからね。それだけだよ」
 そう言いながら、今度はびしっと裕の眉間を指差す瑞穂。少し顔が赤いのは、昨日の告白の名残だろう。
「あのね、裕が好きだって言ってくれたこと、本当に嬉しかったんだよ。
 私のわがままで断ったのに、それでも友達だって言ってくれて、それも本当に嬉しいんだ。
 私の好きかもしれない人の事は、何も聞いてないよ」
 どうやら瑞穂にはすべてお見通しらしい。瑞穂の好きかもしれない人に、裕が気づいていることも。そして裕がその過去に触れてほしくないと思っていることも。

 瑞穂は理美から昨日のことをちゃんと聞いていない。理美の頬が何事もなく腫れるはずはない。貴志が彼女を叩くことは絶対にないと、 心の底から確信していた。なら誰が?
 北村くんが叩いたわけじゃないなら、なんで彼はあんなにも申し訳無さそうな顔でサトちゃんを見ていたの?
 聞かなかったのは興味がなかったからではない。怖かったのだ。聞けば、心に芽生えた小さな気持ちが儚い夢に変わってしまいそうで。怖かった。
「いつかその人が直接、色々答えてくれたら良いな」
 裕の言葉に瑞穂が静かに頷いた。
 瑞穂は静かに決意した。自分の気持ちをしっかり確かめよう。恋なのか、錯覚なのか。
 できるだけ早く。そう今晩にでも。

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